【慰霊碑の向こうに】? 故・戸梶道夫さん(当時経営学部2年) =父・幸夫さんと母・栄子さんの証言=

 戸梶道夫さん(当時20歳、大阪府立三国ヶ丘高卒、桜井ゼミ、バドミントン部)は、神戸市灘区記田町5ー5の岩木文化1号室に下宿していた。
 地震発生後、3時間ほどたった午前9時過ぎ、大阪府和泉市の実家に「戸梶だけ連絡が取れないんです」という電話がバドミントン部の友人から入った。道夫さんは、成人式を終えて、前夜、神戸に戻っていたのだ。
 父・幸夫さん、母・栄子さんは自家用車で、弟・康夫さんはバイクで急いで神戸に向かった。
 午後3時ごろ、渋滞をくぐり抜けて先に下宿についた康夫さんが兄・道夫さんの状況を確認。遅れて着いた栄子さんに、ダメだったと告げた。

 父・幸夫さん、母・栄子さんを大阪府和泉市のご自宅に訪ねて、お話をうかがった。


(写真上:遺影の前には、倒壊した下宿から取り出したシャトルが置かれていた。羽根は、倒壊現場の土がついて茶色くなっている。)

バトミントン部の友人からの電話 「戸梶だけ連絡取れないんです」

母・栄子さん:結構、揺れたんですよね(午前5時46分の地震発生時は)、こっち(大阪府和泉市)も。で、神戸(の下宿)に電話をしたんですね。呼び出し音は鳴ったんですよ、最初の時はね。で、一回置いて、またすぐに電話したんですけどね、もうそこからはもう、呼び出し音が鳴らなくなって
きき手:それは地震発生の何分後ぐらいですか?
母・栄子さん:何分後……揺れて、NHKのニュースで神戸ってのが出て、あれを見て、からだったと思うんですよ。そっからはもう、全然ね、連絡ね、あとは、テレビ観るのと、どうしようどうしよういう感じで…。(編集部注:NHKニュースで神戸の震度6が表示されたのは午前6時すぎだった)
父・幸夫さん:でも、ねえ、まさかそんなことになってるとは思わんで、だから私は会社に行くつもりで。
母・栄子さん:そう、成人式も終わって。
きき手:成人の日の翌々日の、連休明けの火曜日でしたよね。
父・幸夫さん:せやけどー、交通も大変そうやなあて思って…。


(写真:母・栄子さんと父・幸夫さん。大阪府和泉市の自宅で。 2019年10月20日)

午前10時ごろ焦って神戸に向かった

母・栄子さん:でもだんだんだんだんね、ニュース見てるうちに、これはいかんな、いかんわ思って…で。友達からあのー、バトミントン部のお友達からね、「戸梶がいないんだけど家に帰ってますか」って連絡があったんです。
「戸梶だけ連絡取れないんです」って言って。で、いやー、あの、成人式終わって、クラブがあるから昨日の晩、神戸に帰ったんだけどーって言ったら、「下宿が……」って言ってね。そっからもう慌てて、神戸に向かおうと思って…したんですけど、ここ留守番もいるので、すぐ親戚に電話して、で、近所のお友達2人にここの留守番頼んで、で、すぐ10時ごろ…焦って行ったんです。で、康夫は、下の子がね、一つ違いでいるんですけど、康夫はすぐバイクで行ったんですよ、
きき手:弟の康夫さん、その時はおいくつでしたか?
母・栄子さん:えーっと、大学1回生。近大だったんで。家から通ってたんで、で、バイクで行く言ってくれて。バイトやってたうどん亭っていう、そこの尼崎のお店に寄って、ガソリンも入れて、で、向かってくれてんですね。

