震災で亡くなった故・高見秀樹さん(当時経済・3年)を追悼するための、献花や黙祷が1月17日、高見さんが亡くなった盛華園跡で行われた。高見さんの両親や当時高見さんが団長を務めていた応援団のOBらが参加した。
「10年間で初めて」という雨が降る中、参加者は午前5時半頃には全員、跡地の公園に集合。屋根がある休憩所の下で、身を寄せ合って、5時46分を待った。母親の初子さんは「その時(46分)だけやんでくれるかも」と呟いた。
40分頃に花束や果物、高見さんが好きだったという日本酒などを供え、一人ずつ、線香をあげていった。そして、5時46分に全員で黙祷を捧げた。その後、供えた日本酒を飲み、最後に父親の俊雄さんが「皆さんの助けがあってがんばれる。今後ともよろしくお願いします。今日はありがとうございました」と挨拶した。
初子さんは震災から10年が経ったことについて「あっという間だった。この10年、死んだら(息子に)会えるという気持ちから死は怖くなくなった。その一方で、残された者が頑張らなければ、と命の大切さを深く感じる」と思いを話した。
12月25日に応援団を引退した大間匡浩さん(法・4年)は「ラジオに出た時、高見さん(初子さん)の話を伺ってから、思うところがあって今回参加した。それ以来、震災の報道に敏感になった。震災を経験していない人にとっては、来なければ分からないこともある」と語った。
初子さんは最後に「10年間続けてくれたのがありがたい。体が元気なうちは続けていきたい」と話した。(震災1年追悼手記 http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm、震災5年追悼手記 http://www.unn-news.com/sinsai/tokusyu2000/)
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