神戸大ニュースネット委員会のホームページ(HP)は、九六年七月二十六日からカウントを開始。毎日のアクセス数が記録されているが、一月二十一日に百四十四件のアクセスがあった。これは、計数開始以来、四番目に多い記録だった。一月十六日にも百十一件のアクセスがあった。
これは、複数のサーチエンジン(検索HP)の新着情報欄に『震災特集』の登録が完了したたためと、二十一日には、学内サークルHPのリンク切断事故とが重なったため、アクセスが集中したものと見られている。
これまでの最高は、去年七月三日の百九十五件。『小学生連続殺傷事件』の容疑者が逮捕され、顔写真や実名がHPに流出したと報道された直後で、「神戸」「ニュース」などのキーワード検索でヒット数が急増したためとみられている。七月二日は一八三件、四日は一四九件など、六月三十日から七月四日まで連日百三十件を超えた。このほかで百件を超えたのは、アメフット最終戦(対近大戦)の翌日の去年十一月二十五日の百十六件だけだった。
なお、一月二十三日午前零時現在の累積ヒット数は、二万二千九百四十五件で、一日平均にすると四十二件。
阪神大震災で亡くなった四十四人の神戸大関係者の『追悼手記』が英訳化されることになった。九十六年一月に『神戸大学ニュースネット』紙に特集として掲載されたもので、現在、同委員会のホームページ上に掲載されている。
「ぜひ海外の学生達にも、震災の体験を知ってもらいたい」という『神戸大学ニュースネット』紙の編集部の要望を受け、同紙が加盟している関西学生報道連盟の英語の得意なスタッフが、関西地区のいろいろな大学の学生達に「いっしょに英訳しませんか」と呼びかているもの。
英訳責任者の玉木剛デスク(「同志社PRESS」編集長、同大・文二年)は「全国の英字新聞を中心に手伝ってもらいたい」と話しており、現時点で同志社大学英字新聞部が同意、今後、他大学へも呼びかけていく予定。
英訳化を予定しているのは、『あなたのことを忘れない〜四十四人への追悼手記』と、地震直後からの神戸大の一年のドキュメント『激震のあの日から一年』の二テーマ。息子や娘を失った両親の心の叫びや、震災の瞬間の学内の生々しい目撃談などがつづられている。今年七月十七日を目標に翻訳作業を進める。
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神戸市中央区、ポートアイランド第七仮設住宅に入居している被災者のうち、治療が必要と判断された人の約四割は医療機関に行っていないことが神戸大学医学部地域看護学講座の松田宣子教授らの調査で明らかになった。
この調査は二月十四日、神戸商工会議所会館で行われた「第三回神戸大学医学部震災シンポジウム」で報告され、昨年一月から十一月末までに、ボランティアの看護婦らが個別訪問と健康相談会で把握した同仮設住民の健康状態がまとめられている。
この他、小児科学講座の高田哲講師が震災一年半後の被災地での「子供へのストレスの影響」を報告した。
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三月二十五日は、朝から春の訪れを思わせるぽかぽか陽気となった。ポートアイランドへの足となるポートライナーは、スーツや袴を来た卒業生たちであふれた。
予定の午前十時三十分を少しまわったころ、開式の辞で卒業式は始まった。今年度の学部卒業生は二千六百六十九人、養護教諭特別別科卒業生は三十四人、大学院修士課程及び博士過程前期課程修了者は八百八人で、合計三千五百十一人。各学部や研究科の総代が、次々に壇上に上がり、西塚泰美学長から証書を受け取った。
西塚学長は式辞の中で、長野オリンピックで原田選手の人知れない努力に若い世代が祝福していることに触れ、「私たちは現在直面している数多くの問題を解決し、より明るく、新しい未来を築くことができると確信している」と激励。「物事の結果ばかりに注目するのではなく、そこに至る過程にも目を向けて、自らの信念に向かって失敗を恐れずに、果敢に挑戦していく心を忘れないで欲しい」と卒業生にエールを送った。これに対して、経営学部の勢志恭一さんが答辞で答えた。最後に交響楽団とグリークラブが学歌を演奏し、式は威風堂々が流れる中、厳かに幕を閉じた。
この日、震災を直接体験したほとんどの世代が、大学を去って行った。レコード会社に就職する法学部の入江哲さんは、「震災で何かを失ったが、でも乗り越えてきた」という。院に進むという発達科学部の吉田雄一さんは「震災で同じ学部の学生が亡くなった。その時は信じられなかった。彼の分もがんばって行きたい」と語った。この日、卒業式が行われたポートアイランドの南側には、今も仮設住宅がひろがっている。都心の三宮では、センター街のアーケードがようやくほぼ完成する一方で、かつて神戸大の卒業式の会場だった国際会館は、鉄骨が組み上がり、ようやく建物の外観が見えてきたところだ。
