【写真:震災から3か月。焼け落ちた西尾荘跡には、花が供えられた。焼けた瓦と「鈴木伸弘 安らかにお眠りください」の札が。(95年3月19日=灘区六甲町 ニュースネット撮影)】
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●京大、京教大、大教大、などから図書館復旧のために応援の職員が神大入り。17日まで、十一大学から来神。(図書館報)
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【写真:高架が落ち、コンコースが押しつぶされたJR六甲道駅(95年1月19日 ニュースネット撮影)】 |
●交通機関マヒのため、県外からの受験生のために前期入試会場を阪大、岡山大にも。日程も一日ずらす。
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【写真:願書が届き始める(法学部=95年1月27日 ニュースネット撮影)】 |
●前期日程で二千四十七人が四倍の倍率をくぐり抜け合格。(本紙)
【写真:後期日程入試(六甲台正門=95年3月13日撮影=医学部提供)】
◎合同慰霊祭行われる
【写真:兵庫県南部地震 神戸大学犠牲者合同慰霊祭(95年3月17日六甲台講堂 撮影=大学本部)】
《遺族代表あいさつ 遺族代表 森 茂隆》
本日ここに謹んで震災の犠牲となられた神戸大学在学中の39名の学生の方々、ならびに教職員2名の方々、あわせて41名の尊い御霊(みたま)に対して心よりご冥福をお祈り申し上げます。
特にこの中には遠く海外からの留学生7名の方々が含まれており、この方々に対して衷心より深く哀悼の意をひょうするものでございます。また、同時にこの度の阪神大震災で犠牲となられた5400有余名の御霊に対しても心よりご冥福をお祈り申し上げます。
さて、悪夢の1月17日から早や2か月経ちました。季節はいつしか春の盛りを迎えようとしています。しかし私たち遺族の心に春はめぐってはきません。
思い返せば1月17日午前5時46分、堺の自宅で私は今まで経験したことのない衝撃に叩き起こされ、思わず家内と手を握り合って座り込んでしまいました。この時はまだ神戸を中心とした被害の大きさは勿論(もちろん)、同じこの瞬間に自分の息子がガレキの下敷きになったとは夢にも思いませんでした。
私の次男は神戸の東灘区に下宿していたのでしたが、17日は結局彼からの電話連絡はなく、翌18日、私は自分の足で現地まで歩いていって何時間もかけて遺体を発見いたしました。息子の部屋は木造アパートの一階で、あの活断層の真上辺りでしょうか。一瞬にして崩壊したものと思われます。恐らく、前夜遅くまで卒業論文の仕上げに精を出し、明け方近く寝入ったところだったのでしょう。ベッドから動いた形跡は見られませんでした。この生と死を分けたものは一体何だったのでしょうか。目の前の41名の写真がなにかを語りかけているように思います。お一人お一人にとって、あの一瞬の状況は様々なものがあったに違いありません。
運命と一口に言うにはあまりにも残酷です。ましてや偶然の結果などとは決して肯定されるべきではありません。或(ある)いは、宇宙を支配せる神の意志ではないかと畏怖の念をいだく方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それも又単純に納得できる者ではありません。
この2ヶ月余り私は「どうしてですか」「なぜですか」と天に向かって問い続けましたが答えはまだ返ってきません。妻は悲しみの思いを拙(つたな)い歌で次のようにつづりました。
「天国(みくに)とはどこですか どこですか この母に新しい住所TEL教えて」
残された家族遺族にとって、ああであったらこうであったらとあきらめきれない思いが残るばかりです。
2月1日付読売新聞に「押しつぶされた夢、悲劇のキャンパス」という見出しで犠牲となった、神戸大学学生全員の写真と、プロフィルが紹介されていました。
一人一人には、前途洋々たる未来が確実にあったのです。21世紀の世界をリードしていく夢と希望を持って学んでいたのです。それが一瞬にして奪い去られてしまいましした。41名の死は実に世界の損失といっても言い過ぎではないと思います。
しかし、2ヶ月が経った今、私達遺族がいつまでも涙の中に明け暮れているのは、天国の御霊にとって決して本意ではない筈です。神戸大学に学び働いた真理の探求者らしく、「この現実をきびしく受けとめて前向きに生きてほしい」と残された私達に語りかけているように思います。一人一人の青春そのものであった神戸大学、そして美しい神戸の街が一日も早く元の姿を取り戻し、活気ある学生生活が返ってくることを願っているに違いありません。
聖書の中に「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」という一一節があります。一人一人の死が決して無駄ではなく、必ず豊かな実を結ぶことを信じ、そのために残された私達がなすべきことは何かということに今一度思いを新たにしてこれからの人生を歩んでいきたいと願っています。
最後にあたり、あらためて犠牲になられた41名の神戸大学学生、教職員の方々、そして5400有余名の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、同時に、一日も早い被災地の復興を願って遺族のことばとさせて頂きます。
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◎映研前部長の追悼上映会
【写真:中村公治追悼上映会(95年3月26日六甲台講堂 ニュースネット撮影)】