Photo 激震のあの日から
 神戸大学の震災の記録1996

  (1996年1月17日〜1997年1月3日)

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●1月17日


◎震災から一年

●震災から一年目の十七日、神大で大震災のもたらしたものをテーマに特別講演会が 行われ、約二百人が集まった。
 多淵副学長は『震災と大学』と題し附属病院での救援活動の体験を報告。五百籏頭真法学部教授は『震災と行政』を主題に、大災害では、自治体トップの初動の判断が大切と訴えた。丸谷冷史経済学部教授は『震災と経済』について講演。灘区の宮前市場の現状を例に、神戸の経済の復興状態を解説した。

●公式の震災追悼記が発行されていない神大で、どうしても追悼記を出したいと、学内紙『神戸大学ニュースネット』が"震災1周年追悼特集号"の編集を進めてきたが、その印刷がなんとか間に合い、十七日に阪急六甲駅前と国際文化学部で配布された。十四面だて。うち九面が追悼手記。亡くなった学生、教職員、生協職員四十四人の、遺族や関係者の手記を掲載している。部員は、ラクロス全日本の号外などを出しながら、約1カ月で取材・編集した。
 この特集は、新設された関西学生報道連盟のインターネットのホームページにも転載されている。
 [注]現在は、NEWSNETホームページ震災特集に掲載。http://www.std.kobe-u.ac.jp/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm

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●1月20日


◎友人の死を、震災を忘れない セミナーとシンポジウム

●神大と甲南大の学生がセミナー『忘れないということ−被災した学生からのメッセージ』を兵庫県民会館で開催。神大応援団副団長の木村圭吾さん(21)が、震災で亡くなった神大応援団長の高見秀樹さん(当時経・三年)を偲び、『これまで僕たち団員の支えになっていてくれている』と述べ、亡くなった友を忘れないと誓った。

●阪神・淡路大震災とボランティア活動シンポジウムが二十日、国土庁、兵庫県ら主催で開かれ、稲村和美・神戸大総合ボランティアセンター代表ら、現在もボランティア活動を続ける五人が「行政はボランティア団体と普段から交流する必要がある」などの意見を交わした。

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●1月22日

●阪神大震災の義援金十万円をだまし取ったとして、神大大学院の中国人女性留学生が、兵庫県警外事課と神戸水上署に詐欺の疑いで逮捕された。

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●1月28日


◎“大災害の生と死”を考えるシンポ

●一月二十三日と二十七・二十八日の三日間にわたり神戸国際会議場において“阪神・淡路大災害の生と死"をテーマにした第八回神戸シンポジウムが行われた。経済経営研究所の小西康生さん、医学部法医学教授の龍野嘉紹さんらが、パネラーなどとして出席。

●神大の学内紙『ニュースネット』が十七日に発行した、震災犠牲者四十四人への追悼手記特集が、地元紙などて報じられ、編集部には『新聞を送ってほしい』という電話があいついだ。残部はわずかだが、コピーを希望者に実費で発送している。
 また、多くの人に読んでもらうため、この特集が、新設された関西学生報道連盟のインターネットのホームページにも転載されている。
 [注]現在は、NEWSNETホームページ震災特集に掲載。http://www.std.kobe-u.ac.jp/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm


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●2月25日

●二月二十五日、前期入学試験が行われた。全体としては昨年よりやや倍率は低いものの受験生には緊張の面持ちが見られた。

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●3月8日

●関西学生報道連盟の総会が行われ、報道局長に佐藤正啓(大市大)を選出。また、優秀な報道活動におくられるUNN賞の企画ニュース部門大賞には、神大ニュースネット紙(一九九六年一月十七日発行)の『神戸大犠牲者44人への追悼手記』が、選ばれた。

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●3月15日


◎神大慰霊碑を除幕

●神大で阪神大震災で亡くなった学生と教職員四十一名の冥福を祈りつくられた慰霊碑の除幕式が行われ、百四十人が出席した。
 遺族を代表し、今英男さんがあいさつ。西塚学長が「彼らの向学の精神が後に続く者の真理の探究の糧になること信じています」とのべ、除幕が行われ、全員が一分間の黙とうをした。
 慰霊碑は高さ約二メートル。縦五十八センチ、横二十七センチの長方形のブロンズ板四枚で作られた箱が土台の上に置かれている。箱の正面には「鎮魂」、裏面には「一九九五年一月十七日」、両側面には「慈」と刻まれ、碑のそばには犠牲者全員の名前を刻んだブロンズ板が置かれている。