卒業式終了後は、ホテルや大学内など、学部や学科ごとに「卒業パーティー」が行われた。LANSで行われた文学部の卒業パーティーには、卒業生の他、OBや教官など約百五十人が参加して、にぎやかな雰囲気。発達科学部でも午後一時三十分から学部体育館で卒業祝賀会が行われた。午後一時からホテルオークラで行われた法学部のパーティーでは、根岸学部長が「阪神大震災を体験し、みなさんもボランティアなどをされたことでしょう」と述べ、ともに体験した震災を振り返った。
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開催場所は神戸市灘区の成徳小学校、成徳地域福祉センター、大和公園で午前十時から午後五時まで。主催は神戸大生を中心に構成されている「NADA Challennge ’98」実行委員会と、兵庫県生活復興支援事業実行委員会。
「灘チャレンジ'98」は、灘の街を元気づけ、多くの人が楽しく触れ合えるコミュニティー作りを掲げ、それに学生が積極的に関わっていこうと、震災の年から開催されてきた。今年は特に今までの活動の集大成として祭を開催し、震災の年には「復興祭」として始まった「灘チャレンジ」は地域のための祭として機能していく。
内容としては、ステージで寸劇、講演会、クイズ、演奏、カラオケ、ビンゴなどが行われ、グランドでは遊びの広場の提供、ゲートボールや健康チェックなども出来るようになっている。また、水道筋商店街やJR六甲駅周辺ではパレードも企画されている。食べ物、フリーマーケットなどの模擬店も出る予定。
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『神戸大学震災復興NET』は震災のあった九十五年の一月に、現在代表を務める落合幸弘さん(法・四年)が呼びかけて立ち上がった。「神戸にいる僕たちが何かしなければと思ったのが始まり」。現在は一年生から四年生まで約二十人の学生で運営している。
九十五年の一月に学内で行われた震災に関するセミナーを皮切りに、四月には医学部の教授を招いて被災者の心に関する問題を扱ったセミナーを開いたり、また被災した学生の話しを聞く機会を設けたり、震災当時の写真の展示をするなどの活動を不定期で、これまでに行ってきた。
震災から千日が経った今、実際に震災を体験した学生は大学から去り、『神戸大学震災復興NET』にも被災世代はいなくなった。「しかし震災はまだ終わっていないし、神戸にいる僕たちが忘れてはいけない」。落合さんは震災から三年経った今だからこそ活動を続けていく意味があるのだと、アンケートの実施を思い立った。また、総合ボランティアセンターや救援隊など、学内のボランティア組織とも連携して活動の枠を広げていく予定だという。「これまでは不定期な活動だったけれど、今後は定期的な活動を指向していきたい」と、『神戸大学震災復興NET』はこの集計を今後の活動の足掛かりにする。
アンケートは千人を目標に、主に大教室での授業で配布され、今のところ約五百の回答が寄せられている。
寄せられた回答からは震災に対する関心の薄れを何よりも感じるという。「例えば現在問題になっている被災者支援法を知っている人はほとんどいない。だけど仮設住宅など神戸にいれば震災は身近に感じているはず」。被災地神戸にいるのだし、関心は持ち続けてもらいたいと落合さんは話している。
このアンケートは五月の中旬を目標に集計され、プレスリリースもされる予定だという。
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主催の「震災復興NET」は九十五年の一月、四月、十一月にセミナーを開催した「震災セミナー実行委員会」を引き継いだ形で、今年の四月に新たに発足した団体。当時主に活動していた山下裕司さん(当時、済・四年)が卒業した後、活動は事実上休止状態だった。しかし「表面的な復興は早いから震災があったことををつい忘れてしまうけれど、被災地神戸が様々な問題を投げかけている以上、さまざまなことがそこから学べるはず。だから関心は持ち続けてほしい」と、代表の落合さんが呼びかけて、セミナーやパネル展示、また機関紙の発行など継続的な活動を目指して「震災復興NET」は設立された。
復興NETにとって初の企画となる「震災連続セミナー」第一回目は発達科学部の鈴木正幸教授や神戸大OBで、現在伊丹市を拠点に活動をしているボランティア団体「ユー・アイ・アソシエーション」代表の赤松弘揮さん(94年度経済学部卒)を迎え、国文のB101教室で午後三時三十分から行われた。
赤松さんは講演のなかで、同じゼミに所属していた金山朋子さんを震災で亡くした事に触れ、「震災のあった一月十七日は卒論の提出期限三日前。卒論は出来あがっていただろうに卒業証書をもらえないと聞いて、それはおかしいと思った」と、六甲道や三宮で署名活動を行い、約四千五百の署名を文部省に提出したことを話した。そして金山さんのもとに「卒業証書」はとどけられた。「おかしいことはおかしい。間違っていることは間違っている。声をあげなければ何も始まらない」と、机の上の理論だけではなく、学生ならではのフットワークの軽さを生かして実際に行動を起こして欲しいと訴えた。