西宮で車を降りて歩き始めた

母・栄子さん:車はもう、全然進まなくって。お父さんと2人で車で行ったんですけども、もう、進まなくなってね。マンションが二階崩れたところを見た時に、ああ、これはもうあかんなって思ってね、あの高速も見えたね。
きき手:バスが宙吊りになっていた場所ですか?
母・栄子さん:それを見てから、もうこれでは進まないと思って、で私は降りたんですけどね。車がもう進まないからね、で、しばらく歩いたんですけどもこの足ではね、灘区まで行くのは大変と思って。で、バイクの男の人に何人か声かけたんですね。
きき手:西宮市内で声をかけて?
母・栄子さん:そうです。で、何人かに声をかけたんですけど、学生、大学生くらいの男の子がちょうどバイクの信号待ちしてたんで、その子に言ったら、「おばちゃん乗り」って言ってくれて、で、その子が連れていってくれたんですね。

「兄ちゃんは?」って言ったら…、ダメって…

きき手:その方どんな人だったんですか?
母・栄子さん:大学生ぐらい。道夫と同じくらい(の年齢)なんです。優しくてね、初めは、道がガタガタしてるからその度止まってたんですね、でもそんなことしたら行けないから、少々の段差だったら「おばちゃんぐっと持ってて」って言われて、飛ばすからっていって…。ほんとガッタンガッタンいう感じで…。でもほんとあの、だいぶ早く着いたんですね、灘区に。で、弟の康夫はもう着いてたんですね。でー、「兄ちゃんは?」って言ったら、もう……、もう、ダメって言われて…。
きき手:弟さんは先に着いてたんですね。
母・栄子さん:連れて行ってくれた男の子がね、康夫が来たもんだから、「お兄ちゃん無事で良かったですね」って言ったんですね、で、いやー、この子弟なんですって、で、お兄ちゃんは即死だからって言ったら、その子が、「おばちゃん頑張ってくださいね」っていって…。
ほんでね、名前もね、聞く間もなしに、「頑張ってください」って言ってその子は帰られた。神戸の方に向かって行ったんですけどね、でもその子のおかげでね、わりと早く着くことができたんです。

きき手:何時ごろ現場にお着きになったんですか?
母・栄子さん:お昼の2時か…、もっとなってたかなぁ。
きき手:よくお父さんは自動車でたどり着きましたね。もう交通規制で引っかかりましたでしょうあの時…。
父・幸夫さん:いやー、でもほんとに規制というか…高速倒れてる横あたりを。
きき手:じゃあ高速倒れてる横をすり抜けて来られた…。
父・幸夫さん:あそこは見たもんなぁ、あそこ見て、…どうだったかなぁ

救助を求めると「息してますか」と言われて

母・栄子さん:えーと、下宿を確認したみたいです、
父・幸夫さん:大学のクラブ(バドミントン部)の人が来て…地元の部員の方もおられて、その親御さんなんかもね一緒に手伝ってくれて。(倒壊した下宿の)中を覗き込んでくれて。で、引っ張り出せんかったけど、遺体は確認してたみたいでしたよ。
きき手:中に姿は見えたんですね…。
母・栄子さん:そうです、あたしはもうね、見えなかったんですけどね
きき手:消防団や、救助の人はいましたか?
母・栄子さん:言ったんですけどね。見えるからって言ったら、「息してますか」って言われて、「いや死んでると思います」って言ったら、そしたら「もう後(あと)ですよ」って言われて。生きてる人がそりゃ先ですよね。


(写真:震災の前年の1994年夏。母方の郷里の鳥取を訪ねたときに。)

バドミントン部員の父母たちもスコップを持って駆けつけた

母・栄子さん:で、次の日(18日)ね、学年が上の(バドミントン部員の)お父さん、お母さんたちがね、スコップを持ってきてくれたんですよ。
きき手:それは翌日の何時ごろ…。
母・栄子さん:朝結構早くから来てくださった…えーとね、朝7時か8時ごろだったかね。
きき手:お父様も神戸大バドミントン部でしたね。
父・幸夫さん:そうですね。18回生ですね、昭和45年卒。
母・栄子さん:クラブは中(光明台中学)、高(三国ヶ丘高)と野球部に入ってて、大学で野球したらと思ったんだけど、それ以上伸びないのが分かったみたいでね、で、お父さんがバドミントンをね、してたから。

