遺族が震災のパネル展を見学 娘を亡くした上野政志さん

阪神淡路大震災で当時発達科学部2年だった娘の志乃さんを亡くした上野政志さんが1月14日に神戸大に来学。震災のことや社会的活動に取り組んでいる学生の紹介をしようと、都市安全研究センターなどが工学部の木製遊歩道「うリボーロード」で開催しているパネル展「1.17記憶の回廊ーー阪神・淡路大震災と神大生の14年」(13日~16日)を見学した。【1月15日 神戸大NEWS NET=UNN】

 神戸大は震災で学生・教職員など44人が犠牲になった。

 パネル展には、神戸大ニュースネットや留学生支援サークルのTruss、ボランティアサークルの学生震災救援隊と総合ボランティアセンターが協力。当時避難所となった国際文化学部の体育館や、サッカーゴールなどを使用して設置した仮設の風呂、JR六甲道駅が崩壊している写真などを掲載した34枚のパネルが展示されている。

 神戸大ニュースネットは、亡くなった44人の家族やゼミの教官などの手記などをまとめた紙面「震災特集」を出展した。上野さんは、震災が発生してから11ヵ月後に自身が書いた手記を見つめ、「ペンを持っても書けなかった。何を書いていいかもわからなかった」と当時の心境を明かす。

 (志乃は、自分の死を知らぬまま、友人の川村陽子さんと共に永遠の旅に出掛けてしまいました。一月十六日の夕方、姫新線三日月駅まで連れ(妻)と送って行き『じゃぁ、またね』と言って別れたのが最後でした。
 考えもしなかった娘の死は、家族を奈落の底に突き落としました。十八日早朝、瓦礫の中に友達の頭を、次に娘の足を発見しました。今の今まで、生きていてという思いが、この瞬間に断ち切れて、本当に目の前が真っ白になりました)《震災特集1年目 上野さんの手記・冒頭一部抜粋》

 志乃さんは灘区の琵琶町の下宿で被災。同じく当時発達科学部の2年だった友人の川村陽子さんとレポートの作成を終え、コタツで眠っているときに震災に襲われた。

 現在、震災によって神戸大で犠牲者がでたということを知らない学生は多くなっている。うリボーロードを通る女子学生の集団は「そんなことがあったのか」と話しながら歩いていた。

 「そういうことがあったと知らないことが人に災いをもたらすかもしれない」と上野さん。震災が発生してまる14年となる17日の午前5時46分を、志乃さんが亡くなった下宿跡で迎えるという。

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