《遺族代表あいさつ   遺族代表 今 英男》

 わが息子への言葉に代えて、皆様方とご一緒に祈りを捧げたいと思います。

 1995年1月17日午前5時46分。この、痛かった記憶。私にとっても皆さんにとっても取り返しのつかないこの一瞬(ひととき)。人の価値が、日にちを重ねるだけのものでなく、いかに多くの記憶を残すかということによってその価値が決まる、という言葉もあります。私にとっても息子は多くの貴重な記憶を残してくれました。この素晴らしい学舎(まなびや)にあって、息子の人生は、まさにそのものであったと思います。そして、彼は、この六甲おろし風のように、そしてまた、春になれば桜の下のそよ風のように、風になったと思っています。きっとどこにいても会える、風になったと思います。たくさんの恩師と素晴らしい友どもに囲まれた彼の一生を、本当に私は誇りに思います。

 息子への言葉に代えて、ふつつかながら皆さんの前に代表の言葉として、ひとこと述べさせて頂きました。


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●3月26日


◎震災を乗り越えて2742人の旅立ち 卒業式

●三月二十六日午前十時半から神戸ポートアイランドホール(ワールド記念ホール)で平成七年度卒業式が行われ、晴れ着やスーツ姿の卒業生がそれぞれの想いを胸に新しい社会へ旅立っていった。
 今年卒業した人は改組前の九学部に養護教諭特別別科や医療技術短期大学部を含めた男子千八百四十二人、女子九百人の計二千七百四十二人。
 式の中で西塚泰美学長は震災の影響で昨年はこのような盛大な式典ができなかったことについてふれたあと、震災という困難を乗り越えた卒業生をたたえ、「長い人生ですから、時には失敗したり、不運にめぐり会ったり、批判されることもあるでしょう。どうか勇気と努力でそれを乗り越えてください。そうすれば皆さんは、必ず大勢の人々の幸せと共に自分の幸せを掴むことが出来ると思います。」と、はなむけの言葉を述べた。
 また、卒業生代表の法学部の奥田祥史さんは、「最近立て続けに起こる大事件を見ておりますと、何か日本の未来がよくないことを暗示しているような気がします。しかし日本の未来は私たちにかかっており、その責任を痛感しています。これからも神大の誇りを持ち続け、その名に恥じないよう精進していくつもりです。」とオウム真理教事件に神大OBが関わっていたことを踏まえた答辞を述べた。

◎「白木基金」 五人が表彰

●阪神・淡路大震災によって亡くなった当時神大経済学部第二課程(夜間コース)二回生の白木健介さんの両親が寄贈した八十万円を基に、神大経済学部は優秀卒業論文の基金として「白木基金」を創設し、二十六日の卒業式で五人が表彰された。
 「白木基金」は、白木健介さんの両親が葬儀の香典百万円を大学に寄贈し、うち八十万円をあてたもの。昼・夜間あわせて一学年三百四十人の卒論の中から五人が毎年「優秀卒業論文」として選ばれ、記念の盾が贈られる。

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●4月5日


◎2729人が神大生に 入学式

●平成八年度神戸大学入学式が、神戸市中央区のポートアイランドワールド記念ホールで行われた。
 入学者数は、十学部で男子千八百三十四人、女子八百九十五人の合計二千七百二十九人。学部別では、文百十六人。国文百四十、発達二百八十、法二百四十四、経二百九十二、営二百八十、理百五十六、医二百六十、工六百四十四、農百八十五、法夜四十、経夜四十二、営夜五十人。辞退者が多かったのは営二十三人、医(保健)十九人、工十三人の順。
 学長や部局長の紹介のあと、西塚学長が式辞をのべ、新入生を歓迎。つづいて混声合唱団アポロンとエルデの学歌合唱で、スーツ姿の新入生を迎えた。
 桜が咲き始めた神戸地方だが、三宮はビルを取り壊したサラ地がまだめだつ。去年は震災の影響で、急きょ場所が六甲台講堂に変更になった。式典がビデオ中継され、講堂に入り切れなかった学生は、教室に分散してテレビモニターをみながらの入学式だった。ことしは、二年ぶりに、ポートアイランドホールに戻っての入学式になったが、会場近くには、多くの仮設住宅が建ち並んでいる。