きき手:バドミントン部のつながりでいろいろ声を掛け合って、翌日に救出ということになったんですね。
父・幸夫さん:みんなバドミントンの子たちが来てくれて…。
母・栄子さん:バドミントンの子たちは、今でも毎年1月には来てくれて、
母・栄子さん:初めはここ(自宅リビング)いっぱいの人だったんですけど、今でも、5、6人は1月中にここに来てくれて…。バトミントンの合宿のビデオがあるんですね、道夫が元気に打っているところとか、編集してくれたんですね。昔撮ったのを、動いてるのを見て、それを見てみんなでワイワイ飲みながら見て、ねぇ。

梁が首に当たって、即死だったみたいで

父・幸夫さん:1階がつぶれててね。
母・栄子さん:南に(アパートが)倒れて。テレビは外に出てて、電話も。
きき手:それは投げ出される形で…。
母・栄子さん:道に面した一番南(の部屋)だったんですよね。梁のところが道夫の首に当たったみたいで、即死だったみたいで…。だから他の人は怪我だけで済んでるんですんよね、他のお部屋は…。1階で日当たりがすごく良くてって、すごく喜んでたんですね、入居した時ね。

母・栄子さん:大家さんの岩木さんの家の横のあの駐車場のところなんです。あそこに、10部屋だったかな、全部神戸大の学生が下宿してたんですけどね。
母・栄子さん:アパートの前の酒屋さんがね、道夫のことよく知ってて。麻雀やってたらうるさいでしょ。で怒ったら道夫が、すいません、すいませんゆーて、かわいそうやったなぁって。
父・幸夫さん:麻雀遅くまでやってない、酒飲んでたんやろ…。
母・栄子さん:ああお酒飲んでたんか。


(写真:道夫さんが乗っていたミニバイクのナンバープレート。バイクも、倒壊した下宿の下敷きになっていた。)

下宿して10ヶ月だったんですよ

父・幸夫さん:ここやったらね(大阪府和泉市が実家だから)、下宿せんでもよかったんかも知らんけどな。
母・栄子さん:下宿して10ヶ月だったんですよ、一年間はこの実家から通ってたんですよ。でもねえ、やっぱりねえ朝早いし、夜、結構遊んだりしてくるから。

部活のために1日だけ神戸に帰った。休んでいてくれてたら…

きき手:岩木文化アパート。あれはどうやって見つけたんですか?
母・栄子さん:道夫がね探してきたんですよ。やっぱり何軒か下宿の安いところ、なんか2軒くらいあったんですよね、すごい安いところ。で、あの、お部屋も綺麗っていうからね。節約…ちゃんと家計簿つけてね、生活費1万円貯めてたんですよね。バイトもそんなにできないと思うんだけど、料理の本買って、安いお肉買って、肉じゃがいっぱい作って。月に何回かね、家庭教師、週に一回はこっち(大阪和泉市)に帰ってきますでしょう、ご飯食べに、洗濯物持って。その時に家庭教師してたんですね。
きき手:実家の近くで一人教えてた…。
母・栄子さん:そうなんですはい、男の子一人…。だから17日の夜も、帰ってくるはずだった。家庭教師だったんですね。
きき手:前の晩帰られたんでしょ?神戸に…。
母・栄子さん:はい、で、17日の晩に(実家に)帰ってくるねって、で(光明池の)駅まで送って行って。一日だけね神戸の下宿に帰った。バドミントンのためにね、休むのが嫌やったみたいでね、休んでいてくれてたら……。

母・栄子さん:あの子、わりと真面目だったんよね、であの、公認会計士になりたいゆーて、亡くなるちょっと前にね。そういう塾に行くって。
きき手:専門学校みたいなところですね。
母・栄子さん:小学校から塾行ったことなかったんですね。初めてあの子が40万円だったと思うんですね出してくれって言われたから、初めてね、習い事にお金を使うんだって。だから出したげようという感じで。

