恩返しのために 白木健介さんの父・利周さん

 白木健介さん(当時=経済夜・3年)の父、利周さんは、「阪神淡路大震災『1.17希望の灯り』」(HANDS)の実行委員長として、東遊園地で活動し、多くの遺族らと共に震災犠牲者を追悼した。

 自分自身も被災者であるにもかかわらず、震災の傷が癒えない人々の心を癒すために忙しく歩き回っていた。利周さんは今年はHANDSの実行委員長を務めた。

 当時息子を亡くしており、「ここ(東遊園地)を訪れると17年前のことがよみがえりますね」と語っていた利周さんだったが、サポートに尽力。「私は震災直後に多くの皆様に支えていただいた。その恩返しを少しでもできれば」と言葉に力を込めて語った。

 また、利周さんは、昨年末に、岩手県陸前高田市にて「希望の灯り」を行ったりと、東日本大震災の復興にも力を注いでいる。今年の阪神・淡路大震災の希望の灯りでは、東日本大震災の被災者を招き、ともに追悼した。「皆で一緒に追悼させていただいた、そのことがすごく大きい」と利周さん。

 「東日本大震災で、いつ、どこで、何が起こるか分からないということを改めて再認識できた」と利周さんは話した。これからも恩返しのために、東北の支援を続けていくようだ。(記者=小野学)


【写真】白木健介さんの父、利周さん(写真手前)(1月17日・東遊園地で 撮影=片山孝章)



訪れた学生の思い 東遊園地「1・17のつどい」

 東遊園地で行われた「1・17のつどい」には多数の学生も訪れた。

・西田大悟さん(大阪学院大・3年)
 「東遊園地には2年前から来るようにしている。昨年東日本大震災が発生した時には、現地までボランティアに行き、募金活動にも協力した。そうした活動をする中で、阪神大震災の犠牲者たちのこともきちんと思い出そう、という意識が芽生えた」。

・西田昇平さん (神戸医療福祉大・3年)
 「医療を学んでいる立場として、多くの方が亡くなった阪神大震災は無視できない。今回追悼行事に参加して、改めて17年の早さを感じた。阪神大震災では東北の人たちにも助けてもらったので、東日本大震災で被災された方には恩返しの意味も込めて支援しなければいけないと、使命感のようなものを感じている」。



「震災」のバトンパス 加藤貴光さんの母・りつこさん

 広島在住の加藤りつこさんは、息子である貴光さん(当時=法・2年)を阪神・淡路大震災で亡くした。17年目の今年は早朝に東遊園地で黙とう、昼には神戸大の慰霊祭で献花した。17年経った今でも、1月17日だけでなく毎日、当然のように貴光さんのことを思い出す。

 しかし、時が経つにつれて風化していると感じるものがあるという。絆やぬくもりだ。「震災直後の当時は、困っている人がいたら知らない人でも助け合うような空気があった。でも建物や街並みが元に戻っていくにつれて、そういうものが冷めてなくなっていっている気がする」と嘆く。

 そんな加藤さんは普段、講演などで震災の体験を話すことを続けている。「いろんなことを話すけども、聞いてもらって終わりというのは悲しい。聞いた1人ひとりがさらにほかの人にも伝えていかなければ、と思う。そうすれば私も無駄ではなかったと思える」と語った。風化を感じているからこその思いだ。

 また東遊園地に毎年配置される、「1.17」とあしらわれた竹灯ろうだが、加藤さんによるとだんだん小さくなっているという。「5年10年という区切りごとに、だんだんと小さくなっている。だんだんと式典に来る人も減るという風に思われているのかもしれません」と話した。

 しかし今回、初めて式典の準備を手伝う中で、多くの学生がボランティアで一緒に手伝う様子を見て安堵感を覚えたそうだ。「若い人が積極的に関わろうとしてくれてありがたい。個人的にこれからも若い人を応援してるので、続けてもらえたら」と、期待をよせている。(記者=香月隆彰)


【写真】5時46分、黙とうするりつこさん(1月17日・東遊園地で 撮影=伊藤寛幸)