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●4月17日


◎震災知らない新入生へセミナー

●四月十七日神大国文キャンパスにて震災を知らない新入生を対象に「忘れないということ」と題した震災セミナーが行われた。
 今回行われた震災セミナーは、一月二十一日に神大と甲南大が合同で行った「忘れないということ−被災した学生からのメッセージ」と題するセミナーの第2弾。
 工学部4年の竹田亨さんから主張『忘れないということ』として「悲しみと苦しみの痛手を負った被災者の人々が神戸の復興のために自ら立ち上がり、復興の礎となってきたのです。このことを私たちは忘れてはならないし、決して無関心であってはならないと思います。それが、私たちの責務ではないでしょうか。」と述べた。
 主催者の山下浩司さんは「参加人数が少ないのは震災への関心が薄れてきたということなのでしょうか。キャンパスも震災の気配がだんだんうすれてきているのですが、そういう時だからこそこういうセミナーをやっていく意義はあるし、決してわすれてはならないと思うのです」と語った。

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●5月19日


◎兵庫県学生ボランティア協が合宿

●これまでのボランティア活動にどんな意味があったのか?もっと多くの学生に参加してほしい……。兵庫県学生ボランティア協議会が六甲山のYMCA研修センターで、十八、十九日の両日、合宿を行い、神大、神院大など十三のボランティア団体が、悩みを語り合い、交流を深めた。
 参加者のなかには個人参加者や、高校生や予備校生もおり総勢四十人近く。参加者の一人、神大総合ボランティアセンター代表の喜多眞理子さん(三年)は、「いつもの活動について、他の団体から客観的な意見を聞くことができた。ネットワークも広がると思う」と評価。【UNN】

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●6月2日


◎淀川の熱戦が復活 2年ぶりにボートレース大会

●六月二日淀川艇庫で、第39回ボートレース大会が神大漕艇部と体育会主催で行われた。昨年は震災の影響で中止となったが、今年は集まりもよく、好天にも恵まれ、絶好のボート日和となった。
 男子は十九チーム、女子は十チームがエントリー。参加チームは体育会、文化総部所属の各部、神大学生部から、神大学生の一般参加も。
 結局応援団が男女アベック優勝を決めた。また、特別賞のナイスネーミング賞には学生部の「見ろ!このおっさんパワーを」が選ばれた。

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●6月9日


◎震災のきずな…灘チャレンジ開催

●神戸市灘区の八幡神社にで「コミュニティフェスティバル・灘チャレンジ」が神大生を中心にして行われ、地元住民との交流を深めた。震災復興をテーマとして去年から神大学生震災救援隊を中心として催されるようになったイベント。出店やフリーマーケットが軒を連ね、降りしきる雨にもかかわらず会場には子供から老人まで大勢の人でにぎわった。
 実行委員会代表の内野真さん(理・二年)は「震災を後々まで伝えていくことは大事だが、震災によってできた人と人とのつながりを深めていくことも重要なことなのではないでしょうか」と語った。

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●6月27日


◎三大学体育大会 開会式

●第36回三大学体育大会(旧三商大戦)の開会式が、六月二十七日午前十一時から一橋大兼松講堂前で行われた。
 競技種目は、三十競技。神大が、これまで十四回連続で総合優勝を飾っている。 体育会副幹事長の池口太三郎さん(営・三年)は、「今年も、各種目で1位をとって、V15をぜひ果たしたい」と意気込みをみせる。

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●7月14日


◎インターネット上に『神戸大学の震災の記録』開設

●神戸大学ニュースネット委員会がインターネット上にホームページ『神戸大学の震災の記録』を開設。あの日地震の瞬間に大学に居合わせた人々の証言や、大学対策本部の活動、学生ボランティアの記録などが掲載されている。今後も震災関連の学内の動きがあれば、随時項目を追加していく同時進行のページにしていく予定。アドレスは、http://www.std.kobe-u.ac.jp/newsnet/となっている。
 なお、震災で亡くなった神大関係者の『追悼手記』は、関西学生報道連盟のホームページhttp://www.threeweb.ad.jp/~unnnews/に掲載されている。
 [注]現在は、NEWSNETホームページ震災特集に掲載。http://www.std.kobe-u.ac.jp/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm


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●9月15日


◎震災から1年8カ月 慰霊碑を訪れる家族

●震災からまもなく一年八カ月。晴天に恵まれた連休の日曜日、神戸大の慰霊碑を訪れた家族がいた。「あの日のことは忘れない」と花束を供えた。【九月十五日 神大NEWS NET=UNN】

