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- 神戸大学の歴史⑥ 「タコ足大学」から学舎の統合へ
神戸大学の歴史を振り返る連載の6回目は、新制神戸大学の発足後およそ10年を経て1960年代から始まったキャンパス統合の動きです。<学史の概略を解説したサイト、 「神戸大学100年史」(2002年5月アップロード/制作=神戸大学学友会kobe-u.com委員会/制作協力=神戸大学ニュースネット委員会)を、8回にわたって再掲しています。>
鶴甲山の造成などがきっかけで六甲台地区へ
戦後、全校各地でそれぞれに歴史のある学校がいっしょになって新制国立大学がスタートしました。その結果、神戸大学も六甲、御影、姫路、篠山にキャンパスが点在する、いわゆる「タコ足」状態のキャンパスとなっていました。
1960年代に鶴甲山が削られ団地として開発され、六甲台周辺に土地が広がったことなどもあってキャンパスをまとめようという動きが加速しました。その結果、教養課程、教育学部、工学部、文学部、理学部、農学部が、経済・経営・法学部のある六甲台地区にあいついで移転し、医学部医学科を除いてキャンパスの統合が進められました。(海事科学部の前身である神戸商船大は2003年に神戸大と統合、保健学科の源流の神戸大医療技術短期大学部は1982年に須磨区名谷に設置されています。)
1960年代には、各地に分散していた学舎の六甲台への統合が始まります。これまで、御影分校(東灘区)、姫路分校(姫路市)、教育学部の住吉学舎(東灘区)、工学部の西代(にしだい)・松野学舎(長田区)などに分かれていたキャンパスでしたが、まず、1961年(昭和36年)六甲台に工学部が移転開始。
【写真24】六甲台地区に竣工直後の工学部学舎。1963年ごろ。(提供=坂口忠司)
1963年(昭和38年)学内措置で教養部が設置され、最初の学舎も竣工しました。同年御影分校の教養課程が移転してきました。
【写真25】教養部学舎。1963年ごろ。(神戸大学)
1967年(昭和42年)には、農学部が兵庫県篠山から移転開始。1968年(昭和43年)には、教育学部学舎も六甲台地区に竣工しました。
【写真26】教育学部は、1968年(昭和43年)に住吉学舎から移転した。1968年ごろ。(神戸大学)
こうして、六甲台地区に法、経済、経営、文、理、に加えて、工、農、教育の各学部と教養部が六甲台地区に集まりました。
【写真27】六甲台地区の全景。農学部学舎も完成、教育学部学舎の建設を待つばかり。1967年。(神戸大学)
一方、医学部は、生田区楠町(現・中央区楠町)の学舎、附属病院を拡充していきました。
【写真28】医学部の学舎。1973年。(神戸大学『法学部卒業アルバム』)
【神戸大学の歴史】
① 神戸高等商業学校の設立
神戸大学の歴史① 神戸高等商業学校の設立 | 神戸大学NEWSNET委員会 (kobe-u-newsnet.com)
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神戸大学の歴史② 高等教育機関の拡充 神戸高等工業学校と姫路高等学校の設立 | 神戸大学NEWSNET委員会 (kobe-u-newsnet.com)
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神戸大学の歴史③ さらに古い歴史の前身校 神戸医学校と兵庫県師範学校の設立 | 神戸大学NEWSNET委員会 (kobe-u-newsnet.com)
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⑥「タコ足大学」から学舎の統合へ
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了
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