遺体安置所で、お隣が同じ神戸大生の高見君だったんです

きき手:遺体安置所は、王子のスポーツセンター武道場でしたね。
母・栄子さん:そうそう、お隣が、同じ神戸大生の高見君(編集部注:応援団長で経済学部3年の高見秀樹さん)だったんです。高見くんもね、道夫もね、あのー、体がね、両方ともたくましい、あの、筋肉がね、でもすごいガッチリねしてますでしょう?順番にあれ(検視を)していくでしょう?でね、横に20歳の女の子がね(安置されていました)。女の子のとこは、お母さんたちが(見えないように)囲んでね…。法医学の先生がそんなたくさんいらっしゃらないんですよね、人数が、で順番待ってたときに、もう順番かな思ってたら先生が倒れたので。もうちょっと待ってくださいって言われてね、あそこで結構時間かかったよね
父・幸夫さん:うん、長いことおったわ。
きき手:高見さんのお父さんは、何とか早くしてくれ、鳥取に連れて帰りたいと頼んだけれど、こんな状況で無理ですって言われたそうです。
母・栄子さん:あそこは、相当ね、しんどかったね、

検視が終わったのが19日の午後3時ごろやった

母・栄子さん:で、翌朝、お友達もきてくれて、道夫が出してもらって(搬出されて)からしばらくそこにいたね、時間あったよね。
父・幸夫さん:何時ごろやったかな、午前10時頃ちゃう?
母・栄子さん:でそこから王子スポーツセンター(の遺体安置所)に。
きき手:お父さんの運転する車に乗せてですか?
父・幸夫さん:うしろの座席。
母・栄子さん:私見られなかったんです。
父・幸夫さん:みんなが手伝ってくれて。
母・栄子さん:みんながそこは付いてきてくれたんですよ
父・幸夫さん:車も何台かきて。
きき手:遺体安置所は、王子スポーツセンターでしたね。
母・栄子さん:武道場でした。で、その隣が高見君だったんですよ。そして、あたし赤ちゃんが亡くなってたのが気になってね、こっち側に赤ちゃんが…。2日間、ずーっと抱っこしてるんですよ赤ちゃんをねー。で、あたしは抱いてるから生きてると思ったのね。でも亡くなってて。
父・幸夫さん:赤ちゃんが亡くなった方。あの方、印象的やったな。
きき手:若いお母さん?
母・栄子さん:その方は、次の年かな、粉ミルクの新聞広告に、「生まれてきてくれてよかった」というメッセージをみつけて、私この人違うかな思ってね。読売新聞に電話して。向こうに了解得て、連絡取れてね。その人の住所教えて欲しい言って、で、それからずっと年賀状のやりとりしてるんですけどね」。

父・幸夫さん:王子スポーツセンターには2晩、いたなぁ。
母・栄子さん:2晩いたね。もう法医学の先生待つだけなんですよね。亡くなってるから。それを見てもらったら帰れるんだけども、もうほんとに人数も足りないし。先生が何回か体調悪くなったいうことで…、(検視が終わったのが)次の日(19日)の、午後3時ごろやったね。
父・幸夫さん:あの、私の会社にこんなことになった言うて連絡してたから、会社の方が寝台車を手配して、まあ神戸ではなかなか無理やろうから大阪から手配して迎えにきてくれはったから。体育館に来てくれたんですよ
母・栄子さん:棺がなかったんですよね神戸では。手配してくれた棺が、立派なのしかなかったみたいなんですねで。それがきたもんですからみんながえー、ゆう感じで。おじいちゃんたちが一緒に棺を運んでくれて、すごい親切な人もいた。

安置所を出るときの取材に腹がたった 思わず叫びそうになった

母・栄子さん:でね、そのとき取材に来てる人たちはね、私たちがそうやって棺を運んでてもね、もう写真撮ることだけ必死で、その時ね。もう声を聞くのと写真を撮るのに必死でね、もう手伝いもせずに。
きき手:取材のインタビューまで?
母・栄子さん:もう、マイク向けてきてたんで、それで、えーっと思ってね。そんな、写真撮ったりするんだったら運ぶの手伝ってよと思いながら、なんかすごい腹たったの。私、思わず叫びそうになったの。

