
1995年1月17日早朝5時46分。阪神・淡路大震災の激しい揺れが神戸大学周辺の学生アパート街を襲った。灘区六甲町のアパート西尾荘で、徹夜で友人3人と談笑していた坂上義典さん(53=当時 法・4年、現在 岡山県在住)は、停電になった中で床が傾いて落ちるのがわかった。真っ暗な中を手探りで脱出しようとしたが、南側玄関の扉を開けると廊下が上の方にあって出られない。北側の窓から隣のマンションに、なんとか乗り移って脱出した。そのとき、火災の炎が近くに見えた。
友人たちは無事なのか? 近隣のアパートを訪ね回る中で、坂上さんはユースサイクリング同好会の先輩、後輩ら3人が亡くなったことを知る。その中には、愛媛県立八幡浜高校時代からの友人、櫻井英二さん(当時 法・4年)もいた。
住んでいた下宿「西尾荘」に戻ると、完全に焼け落ちていた。
坂上さんら学生たちは、崩れ落ち炎上する下宿街で何を目撃したのか? 30年後の六甲町を歩きながら、当時の体験を聞いた。
(写真上:下宿街周辺を歩きながらインタビューに答える坂上義典さん 2025年11月23日)
<2025年11月23日取材>
※編集を最小限にとどめ、なるべく忠実にインタビューを再録しています。
坂上義典さん(当時 法・4年)の証言<前編>=https://x.gd/jCazU
坂上義典さん(当時 法・4年)の証言<後編>=https://x.gd/ZuDzm
連載 【慰霊碑の向こうに】 震災の日、学生たちの命は… これまでの遺族インタビューの連載を掲載しています
https://x.gd/fPH0v

<神戸を訪れる坂上さんをJR六甲道駅で出迎え、インタビューが始まった>
ききて)この改札付近、結構(当時から)変わってますか?
坂上さん)この辺はあんまり変わらないですね。
ききて)お店とか…?
坂上さん)餃子屋が前もあったような記憶があるんですけど。そうですね。この辺り雰囲気は変わらないですね。いつもこっちを(駅の北側を西に)歩いてましたね。
大学には原付で通っていた
ききて)大学までは徒歩で通われていたんですか?
坂上さん)最初は徒歩ですけどね、途中から原付でした。今はあんまりみんな原付に乗らないんですか?
ききて)最近電動自転車も行けるようになったので、そういう学生もいます。
坂上さん)原付でみんなウロウロしていましたね当時は。
坂上さん)あの郵便局(神戸永手郵便局)は前からありました。あそこが御用達だったんで(笑)

(写真:現在の宮前商店街 アーケードはない 2026年1月5日撮影)
坂上さん)右に行くとね。ここ(宮前商店街)もね、昔はアーケードがあったような気がするんですけど。たぶん焼けてしまったんじゃないかな、この辺り。あそこの中華料理屋、「かどや飯店」っていうのはたぶん前も(震災前も)あったんですよ。名前は一緒で。
ききて)建物がわりと新しい。
坂上さん)震災のあと建て替えたんだろうなと。昔はここで週に何日か餃子が半額とかいう日があって(笑)。その時に食べに来てたんですけど。

(写真:灘区六甲町で 2025年11月23日)
区画が変わって、街の様子が全然当時と違う
坂上さん)この辺りになると公園(六甲風の郷公園)ができてて全然わかんないんですけど。おそらくはね、(住んでいたのは)このもう一本向こうの通りぐらいを下って行って、なんとなくこの辺りじゃないかなあとは思ってみたんですけど。うーん……全然この辺りの雰囲気が変わってて…。

坂上さん)これが(六甲町)2丁目4-1でしょ。 僕が住んでたのが2丁目4-5とかなんで。この辺りだったんじゃないかなと思います。全然姿が変わってて…。で、この道を挟んで、向かい側に大家さんが住んでた。毎月家賃をそこへ持って行って。
ききて)手渡しだったんですね。家賃おいくらぐらいだったんですかね。
坂上さん)えー、2万8千円とか。
ききて)結構安いですね。
坂上さん)そういうのがあったんですよね。木造の古い学生用のアパートで、風呂もないんですよ。
ききて)どうされてたんですか。
坂上さん)歩いて行けるところに銭湯があっちにもあったし、こっちにもあった。学生はみんな銭湯行ってましたからね。250円とかね。220円のところがあるとかって。安い場所に行こうとかって言ってたような。このあたり5軒とかぐらいはありましたよ。
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(写真:焼け落ちた西尾荘 1995年3月19日撮影 (C)ニュースネット委員会)
「西尾荘は、このあたりだよなー」「つぶれて、燃えたんですよ」
坂上さん)このあたりだよな~と思うんですけど。この向かい側にはクリーニング屋があってね、とかいうのは覚えてるんですけど。この一角だったろうなって思うんですけど。もう分かんなくなってますね、本当に。
ききて)(地図を見ながら)おそらくですね、この通路が、これもおそらく震災当時から変わってなくて。
坂上さん)やっぱりこれ。そうでしょうね。 これぐらいの(幅の)道がずっとあったんですよ。