 訪れたのは、震災で亡くなった神徳史郎さん(当時・工・三年)の父、神徳逸郎さんと、母・久美子さん 姉・綾子さん 弟・大介さん。それにサークルの自由劇場で一緒に活動していた友人の門屋史明さんと前田敦司さんの六人。
 長崎の五島列島に住む神徳さんらは、合同慰霊祭後に初めて神戸に訪れた。神戸港を見下ろす高台にある六甲台キャンパスの慰霊碑のまわりは、白い玉石がしきつめられて、芝生に囲まれきれいに整備されたばかり。六人は、それぞれの思いを胸に、黙祷を捧げ、花束を供えた。
 逸郎さんは、「慰霊碑の除幕式に来れなかったんで、今日初めてここに来ました。来てやらんと息子に悪いような気がしてね」と静かに話す。
 銅板に刻まれた四十一人の名前のなかの史郎さんの名前を手でなぞった久美子さんは「この大学受かった時は、親も子も喜んで……。こんなことになるとはね。あの地震さえなければ」と目を伏せる。
 「決してあのことは忘れません。今も毎日、朝晩お墓参りをしてるんでね」と強い言葉で語る逸郎さん。
「まだ(息子の住んでいた)甲南町のアパートは更地の状態でした。新しいアパートが建ってしまえば行くこともなくなりますね」「(学生の皆さんも)この前に立ったときだけでも、一緒に勉強した仲間がおったということを思い出してほしいです」と語る。


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●9月16日


◎日本科学者会議『夏の学校』 被災地の神戸大で開催

●日本科学者会議の「夏の学校」が、今年は神戸大で行われ、震災被災地の見学などに全国の若手研究家が参加した。【九月十六日 神大NEWS NET=UNN】

 JSA日本科学者会議が毎年、全国の若手研究者達が集う「夏の学校」を開催しており、今年は神戸大文学部を中心に行われた。
 九月十四日に東灘区や長田区の被災地見学から始まった。現地で復興のため活動している人達との懇談が行われた。十五日は、午前九時半から神戸大文学部の大会議室で震災問題をテーマに全体セッションが行われた。まず神戸商大の菊本義治教授から「大震災の被害の概況と復興の課題」と題した貴重報告があった。
 午後からは、インターネットや沖縄問題など、自然科学や人文・社会科学の分野別に、セッションが行われた。
 十六日には、午前中は神戸大学滝川記念学術会館でメッセージ講演と討論「21世紀を担う若手研究者へ」が行われ、午後にはオプショナル・ミステリー・ツァーで幕を閉じた。


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●11月1日


◎震災からもうすぐ2年…学園祭で救援隊は講演会、総ボラは募金

●あの阪神大震災からもうすぐ2年…今も被災地大学の学生として震災支援活動に取り組む人たちがいる。
 神戸大震災救援隊は十一月二日の厳夜祭で被災者への公的補償への理解を深める講演会を開いた。内野真さん(法・二)は「公的補償について一時わあっと議論されたのにいつの間にか消えてしまって…今どういう議論がされているのかわからないんですよね」と話す。いつの間にか忘れ去られがちになる震災、当の本人もあまり意識して考えることが少なくなったという。「時間的な区切りの時以外は本当にいわれなくなりましたね。仮設住宅も統廃合の問題があるが、もう震災で仕方なく建ったという意識すらなく、いつの間にか『見慣れた』仮設となってしまって…。それに被災当地の大学という意識が全くない新入生がこれから来ると思うと、あとに伝える難しさと、けれど大切さが交錯して…」。
 総合ボランティアセンターは六甲祭で模擬店を出す。収益金はあしなが育英会に寄付し、震災遺児のためのレインボーハウス(多目的ビル)を建てる基金とする。また甲南女子大生によるフリーマーケットも開き、被災地障害者センターのTシャツを販売する。前代表の稲村和美さん(院・一)はもうすぐ二年だという特別な意識はないという。「規模にかかわらずもしよそでおこった出来事なら人ごとだと思っていたでしょうね。そういう人のこともわかる。わかるからこそこの被災地からどう発信していけるかを考えなければいけない。でも自分があの震災で何を学んだかといわれればちょっと思い出せない」。奈良から今も自宅通学、当時は自宅にいた。「揺れの衝撃は直接体験しなかったが、当たり前のことが当たり前でなくなったのを目の当たりにした衝撃が大きい」。
 三十九人のともを失った神戸大にも、まもなく二回目の一月十七日がやってくる。


