神戸大で慰霊式 遺族・職員ら参列
2016年1月16日配信 記者=竹内涼
犠牲者慰霊碑に献花する武田廣学長(撮影=竹内勇人)
阪神・淡路大震災の追悼行事として、神戸大学震災慰霊献花式が15日、六甲台第1キャンパスで開催された。
式典には遺族や職員などが参列し、慰霊碑の前で犠牲者に黙とうを捧げたあと、白い菊を献花した。
20年の節目となった年で数百人が参加した昨年に比べ、ことしは参加者が少なく学生の姿もほとんど見られなかった。しかし遺族の中には、20年も21年も思いは変わらないという声もある。
武田廣学長は「学長になって初めて献花した。周りの(震災関連の)催しが減っているが神戸大としては続けるつもり。学生がそろそろ(震災の)経験がない。大学の中で震災を語り継ぐ講義もやっているので先人の経験を学んでほしい」と語った。
「あいつともっと遊びたかった」坂本秀夫さん
2016年1月16日配信 記者=坂本知奈美
「おととしまで(遺族は)2倍以上いた。みんな歳いったんかな」と2年ぶりに神戸大の慰霊式を訪れた坂本秀夫さんはつぶやいた。坂本さんは息子の竜一さん=当時(工・3年)=を阪神・淡路大震災で亡くした。親子というよりは友人に近い、カラオケも一緒に行くほど仲良しの息子だった。
震災直前の16日には竜一さんが希望した焼き肉を一緒に食べたという。その後、六甲へ帰る竜一さんを駅まで送って行った。「泊まっていけ、と言えば良かった……。今思うと最後の晩餐(ばんさん)、好きなもの
慰霊式に参列した坂本秀夫さん(撮影=竹内勇人)
を食べられて良かったのかもしれない」。
21年という時間は少しずつ坂本さんの気持ちに変化をもたらした。震災から数年間は「なんでや」という悔しい思いが強く、精神的に辛い日々が続いた。だが、70歳を超え「だんだんあいつのところに近づいてきた。僕はあいつともっと遊びたかったから、死んだらあいつに会える」と考えるようになり、落ち着いたという。
しかし、震災に対する後悔の念を、拭い去ることができたわけではない。震災の前日夕方に起こった最大震度1の地震を気のせいと片付けてしまったことも、まだ心にしこりを残している。竜一さんはほぼ全壊した学生アパート・西尾荘の下敷きになり、抜け出せないまま迫ってきた火によって命を絶たれた。坂本さんは、「(震災は)思いだしたら嫌。火さえなければ死んでいなかった。命まで落とすことはなかった」と語る。
21回目の17日は竜一さんの眠る墓に向かう予定だ。「あと10年はここ(神戸大慰霊式)に来たい」と坂本さんは話した。
「恩返しが僕の野望」白木利周さん
2016年1月16日配信 記者=瀧本善斗
白木利周(としひろ)さんは、震災で息子の健介さん=当時(経済・3年)=を亡くした。健介さんのことを思うと「そろそろ(あの世に)連れて行ってくれ」と考えることも一度や二度ではなかったという。
白木さんは他の遺族とも積極的に交流。毎年1月17日に神戸市中央区の東遊園地で行われる「1.17のつどい」では実行委員を2014年まで務めた。さらに東日本大震災など国内外で大災害が発生したときには被災地支援の活動にも携わった。「同じ境遇にいる人たちに少しでも寄り添ってあげたい。話をする中で、ひとりひとりの考え方の違いを理解するのが大事」と話す。健介さんから「まだやることがあるだろう」と促されているような感覚が白木さんを突き動かしてきた。
震災から20年が過ぎた頃から、白木さんの心境にも微妙な
献花する白木利周さん(撮影=竹内勇人)
変化が表れる。これまで受けた恩を返したいという気持ちが強くなっているという。「犠牲になった学生たちも夢を持っていたはず。夢を受け継いでいけるのは今の学生たちしかいない」との考えから、神戸大生の研究や課外活動を支援できないか思案中だ。「実現は遠いかもしれないが、それが僕の野望」と白木さんは胸躍らせている。
参列者のコメント
2016年1月16日配信 記者=池之上春花・坂本知奈美・鈴木太郎・瀧本善斗・竹内勇人・竹内涼・田中謙太郎
◇故・櫻井英二さん=当時(法・4年)=
【姉・都築和子さん】
ここ何年かは両親が来れないので、自分だけ神戸大まで来ている。20年目は世間的にも区切りだったので、メディアや周囲の人もよく震災のことを取り上げていたが、今年はあまり関心が持たれていないと思う。私自身も、あまり震災の話をしない。
2人の娘が弟が亡くなった年齢を追い越したことで、月日が流れたのを感じるが、自分の気持ちは未だに整理できない。事件や事故に巻き込まれて亡くなる人、自らの手で命を絶つ人が後を絶たないが、そういうニュースを見るたび心が苦しくなる。残された身内の悲しさは痛いほどよく分かる。どんな人も、産んでもらった命を粗末に扱わず、大切にしながら生きてほしい。
◇故・橋本健吾さん=当時(医・1年)=
【母・智子さん、妹・裕子さん】
六甲台キャンパスのこの場所に来たのは、慰霊碑の除幕式の時以来2回目。21年目の今でも、1995年当時から時が経ったような気にならない。
◇故・森渉さん=当時(法・4年)=
【母・尚江さん】
昨年は行けなかったが、今年は当時の下宿先の大家さんと一緒に来た。高齢化のため、回を重ねるたびに参列する遺族は減っていくのは仕方ないが、大学関係者をはじめ、毎年多くの方々が献花してくださるのは本当にありがたい。昨年の1月3日には、神戸大時代の友人ら100人近くが息子のために集まってくれて、そちらも本当にありがたかった。
この時期、六甲台の時計台を見るたびに「ここで息子が学んでいたんだなあ」と思い出す。五百旗頭真先生(名誉教授)に憧れて神戸大に入学し、ゼミでは先生にとても可愛がってもらったと聞いた。震災の前日までは実家にいたが、卒論のために17日に東灘区の下宿へと戻ってしまった。これも運命だが、やはり今でも息子の命は惜しい。震災から21年が経ったが、自分の中では今でも1.17を迎える気持ちは変わらない。
【当時住んでいた下宿の大家・末吉種子さん】
毎年大学の献花式に来ている。21年間はあっという間だった。90歳になってしまい、いつまで参加できるか分からないが、来られる限りは来たい。
【末吉種子さんの娘・高瀬浩子さん】
大学の献花式は5、6回目。渉さんのつないでくれたご縁で、今でも母と尚江さんとここにいる。今年もこうやってここに来れたことをうれしく思う。
◇故・竸基弘さん=当時(自然科学研究科・博士前期課程)=
【母・恵美子さん】
神戸大は息子が実りある青春を過ごし、命を失った特別な場所。やはり毎年震災のあった日はここで迎えたい。今日は息子もここにいるような気がする。
震災後、息子の生前の話をいろんな人から教えてもらって支えられた。あの子の人生の分までちゃんと生きていかなければと思う。
◇その他の参列者
【3年の男子学生】
他県出身で知り合いに被災した人もおらず馴染みは少ないが、いい催しだと思う。これからも続けてほしい。
【職員】
大阪は被害が少なく、別世界。ことしでもう21年だが(記憶を)継承していかないと。今度起こるのはもっとひどいかもしれない。予測できないけど準備をするべき。神戸大はリスクが高い。
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