(写真:西側の道路から西尾荘に入る通路 震災2か月後=左=と、現在の様子/1995年3月19日・2026年1月5日撮影 (C)ニュースネット委員会)
ききて)このお家に住んでおられた女性に以前お話を伺ったんですが、おそらく一部の土地が(元の西尾荘の敷地に)かかっているんですね。この一つ奥、左奥ぐらいが西尾荘があった場所だとおっしゃっていました。
坂上さん)そうですよね。この左奥ぐらいか…。
ききて)道が広くなって、区画整理されたので、正確な位置がずれるんだと思うんですよね。
坂上さん)この辺りはね、(アパートや住宅が)つぶれて燃えたんですよ、全部。西尾荘自体も燃えてしまいましたからね。
歩いて5分ぐらいのところに、櫻井さんの住んでいた安田文化があった
坂上さん)友達(の櫻井英二さん)が住んでいたのが、もうちょっとこっち(北西側)なんですよ。
ききて)西尾荘から徒歩何分くらい?
坂上さん)5分くらいですね。多かったんですよ、このあたり学生(の住んでいたアパート)が。たぶんこっちなんですけどねえ…。

(写真:灘区六甲町で)
亡くなったK先輩の文化住宅もこのあたりだった
坂上さん)(ユースサイクリング部の先輩の)Kさんもこの辺りだったんじゃないかなと思うんですけど。
ききて)公園の北西角くらいです。(編集部注:Kさんの住んでいたのは六甲町2丁目の杉本文化1階)
坂上さん)ですよね。
坂上さん)(櫻井さんが住んでいたのは)この道…だったかな。この辺りだったんですよ。この道ももっと狭かったんですけど、その道からすぐその辺りに見えていたはずなんですよ。 多分その辺りだったんじゃないかなと思うんですけど。

(写真:櫻井さんが住んでいたアパートのあったあたりを山手幹線の北側から望む 2026年1月5日撮影)
櫻井さんが住んでいたアパート 「たぶん、ここで間違いない」
坂上さん)これ、この道じゃないかな。
ききて)当時の住所表記だと、櫻井さんのところは六甲町5丁目7だったんですよ。
坂上さん)じゃあもうちょいこっちだな。
ききて)今の地図でもこっち側の一帯が5-7あたりで間違いないので…たぶんここで間違いない。
坂上さん)そうですね。やっぱりあそこの交差点からこれぐらいの距離で、うんちょっと狭い道だったんですけどね。 この通りから家が見える。で、一番端だったんで。ちょっと下がったところだったんですけどね。
ききて)おそらくこのマンションのうちいくつかは当時のまんまのはずなんです。 特にエネオスのガソリンスタンドの先の茶色い高いマンションや奥のマンションなんかは、震災当時のままのはずですね。
坂上さん)そうなんですね。