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●12月26日


◎震災下宿をルポ 本紙と関学紙などが合同取材

●関西学生報道連盟に加盟する、神戸大、関学、神女院大の新聞編集部が、合同で震災特集を企画。被災した下宿のその後を追う取材が進んでいる。【UNN 十二月二十六日】

 一月十七日の発行をめざして取材が進められているのは、『被災下宿は今』(仮題)という特集記事。
 去年は、『神戸大ニュースネット』紙が、被災した神戸大関係者四十四人の追悼手記を特集した。今年は、学生が亡くなった下宿のその後をルポするもので、同紙と、『関学新月トリビューン』、『神女院大K.C.Press』の三紙がそれぞれ取材を分担して、共同で特集紙面を編集する予定だ。
 すでに十二月二十四日から二班に分かれて取材を開始。神戸大班は、東灘区のあるアパートを訪れた。現場は、すでにマンションが建っており、近所をたずねながらの取材が続く。
 斜め向かいの家の女性が取材に応じてくれた。亡くなった神戸大生が、自分の夫とともに自衛隊に搬出されたときの状況を話す様子は生々しく、取材ノートにメモしていくのもつらい作業だ。
 二十二日に行われた編集会議では、「更地のままの下宿街もまだ残っている。建て替えが進めば、震災の記憶は忘れられていく。下宿があったその場所は、復興と風化のクロスポイントなのではないか」という企画意図について、深夜まで議論が続いた。
 取材は、正月をはさんで行われ、紙面は一月十七日に各大学で配布される。また、インターネットでも、当ニュースネットサイトと、関西学生報道連盟サイトに掲載される予定。


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●1月3日


◎1996年神戸大10大ニュース ニュースネット委

●神戸大ニュースネット委員会は、毎年恒例の『神戸大学十大ニュース』をまとめた。この一年に出稿されたニュース項目の中から、編集部員が投票で決めたもの。
 トップは、アメフット部の1部復帰。一昨年の入れ替え戦で同大に敗れて2部に転落。去年の入れ替え戦では同大に残り四十二秒で逆転負け。今年の入れ替え戦でも、その同大と対戦するという因縁の試合となったが、今度は接戦の末、悲願の1部復帰を果たした。
 二位は病原性大腸菌O−157騒ぎ。生協食堂ではメニューの一部が出食停止に。メニューコンテストや、六甲祭の模擬店の出店にも影響が出た。
 七位には、阪神大震災で亡くなった学生、教職員の慰霊碑建立がはいった。神戸市街地を見下ろす六甲台第一学舎の前庭に、名前を刻んだプレートとともに設置された。【一月三日 神戸大NEWS NET=UNN】


▽1996年 神戸大学10大ニュース

1位 アメフット部が、二年ぶり1部に復帰した。【十二月八日】
2位 O−157に生協、学祭実行委も対応に追われた。【七月〜十一月】
3位 医学部生が覚醒剤所持で、文学部生が麻薬密売で逮捕された。【十月十七日、十一月十二日】
4位 学内に国際研究科(六甲台内)、大学教育センター(国際文化学部内)など新建築物が登場した。
5位 ラクロス部男子。全日本連続出場が途絶えた。【十一月二十四日】
6位 工学部で化学実験中に爆発事故が起こり、学生二人がケガをした。【四月十六日】
7位 阪神大震災で亡くなった四十一人の慰霊碑が建立された。【三月十五日】
8位 OG(日本航空)が日本初の女性パイロットに【三月二十五日】
9位 競技ダンス部が全日本で団体四位に入賞。【七月七日】
10位 カヌー部が全日本学生選手権で五位に入賞。【九月一日】
次点 山野ジャズコンテストで神戸マソック・ジャズ・オーケストラが審査員賞。【八月十八日】



【神戸大学の震災の記録1996】
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■神戸大学の震災の記録1995 ('95/1/17)
       同       ('95/1/18〜)
       同       ('95/2/6〜)
       同       ('95/4/1〜)
       同       ('95/9/2〜)
■神戸大学の震災の記録1996 ('96/1/17〜)
■神戸大学の震災の記録1997 ('97/1/10〜)
■神戸大学の震災の記録1998 ('98/1/9〜)
■神戸大学の震災の記録1999 ('99/1/14〜)
■神戸大学の震災の記録2000 ('00/1/17〜)