神戸大慰霊碑で献花・黙とう 参列者のコメント

 六甲台キャンパスの慰霊碑前で、17日の午後0時30分から献花・黙とうが行われ、多数の関係者が訪れた。


参列されたご遺族のお話

・藤原信宏さん(当時=経済・4年)の父、宏美さん
 昨年、東日本大震災が起こってメディアは私たちに(どのような心境かと)尋ねるが、震災で大切な人を亡くすのは、人それぞれの辛さがある。何もないに越したことはなかった。悲しみは薄れることはないが、自分でさえ、記憶は失われていく。阪神淡路大震災を忘れないためにも1月17日だけは神戸に通い続けようと思う。

・森渉さん(当時=法・4年)の父、茂隆さん
 17年たったが、まだ震災は昨日のような感じ。今でも所々思い出す。

・母、尚江さん
 特に去年は大きな震災があったから頻繁に思いだした。世間的には東日本もあり阪神は忘れられがちだが、私たちにとっては違う。

・加藤貴光さん(当時=法・2年)の母、りつこさん
 この日というのは特別に悲しい日。昨日息子が当時住んでいたマンションの跡地を久々に訪れたが、涙が止まらなかった。命の尊さはなくなった人がいるからこそわかる。若い人達にはこれからも語り継いでいって欲しい。

・桜井英二さん(当時=法・4年)の姉、都築和子さん
 毎年、阪急六甲駅から神戸大学まで歩き、その途中で1年を振り返り、今年過ごした1年を弟に報告している。このような場があることは非常にありがたいこと。神戸にいる限りはずっと来ようと思っている。

・競基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)の父、和巳さん
 東遊園地は震災のイベントはあっても、そこに息子の足跡や生きた証がが残っているわけではない。ここの場合は通った大学で、ちゃんと彼の終焉の土地ということになるわけだから、それにこうして来れたのはよかった。

・母、恵美子さん
 彼が勉強を学んだ場所として神戸大はあるので、会いに来るという意味でこの慰霊祭は大切。ここに基弘さんがいたんだなあと感じることができる。

・戸梶道夫さん(当時=経営・2年)の母、栄子さん
 毎年ここに集まるメンバーの方々に会えるのを楽しみにしてここへ来ています。ここに来る人は皆遺族の方なので、思い出話もしやすいので。

・父、幸夫さん
17年たとうが思いはなかなか変わってくれない。まだ鮮明に当時を思い出すことができる。

・坂本竜一さん(当時=工・3年)の父、秀夫さん
 6年前までは神戸に住んでいたが、今は北のほうへ引っ越したので、今日は1年ぶりにここに来た。ニュースネットには、震災から5年目の時に大々的に協力した。当時はまだかなりしんどい時期だったが、あの頃くらいから災害を伝えようと考えるようになった。自分も災害には疎かった。でも、みんなもいつか災害が起きた時にどうするのかを考えるべき。下手をすれば今この瞬間にも地震が来るかもしれない。それを頭の隅に置いておくようにしてほしい。

・鈴木伸弘さん(当時=工・3年)の母、綾子さん
 震災から時間がたてばたつほど、自分はさらに昔への思い入れが深くなっていく。月日がたつほど子供への思いが募る。今年はこの慰霊祭が終わって初めて年明けを迎えた感じ。年々歳をとってはいくが、できる限りはこの慰霊祭に、これからも参加し続けたい。 同じ境遇の人たちとここでその息子の話ができるのでよい。なかなか普段からそんな話はできないからうれしい。

・中村公治さん(当時=経営・3年)の母、房江さん
 17年たった後の子供の姿を想像できないのは寂しいけど、家族を震災で亡くすという同じ境遇の者同士が集まる機会があることは、お互い分かりあえるので心強い。

・今英人さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)の父、英男さん
 今年も来れた、という気持ち。(神戸大慰霊碑は)お墓とは違う、私たちにとって特別なところ。東日本大震災が怒って津波の怖さを知ったが、私たちにとっては阪神大震災の方が大きい。

・高見秀樹さん(当時=経済・3年)の母、初子さん
 震災の日のことは今もついこの間のことのように思い出される。今でもこの日を迎えると、当時の先輩や後輩が下宿跡に集まってくれたり、息子のことを知った神戸大の学生が線香を上げに来てくれたりと、本当に息子や私たちは幸せ者だと思う。息子のことを思ってくれている人がいる限り、来れる間はここに行き続けたい。


福田秀樹学長のコメント
 今年で17年たつが当時のことがよみがえる。今年は特に東日本大震災があり、オーバーラップして昨日起こったことのような気になる。(神戸大は)40名を超える学生・教職員が亡くなった。やすらかに、という気持ち。