(写真:灘区六甲町で 2025年11月23日)
櫻井さんは免許をとって、友人の大型バイクを借りて走り回っていた
ききて)櫻井さんは、原付を持ってたんですかね
坂上さん)原付は普段の足で使ってたんですよ。で、今度就職が銀行に決まって、銀行って得意先回りじゃないですけど、バイクの免許を取りなさいっていうのがあって。それで取りに行ったんですよ。で、それが、まあ125取ればいいんですけど、400まで乗れる免許を取って。まあどうせならって。その時にちょうどバイクを持っている友達がいたんで。で、それを借りてなんぼか走り回ってたと。免許を取ったばっかりの時に。
坂上さん)この辺りに昔はファミリーマートがあったんですけど。あのバス停のね、手前ぐらいじゃなかったかなと思うんですけど。
ききて)夜中とか、買いに行かれたりしたんですかね。
坂上さん)はい(笑)それはそうです。 昼、夜はあんまり関係ない生活をしてましたからね。学生さん大体そうですよね。
ききて)結構忙しかったんですか?法学部って。
坂上さん)いやいや(笑)卒論もなければ何もないみたいな感じなんで。法学部だけですかね。そういう意味で一番怠けてるとこなんじゃないかと思って(笑)。
山手幹線沿いには、当時ファミリーマートや電器店があった
ききて)このビデオ屋さん、その奥、信用組合ですか? 前からあったんですか?
坂上さん)いや、なかったですね。その代わり電器屋がこの辺りにあったと思うんですよ。あそこの角のコープは前からありましたよね。
ききて)結構普段の買い物はここでしてたんですか?
坂上さん)してました。自炊はほとんどしてなかったからね。 いろんな弁当を買ってきたり。何人かでごはん食べに行ったりっていうのはしてましたね。
ききて)仲のいいグループみたいな。
ユースサイクリング同好会は3人が震災で亡くなった
坂上さん)サークルの友達とかと一緒に遊んだりはしてましたんで。
ききて)サークルはどこだったんですか?
坂上さん)ユースサイクリング同好会って言って、Kさんも僕の一個先輩なんで。それと、2個下の細井っていう女の子も、うちのサークルだったんで。
ききて)ユースサイクリング同好会が一番亡くなった方が多かったですよね。
坂上さん)3人ですね。
ききて)愛媛まで櫻井さんが自転車で帰ったと、インタビュー記事にありました。四国まで一緒に帰ったりとかはなかったんですか?
坂上さん)いや…(笑)鹿児島行った時でしょうね、きっと。
ききて)鹿児島まで自転車で?
坂上さん)はい。四国から大分へ渡って、で鹿児島へ行ったことがある。
ききて)すごい長い旅でしたね。
坂上さん)いや、まああの、そういうサークルだったんで。でもその時はね、ちょっと無茶をしてね(笑)スケジュールがむちゃくちゃだったんで。
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(写真:ユースサイクリング同好会の仲間と 1993年3月31日 大分県別府温泉の坊主地獄で 一部画像を加工しています 坂上さん提供)
合宿では自転車で鹿児島まで行った
坂上さん)サークルの合宿があったんですけど、合宿って単なる旅行です。自転車でどこかからどこかへ旅行すると。その時はちょうど鹿児島集合。現地までは自由にきてね、っていう感じだったんですけど。
ききて)現地集合だった?
坂上さん)鹿児島へ行くのに、(四国の)八幡浜からフェリーで大分へ渡って、それが夜中に着くんですけど。そのまま自転車で走って、一泊だけして鹿児島へ行く予定してたんですけど、集合時間に間に合わなくてね(笑)。2日目の晩、遅くなってしもうて。みんな集合場所で宿を取って、待ってるんですけど。俺らが来ないから、あいつらどうしたんだって。
ききて)当時、携帯電話とかなかった?
坂上さん)電話は途中で何回か、公衆電話からかけたかなと思うんですけど、これくらいの時間で着けると思いますっていう時間に、まだだいぶ遅くなってしもうて。
ききて)それがいつくらいですか?
坂上さん)2回生になるときの春休みでした。
ききて)当時の学生は、ここらへんで遊ぶってなったらどういうことをされてたんですか?
坂上さん)まあ麻雀は、ようしてましたね。で、あと飲み会をしたりとか。
ききて)櫻井さんはお酒強かったですか?
坂上さん)嫌いじゃなかったと思いますけど。付き合いは良かったんで。

(写真:ユースサイクリング時代の櫻井英二さん=左=と坂上さん 1993年8月14日 黒部ダムで)
同じユースサイクリング同好会に入った2人
ききて)どうしてサイクリングのサークルに入ろうって思ったんですか?
坂上さん)何だろうかな。大学行ってサークル入るよね~みたいな感じで。何が良いか何が良いって言ってる中で、サイクリング良いなっていう話になったんですよね。
ききて)それはどうしてかは覚えていませんか?
坂上さん)どうしてかっていうのもなくて。なんとなく。
ききて)愛媛での高校生時代、部活とかは…?
坂上さん)帰宅部です。
ききて)2人ともですか?
坂上さん)はい。
ききて)この坂道は一緒に歩いたりはしましたか?
坂上さん)ああ、しました、しました。
ききて)何回も?
坂上さん)何回も、何回も(笑)ええ。最初に一緒に歩いたのが入試のときですよ。

(写真:六甲八幡神社の境内横を歩きながら 2025年11月23日)
入試の下見 櫻井さんとこの坂を初めて歩いた
ききて)入試のとき?
坂上さん)入試の下見でこのここら辺の道を歩きましたね。
ききて)2人で愛媛から?
坂上さん)そうですね、はい。
ききて)宿はどこにとったんですか?
坂上さん)えっとね、…まあ三宮だったんだろうなと思います。
ききて)ビジネスホテルみたいなところで?
坂上さん)はい。
ききて)櫻井さんってどんな方だったんですか?
坂上さん)ああ。真面目で…ま、頭の回転が早かったっていうのかな。
ききて)結構、就職先なこととかは話されたりとかしてたんですか?
坂上さん)いや、そういう話はね、お互いあえてしなかったですね。
ききて)そうなんですね。
坂上さん)いやいや、だからね、どこの大学を行くって話もしなかったんですよ。
ききて)しなかったんですか? それなのに二人とも一緒の大学だったんですか?
坂上さん)たまたま。学部は大体そっちだろうなと思ってたんですけど。