母・栄子さん:奥さん亡くしたおじいちゃんが「よかったな帰れるな」っていってくれた。やっぱり2日間一緒にいましたからみんなね。
父・幸夫さん:苦しかったな。
きき手:大体何体くらい並んでいたんですか?
母・栄子さん:もうすごかった、場所はね、このくらいのお布団1枚分だけ、その横も、2人か3人座ったらもう隣にいる感じ、それが何百体も…もう何列もありましたもんね。
母・栄子さん:で、結構余震もあったんですよ、で、寒いから。でも寒かったからよかったんです、遺体もね、腐らなくて…3日間ね。夏だったら大変。

まさかこんなことになるとは思わへんから

きき手:弟さんが先に確認され、ダメだったと言われたましたけど、その時どんなお気持ちだったんですか。
母・栄子さん:いや、でもそれまでにマンション崩れてるのとかみてるから。「戸梶と連絡取れてない」いうのを聞いていたし。ま、覚悟はしてましたけどね。でもその時ね、下の子がね、「僕、結婚して早く孫つくってあげるからね」って言ったんですね、ね。えっと思って。

父・幸夫さん:まさかこんなことになるとは思わへんから、なかなか現実が受け止めにくいっていうのもあったけど。とりあえず目先のことはね、下敷になってたらなんとか引っ張り出さんといかんとか、体育館に連れて行かれたら、なんとか早くうちに帰って算段せにゃいかんなー、とかね。そんなことに頭いっぱいで、で、連れて帰ったら葬式せにゃあかんなとかね。

母・栄子さん:帰ってきたらここに(リビングに)寝かせてたんです。しばらくね、でもあの、頼りなかった下の子がね、みんなの相手してくれててね。やっぱり自分が頑張らにゃいかんってね、思ったんでしょう…。

子供が先に死ぬっちゅうのは、なかなかなもんやなと思いました

父・幸夫さん:うーん、まあ、やっぱりね、母親の方が辛い気持ちはね…。僕が47歳くらいだったかなぁ、会社でも一番忙しい時期だったけど。逆に、なんか忘れようと思うとったところがあるかも知れんけど、がむしゃらに仕事してましたね、アホみたいに、夜遅くまで。
母・栄子さん:会社帰りの時はね、電車を何回か降りて…。
父・幸夫さん:各停に乗ってましたね、帰りは。
母・栄子さん:行きはいけるんですよ。現実に戻りますよね帰ってくるときは…。
父・幸夫さん:子供が先に死ぬっちゅうのは、なかなかなもんやなと思いました

母・栄子さん:すごい帰宅に時間かけてね。ちょっとおかしくなっててね。
父・幸夫さん:大里さんとこ行ったな。
母・栄子さん:お友達がね、精神科のお医者さんがいたんですよ、その友達にちょっと主人が調子悪いんだけどって言ったらね、「待ってたんよ」って言ってくれてね。いつでも言うてくれたらいう感じで、夜の11時、12時だったんだけど、主人がなんかおかしいんだけどって電話したら、あ、すぐ来てって言われてね、で、2人で夜しゃべって…。
きき手:じゃあお話を聞いてもらった…。
父・幸夫さん:なんかな、寝てるとやっぱりな、息苦しくなる…。

きき手:道夫さんはお友達も多くて、そうやって訃報が流れて、みなさんショックだったんじゃないですか。
母・栄子さん:野球部の子とかもね、みんな来てくれて。そのとき泣いてた子がね、その子らもね、毎年お盆になると毎年ここへ集まってね。だんだんみんな結婚したり子ども連れたりしてくるでしょ。そしたらね、(道夫も)こんなんだったかなって、ちょっとうらやましくなったりね。
母・栄子さん:村田くんって神戸大医学部にね。
父・幸夫さん:三国ケ丘高校から一緒で。
母・栄子さん:同級生でね。ですごく仲よかったんですけどね、その人がね道夫の誕生日の前後に花束持って来てくれるんですよね。地震でね、精神的にね、いっぱいそういう人(辛くなった人)を見てて、だから精神科医になったってね。