【写真】黙とうを捧げる参列者ら(1月17日・六甲台キャンパスの慰霊碑前で 撮影=小野学)



学生が2つの震災つなぐ 東遊園地で缶バッジ展示

 神戸芸術工科大の学生らが1月17日、東遊園地であった「1.17のつどい」で、来場者からメッセージを集め、缶バッジを作り、展示した。12月の神戸ルミナリエに出展した際に、同じように集めた缶バッジも展示されており、テントの壁一面は、それぞれの想いが書かれた缶バッジで埋め尽くされていた。

 この活動は神戸芸工大の取り組み「ヒトキズナぷろじぇくと」の一環。このプロジェクトは、阪神淡路大震災を風化させないためにとの思いで、2010年に始まった。今年も昨年度に引き続き、神戸ルミナリエと「1.17のつどい」に参加した。

 今年の企画は、昨年発生した東日本大震災を受け、「何か少しでも出来ることはないか」と考えた結果、缶バッジを贈ることになった。「服やカバンに身につけられ、いつでもそばにいることができる形としてメッセージを残すことができる」のがその理由。集まったバッジは、今後、東北地方の子どもたちや、お年寄りに届けられる予定だという。

 和田祥子さん(神戸芸工大・4年)は昨年と比べて「被災地に行けないけれど何かしたい人と、被災地で応援を待っている人の橋渡しをするのが私たちの役目」と話した。(記者=鈴木太郎)


【写真】壁に並ぶカラフルな缶バッジ(1月17日・東遊園地テント内で 撮影=土井和樹)



17年目も「現吉」で集まる 競さんら

 阪神・淡路大震災で犠牲となった競基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)の親族や友人らが、震災から17年を迎える今年も居酒屋「現吉」(神戸市東灘区)に集まり、語り合った。昨年体調が悪く参加できなかった父・和巳さんも今年は参加することができた。

 「現吉」は学生時代基弘さんがアルバイトをしていた居酒屋。当時のマスターや基弘さんの友人らを交えた席での話は弾み、現吉は和やかな雰囲気だった。和巳さんは、「17年たったとは思えない感じ。気持ちは変わらない」と、今も変わらない思いを語った。

 また和巳さんは昨年3月11日の東日本大震災について、被災状況が明らかになるにつれ、同時に阪神・淡路大震災当時の記憶が蘇ってきたという。「阪神の教訓がきちんと生かされていないような人災を見ると、遺族は悲しくなる。経験を検証して生かしてほしい」と、神戸の被災者としての意見を述べた。

 時がたつにつれ、自然と薄れてしまう震災の記憶。さまざまな葛藤もあるが、震災のことをよく知らない人々の間でも、風化させてはいけないことだと和巳さんは話す。競さん一家の1月17日は変わることはない。(記者=片山孝章)


【写真】談笑する和巳さん(写真奥左)と恵美子さん(写真手前)ら(1月17日・居酒屋「現吉」で 撮影=田中郁考)



「私も協力します」 第4回震災に寄りそう集い

 東日本大震災へのボランティアについて報告、計画する「第4回震災に寄りそう集い」が、16日午後6時から発達科学部大会議室で行われた。報告の中で発表者が新たに組織を作ることを提案した時には、「私にも協力させて下さい!」という参加者からの声が上がり、ボランティアへの積極的な姿勢がうかがえた。

 震災に寄りそう集い自体は今までに3回行われていることもあり、今回は面識のあるメンバーが多く参加する中、和やかに始まった。また、用意されたお茶菓子の中には「べこっこロール」もあった。「べこっこロール」とは、福島県から神戸に母子避難してきている母親たちが自立の第一歩として売り出しているロールケーキ。細かな部分にも「被災者を支援したい」という意識の高さが見えた。