(写真:神戸学生青年センターの室内でインタビューに応じる坂上さん 2025年11月23日)
<神戸学生青年センターの室内でインタビューは続く>
1月17日未明、地震の直前は深夜ドライブに出かけていた
ききて)地震が起きた1995年1月17日ですね、この日の朝は寝ていらしゃった?
坂上さん)起きてました。
ききて)起きていた?
坂上さん)まあ学生ですよね。当時、友達と夜中にドライブ行こうって(笑)。でも僕は、インフルエンザが治りかけぐらいで、遊びに行けるぐらいの元気はあったんですけど。ドライブ行こうっていってドライブ行って。
ききて)4人の名前は覚えてらっしゃいますか?
坂上さん)サークルの友人で工学部のYさんと、法学部でゼミの友人のSくんと、もう一人がねちょっとすぐ出てこないんですけど。
ききて)どこへ?
坂上さん)(阪神高速の)湾岸線を走りましたね。ゼミの友達が車持ってたんで、ゼミの友達が2人と、それから同じサークルの友達が1人で、車で行こうと。
ききて)何時頃ですか?
坂上さん)12時とか1時。夜中ですよもう。
ききて)17日になってすぐぐらいですね。
「櫻井の部屋の電気は消えていたので、誘わなかった…」
坂上さん)はい。だったと思うんですけど。いや、もうちょい早い時間からだったかな。ごめんなさいそこの時間覚えてないんですけど。それで、櫻井が起きとったら誘って行こうやっていって、さっきのあの通りから(櫻井さんの部屋の窓を)見たんですよ。ただ、電気消えてたのね。
ききて)アパートの。
坂上さん)はい。ああ寝とるわって言って。…………ごめんなさい…ダメかもしれない……(涙をこらえる坂上さん)……ダメですね……電気ついてたらね、 誘って行ってたはずなんですね。

(写真:2025年11月23日 神戸学生青年センターで)
坂上さん)……ごめんなさいね……(眼鏡を外し、涙をぬぐう坂上さん)……ごめんなさい。思い出すのしんどいことが、時々あるんですよ。うん。それで、ドライブして帰ってきて、僕の部屋に寄って。
ききて)何時頃帰って来られました?
坂上さん)分かんない…午前4時とかぐらいじゃないですかね。で、その後、部屋の中で話をしてて。
ききて)何人でした?
坂上さん)4人。ゼミの友達2人と、サークルの友達1人で、4人で話をしてて。
坂上さん)他愛もない話で。明け方、部屋に(4人で)帰ってきて、途中でコンビニに誰か買い物行こうって言ってて。さっきのファミリーマートに行くときに、空が明るかったんですよ。
ききて)コンビニに行ったのはまだ、夜明け前?
坂上さん)5時とか4時半とかじゃないかと思うんですけど。後から見た新聞で、 地震の予兆で空が明るくなることがあるというのを見たことがあって、あっ、あれのことだったんだろうかって後から思った時はあったんですけど。
坂上さん)そしたら揺れ始めましてね。
最初はコトコトコト…っていう揺れだった
坂上さん)最初はコトコトコト…っていう感じで、その時には最近ちょっと地震多いなーみたいな話をしてて。僕は(その時)タバコを吸ってて、揺れが止まらんなーと思って、タバコ消す時間があったんで。で、消してしばらくしたら、ドーンっていう…ドーンっていうか、ドーンじゃないんだね。揺れが激しくなってきたんですよね。で、揺れが激しくなって、電気が消えたのか。で、電気が消えたぐらいから、もうすっごい揺れになって。で、途中の揺れてる最中に、家がガターんと落ちました。