(写真:小学校から始めた野球。道夫さんは、中学、高校時代は野球部に入っていた。思い出のグローブとボール。)

1月17日に、慰霊碑前に学生が来てくれたらうれしいです

きき手:今の学生、若い世代に伝えたいことはありますか?
母・栄子さん:私たちもほかの水害とか地震とかあってもないやっぱり他人事できてしまったから、だから、ね。
父・幸夫さん:自分の身になってみんと、なかなか難しいというか、まあ、仕方のない部分だとは思うんですけど。だけど、やっぱりそういうことに目を向けて欲しいなとは思うんだけど。
きき手:キャンパスに慰霊碑があることすら知らない学生もいます。
父・幸夫さん:やっぱり忘れ去られるっていうのはね、寂しいですよね。ちょっと切ないですよね…。神戸って街でああいうことがあって、ほんとにたくさんの方が亡くなられたってことを、何とか生かしていただきたいというか…。大学はずーっと慰霊祭を続けていただいてね、ほんとにありがたいなと思うんですけど、せっかくやられるんだったらね、学生にね来て少しそういうことを考えるようにしていただいたらね。
母・栄子さん:やっぱり1月17日に、(慰霊碑前に)学生の人が来てくれたらうれしいですもんね。初めの頃はみんな来てくれてたけどね。
(2019年10月20日インタビュー、きき手:森岡聖陽)

▽1月17日
午前5時46分……地震発生
午前9時過ぎ………バドミントン部の友人から大阪の実家に電話
         「戸梶だけ連絡が取れないんです」
午前10時ごろ……弟・康夫さんがバイクで神戸に向かう
         父・幸夫さん、母・栄子さんも自家用車で出発
午後3時ごろ………弟・康夫さんが倒壊した下宿アパートに到着
         すでにバドミントン部の関係者が駆けつけていて
         倒壊した下宿の中に道夫さんが見えている
午後4時前…………母・栄子さんも到着
         遅れて父・幸夫さん到着

▽1月18日
午前7、8時ごろ…バドミントン部の関係者と救出活動開始
午前中…………………みんなで倒壊した下宿から道夫さんを出す
午前10時ごろ……王子スポーツセンター武道場の遺体安置所に運ぶ
         検視を待つ

▽1月19日
午後3時ごろ………検視が終わる
         大阪・和泉市の実家に連れて帰る


(写真:亡くなる2日前の成人式の会場前で。)


<2019年12月4日アップロード>

《連載記事》
【慰霊碑の向こうに】? 一枚の写真から
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b81d5f93f24d4db312586b32da0838da

【慰霊碑の向こうに】? 故・戸梶道夫さん(当時経営学部2年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/023b839a782ed062de6f26d1d5f0919b

【慰霊碑の向こうに】? 故・高橋幹弥さん(当時理学部2年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/7165089761eef41f45c9d3eae84c1870

【慰霊碑の向こうに】? 故・高見秀樹さん(当時経済学部3年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/eb2e066042bfb01d561385907b64f44a

【慰霊碑の向こうに】? 故・坂本竜一さん(当時工学部3年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5c9a8898fafde156a8091d6fac45d615

【慰霊碑の向こうに】? 故・中村公治さん(当時経営学部3年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/a65c964c3ba5baa556ab126cf22dc1f1

【慰霊碑の向こうに】? 故・森 渉さん(当時法学部4年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/51f49f1abe823bdfa978ca6c6addd922

【慰霊碑の向こうに】? 故・竸基弘さん(当時自然科学研究科博士前期課程1年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/bbbdb927d2917cdde7834b73e8dfd2b4

【慰霊碑の向こうに】? 故・白木健介さん(当時経済学部?課程3年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5cf5033cc4e75acb06952295dad255aa

【慰霊碑の向こうに】? 故・工藤純さん(当時法学部修士課程1年)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/3f0215cb9c0ff23b43149a3076ccb645

【慰霊碑の向こうに】番外 亡くなった学生の家族からのメッセージ
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/c6a974c72827bb82f3339b2381077f8b

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