 まず始めに、鈴木一正さん(発達・3年)が個人で福島県大熊町でのボランティアに参加したことを報告した。テーマは「原発により故郷を追われた大熊町民との2週間」。託児ボランティアの活動が主な内容で、記録ノートを使っていることや、子ども達と一緒に絵付けを体験し教えたことを紹介した。また現地の人との交流の中で、「東京電力のせいで土地が汚染されてしまった。もう大熊町には戻らない」という怒りの声があがっていたことも明らかにした。発表の最後、新たな組織を作る案を発表し協力者を募ったところ、1人の参加者からすぐに「私にも協力させて下さい!」との声が上がっていた。その後は毎月実施されている「11えん募金」と「月一訪問隊」に関する報告が行われた。募金は既に岩手県大船渡市赤崎町の仮設住宅に置かれたベンチの製作に使われ、今後は現地の方と協力して慰霊碑の建立や、津波で紛失や損傷した観音像の制作にあてられる方針だ。12月24日から31日にかけて行われた「月一訪問隊」の発表の中では、今後に向けて「子どもとの交流がもっとあれば良かった」と具体的な意見も飛び出した。

 最後には、3月に行われる「弥生ワークキャンプ(第三次大船渡支援ワークキャンプ)」に向けた討議が行われた。3月11日の「大船渡・赤崎地区慰霊祭」などについて、途中教授や社会人の助言も受けながら、学生が中心となって意見を出し合った。目標は「被災者と参加者の両方が満足できるものにする」ことになった。

 なお現在、「弥生ワークキャンプ」への参加者を募集している。3月7日から14日の8日間にわたって行われ、参加費は約1万円。期限は1月31日まで。参加に関する問い合わせ先は、神戸大学ヒューマン・コミュニティ創成研究センター(078-803-7970)となっている。(記者=香月隆彰)


【写真】被災地での話を熱心に聞く参加者(11月16日・発達科学部大会議室で 撮影=香月隆彰)



「みんな忘れずにいるよ」 上野志乃さんの父、政志さん

1月17日午前5時46分。上野政志さんは娘の志乃さん(当時=発達・2年)が亡くなった灘区琵琶町の下宿跡で、政志さんが毎年作る竹灯ろうを前に黙とうを捧げた。

 当時、志乃さんは友人と夜遅くまで課題のレポートを作成していた。早朝ようやくレポートが完成し、友人と共にコタツで就寝した直後、地震で下宿が倒壊し、被災した。政志さんは、自分が納得するやり方で追悼したいからと、毎年中央区で開催されるつどいには参加せず、志乃さんが亡くなった下宿跡を訪れる。

 今まで、下宿跡の駐車場の傍らには「箱」と呼ばれる木製の慰霊碑が置かれていたが、昨年1月末から御影石を加工した慰霊碑を代わりに設置していた。しかし、新築工事の影響か、8月からその慰霊碑の行方がわからなくなっている。そのため、今年は農機具から作った3つのこけしと亡くなった3人の名前が入った板を置き、震災の日を迎えた。

 「忘れずにみんないるよ。今年も(この時間を共に過ごせて)よかったね」追悼時、志乃さんにそう語りかけた政志さんは「感謝の気持ち」を口にした。「忘れないで」「みんなに知ってほしい」という政志さんの強い思いが届いたのだろうか、「地域の人が花を置いたり、1人にならない環境を作ってくれる」のだという。少しずつでも確実に志乃さんの存在は守られている。

 1月11日には志乃さんの母校、神戸大で講演会を行い、逆縁のつらさと死から学ぶ生のすばらしさを伝えた。そして、「言葉より行動」を信条としている政志さんは、伝えるだけでなく、昨年の8月、東日本大震災で被害を受けた宮古市(岩手県)でボランティアを行った。

 17年もの歳月の中で、「(娘を)取り巻く環境を知れたし、死についていろんな分野で学ぶことができた」と自分を支えた志乃さんへの感謝の思いを打ち明けた。(記者=板東未弥)


【写真】下宿跡で黙とうを捧げる政志さん(1月17日・ニュー六甲ビラ跡地で 撮影=田中遼平)



”笑顔”で会いたいから 心の傷みに耐えて

 震災から17年目の1月17日。神戸大第35代応援団長の高見秀樹さん(当時経済・3年)が住んでいた盛華園アパート跡地のともだ公園(神戸市灘区)で、両親と応援団関係者が高見さんをしのび、黙とうをささげた。

 昨年はあいにくの大雪で高見さんの両親は来ることができなかったが、今年は父親の俊雄さんの運転で鳥取から神戸まで両親もかけつけ、応援団関係者とともに一人づつ線香をあげ、午前5時46分黙とうをした。「震災から17年たったが、まるでこの間のことのよう。」と母親の初子さんは話す。