激しい揺れ 床がガターんと落ちた
ききて)落ちたというのは、そのまま落ちたんですか?斜めに?
坂上さん)いや、斜めに落ちました。だから、僕は北の部屋におったんですけど、 南側が落ちました。南側が廊下で、古いアパートなんで、(一階に)入り口があって、そこで靴を脱いで、裸足で上がっていくような感じのとこで。もうドアもベニヤ板のようなドアで、ボタン式の簡単な鍵が付いているようなとこだったんですけど。それがガンて落ちたと。
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(図版:坂上さんの部屋の状況 床が落ちただけではなく、おそらくアパートの駆体全体が歪んで倒壊したものと考えられる)
ききて)4人はどうなったんですか?
坂上さん)そこで座ってたんで、もうそのままの状態ではあったんですけども。
ききて)床が傾いちゃった?
坂上さん)そうですね。傾いた。
ききて)その後、どう行動されたんですか?
坂上さん)もう放心状態ですよね。で、んーこれは弱っちゃったなーっていう中で、部屋傾いてるんで、出られるかなと思って、ドアを開けに行ったんですけど、ドア開かないんですよね。開かないんで、ドアを蹴った。蹴って、無理やり開けたら、部屋の上に廊下が波打っているんです。で、こっち側、私から見て東側に階段があったんです。階段だけポコッと浮いているような感じで。
ドアを蹴って開けたら、廊下が部屋より上にあった
坂上さん)もうこりゃ出れんわというような感じで、どうするかなーっていうとこだったんですよね。途中でそんなことをしていると、またガタガタって(余震が)来たりして、というのがあったんですけど。で、北側に窓があったんで、その窓を開けて。
ききて)それは、廊下とは反対側ですね。
坂上さん)反対側ですね、南側が廊下だったんで。北側。北側に窓があって向かいのマンションとこれぐらいしか離れてなかったんですけど。
(両手で幅を示す坂上さん)
北側の窓から外を見たら東の方に火柱が見えた
坂上さん)窓から外を見たら東の空が明るいんです。もう燃えてるんです。もう火柱が立っているような形で。そんなに時間経っていないのに。多分あそこの商店街のあたりが燃えていたんだろうなと。こりゃあ逃げんといけんわって。
ききて)炎との距離は、どれくらい近かったですか?
坂上さん)これは逃げないと、すぐにこっちまで燃え移ってきそうだな、っていう 感じだったんで。100メートル 200メートルの世界じゃないかな?とは思います。遠くの火事って意味じゃないです。これはもう逃げないと、すぐこっちまで来るよって感じでした。
窓から北隣のマンションに脱出
坂上さん)隣の部屋に人が、同い年の同級生の人がいて、その人と顔見知りだったんですよ。Oさん。学部は、経済か経営だったか。で、窓を開けたら、その人も家にいたんでしょうね。たぶん何か話を交わしたような感じ。
ききて)Oさんとも顔を合わせた?
坂上さん)窓越しにみたいな感じで。それで、どうするって言ったら、北側にマンションがある。3階建てか4階建ての。
ききて)鉄筋ですか?
坂上さん)鉄筋です。で、その家の人に声をかけて。「すみません」って。窓を開けてくれて、「こっち出れないんで、移らしてください」って言って。じゃあ「どうぞ」って言って。
ききて)それは男の人?女の人?
坂上さん)ご家族でしたね。奥さんと娘さんがいらっしゃったかな。もう「あそこ燃えてるんで、移らしてください」って言って。で、移って、でも(外には)出ないほうがいいとか、出たほうがいいとかっていうようなことではあったんだけど、それで出さしてもらって。
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友人と六甲小学校に避難する
坂上さん)まずは小学校へ行って。何でか分かんないけど、小学校へ行くもんだと思ってたんですよね。
ききて)避難所として?
坂上さん)避難所として。小学校行ってみようかって言って、小学校へ行ってみたら、体育館はまだ開いてないですけど、でも、人が三々五々集まってきているような感じで。どうなんだろうなー、でも他の人が気になるしなー、どうしたもんかなーって、しばらくそこにいたんですけど。
ききて)4人の行動は一緒?
坂上さん)そこまでは4人一緒だったんですけど。
起きていて、メガネをかけていたから脱出できた
ききて)靴とかはどうされたんですか?
坂上さん)部屋の入り口に靴を置くところがあって、置いてたんですよ。で、それを、部屋の中で、この辺りにあるからと(手探りで)、もうサイズも合わんけどとりあえず4人分だけ渡して。
ききて)停電してたんですか?
坂上さん)はい、真っ暗な中で。あと、起きててよかったなっていうのが、私目が悪いんで、メガネがあったっていう。
ききて)かけたまま?
坂上さん)かけたままだったんですよ。あれメガネなかったらまた、どうだっただろうなとは思ってはいるんですけども。もうメガネがあっただけで、全然(その後の行動が違っていた)。
ききて)小学校はこの最寄りですか?六甲小学校?
坂上さん)六甲小学校に行ったんだと思います。
ききて)そこにどれくらいいましたか?
坂上さん)明るくなるまでなんで、1時間もいなかったんじゃないですかね。別にどこも悪くもないしっていうので。怪我もしてなくて。自分の部屋はそんな状況ですから、他の人もどうかなって。
ききて)服装はどんな格好でした?
坂上さん)それも、その辺りにあるものを掴んで、みんなに渡してっていうような形で、そんな寒いような格好でもなかったですね。で、しばらくして明るくなったんで。ゼミの友達っていうのは、芦屋の自宅とかに住んでる子だったので、だから車も持ってたんですけど。家の方へ帰るわって言って(帰っていった)。
ききて)その人はいっしょだった人ですね?
坂上さん)4人のうちの2人が(帰った)。
ゼミの友人2人は車で芦屋や大阪に帰って行った
ききて)1台の車で来てたんですか。
坂上さん)はい。芦屋とかもしくは大阪の方の子だったんで、家に1回帰るわって言って(帰っていった)。もう1人サークルの友達と(2人で)、みんなの様子を見て回りましょうって言って、 そこから歩き始めたのが、多分7時とかぐらいじゃないかなと。
ききて)一緒に行動したサイクリング同好会の友人が?
坂上さん)Yさんです。

