略称凡例 ▽NN=ニュースネット委員会
▽KP=「KUBCプレス」(ニュースネット委員会の前身、放送委員会の報道部門が発行していた新聞)
▽震災の記録=『兵庫県南部地震による震災の記録』(神戸大庶務部庶務課・編、1996年1月)
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大学入試センター試験の2日目。神戸大も会場に。大学は16日まで関係者以外の立ち入りが禁止され、17日朝には泊まり込みの学生がいなかったと見られる(当時職員や学生だった複数の方の証言)。
午後6時台に3回、同11時台に1回の計4回マグニチュード1・5から3の明石海峡を震源とする地震があった。京都大防災研究所の報告では、阪神・淡路大震災の前震活動だったと考えられている(国土地理院時報第83集「兵庫県南部地震の概要」[リンク])。
午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生。地震の規模はマグニチュード7・2で、神戸市などで震度7を記録した。
神戸大も避難住民を受け入れた。神戸市の指定避難所であった工・農学部に加え、国際文化・発達科学部、附属病院、附属住吉校(現在は閉校)などでも受け入れ。17日の受入数は全体で1364人に上った(震災の記録155、169ページ)。
センター試験の会場となった神戸大(14日または15日撮影 NN)
17日午前9時半の神戸市東灘区深江本町。阪神高速の高架が横倒しに(NN)
大学生協は営業し、避難住民に対応していた。国文食堂には学生や近隣住民200人が押し寄せる。店長曰く『豚まん、オニギリと、あるものは売った』(NN [リンク])。
96年度入試について、入学願書の提出期限が2月1日必着から同日消印有効に変更。コピーも許可し、調査書など願書以外の提出書類は入試当日まで提出を受け付けた。震災は受験生にも影響を及ぼすことになる(震災の記録7ページ)。
大学の対策本部の要請を受け、国際文化学部は第1・第2体育館で東灘区からの避難住民およそ800人を受け入れた。同区でガスタンクが爆発する危険性があったため。毛布が足りず配布の際に混乱が生じたという(震災の記録159ページ)。
午後6時頃に兵庫教育大から救援物資。ポリタンクの水、ウーロン茶のペットボトル二十本、ビスケットの段ボール箱百箱。他の近隣の大学からも物資届く。ほぼ麻痺状態の幹線道路を通り、長時間かけて輸送された(KP30日付号外、震災の記録143ページ)。
関西空港へのフェリーが運航再開。多くの留学生が帰国した。一方、鶴甲第1キャンパスの避難所は第1・第2体育館と武道場に集約されることとなり、教室や生協食堂から約900人が移動した(震災の記録8ページ)。
自衛隊は六甲台と発達のグラウンドを神戸市内復旧のための基地として使用開始。多くのテントや車両が立ち並んだ(震災の記録153ページ)。
発達グラウンドに基地を設けた自衛隊(2月8日 NN)
農学部に避難者向けの簡易トイレ15基が設置された。学内の避難所でも着々と設備が整っていく(震災の記録8ページ)。
臨時部局長会議を開催。29日まで全学休講、授業・期末試験は原則中止となり、単位認定は平常点・レポートで行うことに。卒業論文・学位論文などの提出期限は延期された(震災の記録9ページ)。
臨時部局長会議では入試に関する検討も行われた。入試会場は大阪大・岡山大にも設置。また、前期入試を2月25日から26日に、後期入試を3月12日から13日に変更することになった(震災の記録10ページ)。
阪急・阪神・JRの不通区間で代替バスの運行が開始され、職員全員の出勤が可能になった。乗り場では「何十メートル、何百メートルの長蛇の列を寒風の吹きすさぶ中、数時間も待つ」状態だったという(震災の記録41ページ)。
有志の学生によって「神戸大学学生震災救援隊」が正式に発足し、炊き出し・避難所の巡回などを行った(震災の記録41ページ)。95年当時救援隊のメンバーだった方の証言はこちらの記事へ。
全学共通授業科目実施委員会を開催。授業・期末試験の実施は難しく、成績評価は平常点またはレポートで行うと決めた。レポート提出締め切りは卒業予定者が2月17日、それ以外は28日とした(震災の記録10ページ)。
農学部に避難所用公衆電話5台が設置された。公衆電話は震災発生時、通信手段として重要な役割を果たした(震災の記録11ページ)。
国文体育館に設置された臨時電話(27日 NN)
「神戸大学生有志の会」のメンバー11人が、JR大阪駅前で募金活動を行った。募金は23日、29日にも実施した。26日までの2日間で66万1740円集まり、日本赤十字社に送られたという(KP30日付号外)。
文・発達・医の3学部が学生に対し授業再開に向けた説明会を実施。2月2日にかけて他の学部でも説明会が行われた(KP30日付号外)。
六甲台本館に張り出された経済学部の休講通知。全学休講は29日までだが、28日と29日は週末に当たり元々休日だった(27日 NN)
国際・教養系(現在の総合・国際文化学)図書館を除く、学内の全ての図書館が開館。図書の受け入れ、目録など通常業務も再開した(震災の記録75ページ)。
大学は課外活動自粛を各団体に要請。施設の被害や避難者受け入れが理由(震災の記録86ページ)。当時工学部4年でバドミント
ン部だった越山健治・関西大准教授は「(練習場所の)国文体育館が避難所になっていて衝撃的だった」と話す。
JR山陽線の神戸駅から須磨駅までの間が復旧。通勤・通学に長時間を要する状況は長い期間続く。東西から鉄道で神戸大まで通えるようになるには、4月1日のJR東海道・山陽線全線復旧を待つ必要があった(震災の記録47ページ)。
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