 そんな母親の初子さんは昨年から農業をはじめた。福祉の資格もとり、ボランティア活動にも専念しているという。「そんなに頑張らなくてもいいじゃないと周りにいわれるけど、生きれる分は生きたい。亡くなった人の分まで頑張る。そして向こうで笑顔で息子に会えるようにしたい」。また、現代の若者の自殺者の多さから、「生きたくでも生きれない人がいる。がんばってほしい」と思いを語る。

 東日本大震災の話となると、「私たちと同じように息子を亡くしている人がいる」と涙ぐむ姿も見られた。

 死を悼む気持ちは年月を経ても変わらない。「”生きている”ということは”ふつう”じゃない」初子さんはそう言った。(記者=木村美咲)


【写真】黙とうをささげる初子さん(1月17日・ともだ公園で 撮影=小塚雄)



追悼式典行われる 神戸大深江キャンパス

 神戸大深江キャンパスでは午後0時30分から、神戸商船大学の犠牲者への追悼式典が行われた。学生や教職員ら約50人が参加し、慰霊碑に向けて手を合わせた。

 0時30分には港に停留する深江丸の汽笛が鳴らされ、1分間の黙祷が行われた。その後は慰霊碑への献花が行われ、1本ずつ花を持った関係者らが次々に花を供えていった。

 今回の追悼式典に参加した宮田隆永さん(海事・修士2年)は長田区出身。阪神大震災で被災した記憶もあり、「自宅から道路を挟んだ反対側が火事になっているのを見て、裸足で逃げた。避難先の小学校では、近くにいたおばさんが配給された少ないパンをわざわざ分けてくれた」と当時の体験を振り返った。また、同じく式典に参加した梶原將司さん(海事・修士2年)は「写真などのメディアや、もしくは追悼式典を続けていくことで、記憶に残し続ける必要があると思う」と話した。(記者=香月隆彰)




【写真】慰霊碑に向かって黙とうが捧げられた(11月17日・神戸大深江キャンパスで 撮影=板東未弥)



初の分科会開催 救援隊「のんびり過ごす会」

 神戸大学学生震災救援隊が1月16日から17日にかけて、「1.17をのんびり過ごす会」を瀧川記念館で開いた。今年で17回目になる当会だが、前年までと異なり、4つのテーマに分かれ、阪神・淡路大震災について話し合う分科会も合わせて行われた。この会には、救援隊メンバーだけでなく、救援隊OBや当時被災した社会人らも集まり、震災についてじっくりと語り合った。

 分科会では「震災と住まい」「しょうがい者と震災」「まちおこし」「当時のボランティア」の4つの分野を設定した。震災をきっかけに発足した救援隊が、どのように地域と関わってきたかについて、メンバーが事前に調べてきたことをもとに、各分科会で発表した。参加者らはその発表を受け、テーマについてそれぞれの意見を交わしていた。その後、参加者らは鍋を囲み、夜遅くまで当時のことなどについて話し合っていた。

 救援隊は現在、震災後建てられた復興住宅などで茶話会を開くなど、大学周辺の地域でのボランティア活動を積極的にしている。その活動をしていく上で、阪神・淡路大震災は切っても切り離せないが、当時の記憶のないメンバーが増えてしまった。「知らないで活動するよりは、学び、知った上で活動したい」との思いで、今回初めて分科会を企画したと話すのは、幹事を務めた上総貴史さん(海事・2年)。「『のんびり』過ごせず、本来の会の趣旨からは少し異なるが、分科会を通して阪神・淡路大震災のことを考えて、東日本やその他の被災地での活動につなげていけたら」。

 東北でのボランティア活動で救援隊メンバーと知り合ったことがきっかけで参加した、一ノ瀬祐樹さん(神戸学院大・2年)は「救援隊は大学生でない人とのつながりがあり、直接被災した方の意見も聞けてためになった」と充実した表情を見せた。当時被災した経験を持ち、この会に毎年参加している社会人、碓井和貴さん(43)は「最近メンバーが増え、食事会だけではゆっくり話す機会が減ってきていた分、じっくりと当時のことを話せてよかった」と話した。(記者=鈴木太郎)


【写真】鍋を囲み語り合う参加者ら(1月17日・神戸大学瀧川記念学術交流会館で 撮影=鈴木太郎)