残った友人と2人でサークル仲間の安否確認に回り始めた
ききて)サイクリング同好会の仲間の安否確認をしよういうことになったんですね?
坂上さん)はい。(まず)近い櫻井のとこ行って。その時には、家はひしゃげていたんですけど、バイクがなかったんで、どっか行っとるかもしれん、ということで。
坂上さん)次に別のところへ行こうっていう。多分なんですけど、そこからちょっと北へ行ったところに住んでる子がいて、そこは結構しっかりしたマンションだったんですよ。
ききて)道路(山手幹線)よりも山側ですね。
坂上さん)山側ですね。そこへ行ったら、そいつはあんまし状況を理解していなくて、自分の家がなんともなくて、部屋の中は(物が落ちたりして)多少荒れているけど、まあそれぐらいやったら面倒くせえなあぐらいで思っていたようで。で、他のところ見に行こうと言って、3人になった。誰のとこ行くかなと言って、またアパートに住んでいるのがいるんで、そこへ行ったんですよ。そこの子も大丈夫だった。
立ち寄ったみゆき荘は電話が通じていて、朝8時すぎに実家に連絡
ききて)アパートも大丈夫でした?
坂上さん)大丈夫でした。
ききて)何町ぐらいですかね?
坂上さん)駅よりもね、たぶん東でね。みゆき荘っていう。そこへ行ったときに、たまたま電話が通じたんですよね。
ききて)どこにあった電話ですか。
坂上さん)その友達の家にあった電話がかけられた。そしたら実家にだけ電話しとこうって言って、3人順番に電話をしました。
ききて)みゆき荘から電話を。
坂上さん)はい。で、もう「とりあえず無事だから」っていうことを言うだけのつもりでいたら、みんなそのつもりだけで、電話がどんだけ使えるかわからんし、3人掛けにはいけんし、っていうところではあるんですけど、でも向こうは色々聞きたいしっていうて、なかなか順番が回ってこんかったり、っていうことがあったんですけど。
ききて)坂上さんのご実家にはつながりました?
坂上さん)つながりました。で、そのときは親もニュースを見て状況は知ってたんで、ああそうか、とりあえず無事だから、さよならっていう感じで。
ききて)何時頃ですかね。
坂上さん)午前8時か8時半ぐらいだったんじゃないかなって思います。それを覚えてないんですけど、親が後から言ってましたからね。そこで電話がかけられた。
ききて)安心されたでしょう。

次のアパートでは、足が埋まったままの友人が
坂上さん)で、また次のほかのところに行って。次のところへ行ったときに、外壁が身体のここ(胸の辺り)まで友達が埋まってたんですよ。意識はあるんです。で、そこでもうどうしようもないんですよね。僕らいても。
ききて)見えてるわけですか?
坂上さん)見えてる。で、意識もある。で、大丈夫かって(聞いたら)大丈夫って。
坂上さん)でも動けないって言って。そうかって言って。じゃあ誰か助けに来てくれるまでどうしようもねえよなーって言って。そこで何時間か経ちました。
ききて)アパートが大体どの辺りですかね?
坂上さん)こっちの方だったと思うんですよ(手元の地図を指さす坂上さん)。
ききて)御影側ですね。
坂上さん)えぇ。Tっていう友達が住んでた。
ききて)そこでT君が埋まってた。
坂上さん)上半身は見えてた。足が埋まってた。
ききて)T君もユースサイクリングの同じ学年?
坂上さん)うん、同級生。経済学部の。
2時間ほどしたら、意識が混濁し始めた
坂上さん)本人は何ともないって言うんですよ。でも動けない。僕らもう何もできないんで。じきに助けは来るだろうから、そこで寒くないかとか言ってたら。2時間ほどしたんでしょうかね。ちょっと意識が朦朧とし始めたというか、おかしくなったんで。そうしたら周りの人たちが、大人の方たちがね、埋まっててそんな状況なら助けちゃらんといけんって言って。ノコギリを持ってきてくれたりとか何とかして、引っ張り出してくれた。で、畳に乗せて、軽トラに乗せて。運び込まれたのが、金沢病院。

(写真:現在の金沢病院 2026年1月10日 神戸市灘区神ノ木通4)
ノコギリ使って助け出して、金沢病院に担ぎ込んだ
坂上さん)金沢病院は、もうそりゃあ運び込まれた人ばっかりですよね。廊下へ置かれて。札で「骨折」かなんかって貼られて。それで寝かされてたっていう。病院に運ばれたんで、まあ大丈夫かって。
ききて)T君はどこの出身ですか。
坂上さん)大分です。誰がどこに連絡したのかわからないんですけど、次の日には、お母さんが大分からやってきてましたね。
坂上さん)金沢病院からしばらくしてすぐ大分の方へ帰ったと思います。で、大分の病院で、かなり療養したんだと思いますね。結局、クラッシュ症候群だった。あの震災で(クラッシュ症候群は)有名になった。だいぶ、(治るまでに)半年くらいかかったんじゃないかな。
ききて)4年生でしょ、同学年。就職はどうなったんですか。
坂上さん)就職決まってたんですよ。入社を待ってもらえて。
ききて)どういう関係に進まれました?
坂上さん)はい、飲料メーカーに行って。今はもうそこ辞めて大分で公務員をしてますね。
【編集部注】クラッシュ症候群(挫滅症候群):長時間、腕や足が重量物に挟まれて圧迫を受けると、筋肉が損傷を受け組織の一部が壊死する。その後、圧迫から解放されると、壊死した筋細胞からカリウム、ミオグロビンなどが血液中に大量に漏れ出し、心停止や急性腎不全を起こす病態。阪神・淡路大震災では、救出時には元気そうに見えた人が、しばらくして黒っぽい尿が出たり、意識を失ったりして急変し、亡くなる事例が複数報告された。
ききて)よかったですね、朦朧とし始めたときに手を打って。
坂上さん)でももう本当に僕は無力でした。道具もないし、やっぱり知恵もなかった。
ききて)じゃあそこで2時間以上はいましたね?
坂上さん)もっといたんでしょうね。病院に運ばれた時にはもう夕方ぐらいになっとったんかな。もうそこらへんの時間の感覚がおかしいんですけど。
夕方になって西尾荘に戻ったら、焼けてなにもない
ききて)じゃあだんだん日が暮れてきました?
坂上さん)たぶんTのとこで長いことおったんで、そこで人が集まってきたかなぁ何人か。
ききて)サークルの仲間が。
坂上さん)はい。みんな順番でいろんなとこ回ってるんでみたいな形で。
ききて)そういう仲間を気遣うっていう人がいないと、そのままになってた可能性もあるから、やっぱりサークルの仲間は大事ですよね。
坂上さん)はい。で、金沢病院に行ってる時に初めて西尾荘へ戻ったんですよ。
ききて)ご自分のアパート?
坂上さん)はい。
ききて)朝以来ですね。
坂上さん)はい。
坂上さん)そしたらもう焼け野原。何もない。で、その飛び移らせてもらった(鉄筋コンクリートの)アパートだけ、形が残ってるような格好でしてた。
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(写真:焼け落ちた西尾荘と北側の鉄筋のアパート 1995年3月19日撮影 (C)ニュースネット委員会)
焼け跡で笑っていたら「ここで何人も亡くなったんじゃ」と叱られた
ききて)北側の鉄筋のアパートも焼けた?
坂上さん)焼けてたんでしょうね。で、僕その時まで何も知らなかったんですよ。
ききて)西尾荘がその後どうなってるか?
坂上さん)はい。で、「あはは、焼けてしもうた、あはは」って笑って、友達と。そしたらもう、叱られましたね。叱られたんですよ。
ききて)誰にですか?
坂本さん)そこにいた人に。「ここで何人も人が亡くなったんじゃ」と。すみませんって言って…。全然知らなかったんでね。
ききて)そうだっだんですね。
友人たちと小学校に戻ったら避難の人でいっぱいになっていた
坂上さん)で、それでその後、病院に行ったりウロウロして、もう暮れてくるんで、まあ小学校行こうかって言って。でも体育館には入れずに廊下で寝ました。それほど、人がいっぱいいたんで。
ききて)お仲間も?
坂上さん)仲間何人も。
ききて)相当もう疲労と緊張があったでしょうね。その一日はね。
坂上さん)あんまそれもなかったのかなあ。感じなかったですね。
18日の朝 配給のおにぎりがおいしかった
ききて)眠れました?
坂上さん)寝てましたね。廊下で。で、次の日の朝に 。
ききて)次の日、1月18日の朝ですね?
坂上さん)はい。 そのタイミングで、配給のおにぎりが届いたんですよ。あれがおいしかったんですよ。腹減ってたんでしょうね。
ききて)じゃあ、そこまで飲まず食わず…?
坂上さん)それはもう。そんな余裕もなかったし。そもそも何もないし。まあ1日ぐらい飲まず食わずでも何も、何か飲んでたのかな、どうかな、でも何も食べてはなかったですね。
消息のわからない櫻井さんがずっと心配だった
ききて)でもお仲間がいたから、ちょっと紛れていたのかもしれませんね。
坂上さん)たぶんね、見つかってないことの方が心配だったんですよ。
ききて)じゃあ櫻井君のことはずっと気になって…。
坂上さん)ですよね。たぶん、それが一番あったと思います。
ききて)バイクがない、どこかに行ってたと思いたい気持ちはあるけど、彼とはまだ会ってない。
18日夕方 後輩の細井さんが倒壊した下宿で見つかったとの情報
坂上さん)はい。次の日もウロウロしたんでしょうね。フラフラしてて。で、そうしていると、Hのところの話が入ってきまして。
ききて)同じユースサイクリング同好会の女性ですね。
坂上さん)はい、2つ下の農学部の。
ききて)Hさんの情報が入ってきた?
坂上さん)そこも家が潰れてたんだけど、サイクリングの同級生の男の子が、だいたいどこへ寝とるかっていうのは知ってたんで、そこのあたりを探ってみたら、体があったって言って。
4人の神戸大生が亡くなった岩田文化アパート
ききて)Hさんが、だめだったていうことが?
坂上さん)うん、そこへみんなで集まったのを覚えてる。
ききて)Hさんはまだ救出はされてない?
坂上さん)出てきてもなかった。もうそんなこともできるような状況ではなかったですね。
ききて)Hさんが住んでいたのは、記録を見ると灘区備後町の岩田文化ですね。神戸大生がいちばんたくさん亡くなったアパートです。4人亡くなっている。

(写真:岩田文化の跡地 2025年11月24日撮影 (C)ニュースネット委員会)
【被災した下宿跡を訪ねて】31年後のいまも更地のまま 4人が亡くなった岩田文化住宅跡(2026年1月11日)
18日の夜 友人の丈夫なマンションに泊めてもらった
坂上さん)それが2日目の夕方ぐらいだったと思うんですけど。
ききて)その後はどうなりました?
坂上さん)2日目の夜、僕はマンションに住んでた子のところに泊まらせてもらったんですよ。もう、小学校じゃなくて。
ききて)それはどのあたり?
坂上さん)Iという、最初の、1日目の時に櫻井のとこに行った次の家です。まだ寝てたっていう。
ききて)(山手幹線の北側の)丈夫なマンションだったからあまり事態を吞み込めてなかった彼ですね?
19日朝 ドアをガンガンって叩く音で目が覚める
ききて)ぐっすりと眠りましたか?
坂上さん)まあ、寝れた。寝てたんだろうな。
ききて)それで3日目の19日朝になります。
坂上さん)朝ね、Iの家のスチールのドアをね、ガンガンガンって叩く音で目が覚めた。起こされた。
ききて)マンションのドアを誰かが叩いている、ドアを。
坂上さん)で、なんだろうかと思ったら、後輩が、今、櫻井の親が来て引っ張り出していると。
両親らが、倒壊現場から櫻井さんを引っ張り出そうとしていた
ききて)櫻井君の親御さんが来てると、現場に。
坂上さん)で、引っ張り出そうとしてるって教えてくれたんです。1年後輩の子だったと思うんですけど。
ききて)で、駆けつけるわけですね。
坂上さん)僕らが行ってしばらくしたら(倒壊現場から櫻井さんが)出てきたんですけどね 。で、その時初めて、櫻井君のお母さんにもお父さんにも会いました。
お母さんが櫻井さんのドイツ語の辞書をくれた
坂上さん)で、お母さんも混乱してんたんでしょうね。あの、家の中から出てくる辞書とか、スーツとかみんなにくれるんですよ。で、僕は今でもドイツ語の辞書持っています。
ききて)そのときお母さんはどんな状態でしたか?
坂上さん)もうパニックでしょうね。もう、受け入れたくないし、っていうのもあったんでしょうね。これもうあげるって言って。誰に何を渡したかも分かっていないんだろうな。
坂上さん)しばらくしたら出てきて。お父さんとお母さんが、「まだ体が暖かい」って…。(目をつぶる坂上さん)
坂上さん)そこから先は僕も行ってはないんですけど。、どっかの体育館に運ばれて、で検視をして、で四国へ戻るということになったんで 。でもうその時は、僕はもうすぐにでも戻れるもんだと思ってたんで、もう出てきたら帰ろうと思って……。
(写真下:櫻井さんのお母さんから倒壊現場でもらったドイツ語の辞書は、今も大切に持っている 坂上さん提供)
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坂上義典さん(当時 法・4年)の証言<前編>=https://x.gd/jCazU
坂上義典さん(当時 法・4年)の証言<後編>=https://x.gd/ZuDzm
(2025年11月23日インタビュー、きき手:奥田百合子、本田愛喜、成瀬泉、田中博朗、撮影:久保田一輝)
【慰霊碑の向こうに】15 故・櫻井英二さん(当時法学部4年)<前編>=
https://x.gd/Y9Hzy
【慰霊碑の向こうに】15 故・櫻井英二さん(当時法学部4年)<後編>=
https://x.gd/sl6jr
【震災特集1997】「震災から2年 下宿街は今…」=
https://kobe-u-newsnet.com/newsnet/sinsai/tokusyu97/
(1997年1月17日発行紙面をアップロード)
【震災特集1996】震災から1年「あなたのことを忘れない 神戸大学四十四人への追悼手記」=
https://kobe-u-newsnet.com/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm
(1996年1月17日発行紙面をアップロード)
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了
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