最後に、今回のテーマでもある教育問題を中心に鈴木教授の講演が行われ、知ることと分かることの違いや、実体験の大切さなどが述べられた。「トイレを流すのにどれだけの水が必要か、神戸の子供たちは震災を通じて様々な体験をした」体験を通じて感じることが新しい学力で、つまりそれが第三の教育革命であるとした。
一回目のセミナーを終えて代表の落合さんは「真剣に聞いてもらえてうれしい。今後も様々な角度から震災の事を学生に訴えていこうと思う」と今後の抱負を語った。
●連続セミナーの第二回目以降の予定は次のとおり。
▽第二回 5月26日午後3時30分〜『震災とボランティア活動〜学生に語るボランティアの魅力』
▽第三回 (日時未定)『震災の法と政策〜被災者支援法論議に物申す』
▽第四回 5月30日午後三時〜『震災における報道の役割』
【写真】大震災の風化を忘れないでと、学生有志でつくる「神戸大学震災復興NET」が連続セミナーを開始。(5月13日午後4時 国際文化学部B-101教室で。 撮影=栃谷亜紀子)
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連続セミナーの第二回目は『震災とボランティア活動〜市民社会構築へ被災地からの発信』がテーマ。震災を契機に論議が高まっていたNPO法(非営利活動促進法)が今年の三月に成立したことを受けて、市民社会にボランティア活動がどう貢献していくのか考えるのが狙いだ。この日、会場になった学生学館の第三集会室には神戸大の学生のほか、関学など他大学の学生や一般市民ら約二十人が集まった。
セミナーに協力した総合ボランティアセンター代表の安藤直樹さんは、講演の中で仮設住宅の訪問や灘チャレンジ開催などこれまでの活動を振り返り、「震災当時と今とではボランティア活動の内容は変わっている。今後は心のケアやふれあいの場を作る事が重要」と述べた。
また、在日外国人のためのボランティア団体『他文化共生センター』代表の田村太郎さんが、復興NET代表の落合さんと対談形式で今後のボランティア活動のあり方について講演を行った。
この中で田村さんは震災当時の状況に触れ、「外国人に向けての情報は英語がほとんど。英語がわからなければ、ガス漏れの避難勧告でさえ伝わらない」と、ニーズのあったスペイン語やタガログ後などの情報を、電話で出す事を決めた。このとき発足した『外国人地震情報センター』を前身に、『他文化共生センター』は現在、スペイン語やタガログ語など七つの言語で、生活相談や日本語教室など、外国人向けのボランティアを行っている。
また、震災を契機に高まったボランティア活動が、震災から神戸が見つけた、外に向けて訴えるべきメッセージになりうるのではないかと田村さんは話す一方で、「コストも手間もかかる、ボランティア・コーディネートする人が足りない」のが最近の悩みだという。三月に可決されたNPO法についても、「定着しつつあるボランティア活動をさらに推し進めていく追い風になるのでは」と期待を寄せるが、免税措置がないことや法人格は認可許諾制であることなど、「まだまだ改善の余地はある」と今後の課題を示した。
次回、第三回目の連続セミナーは、『震災における報道の役割〜二十一世紀のマスメディアへ被災地からの発信』をテーマに五月三十日、午後三時からフェニックスプラザの多目的ホールで行われる。入場は無料。問い合わせは電話 080-389-5513(落合さん)まで。
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「灘チャレンジ'98」は、震災で大きな被害をうけた灘を元気づけるために、ボランティアをしていた神戸大の学生らが中心になって、一九九五年から開催されてきた。
今年行われる「灘チャレンジ'98」でも、地元の商店から商品券を協賛してもらい、ビンゴの賞品として配布することによって地元商店と地元の人々を結びつける「灘の街めぐりビンゴ」や、演武や、ジャズ演奏など神戸大のサークル団体によるステージ企画。各種ボランティア団体による模擬店フリーマーケット。子供とお年寄りの交流を図るゲートボール大会などのグランド企画が行われる予定。
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今回の連続セミナーでは、神戸新聞記者の西海恵都子さんや、ニュースネット委員会の元編集長で中国新聞整理部記者の里田明美さん(自然科学院・九六年卒業)を招き、『震災における報道の役割〜二十一世紀のマスメディアへ被災地からの発信』をテーマに五月三十日、午後三時からフェニックスプラザ(神戸市中央区三宮町1丁目、電話078-325-8558)の多目的ホールで行われる。
里田さんは、ニュースネット委員会の初代編集長で、震災直後の神戸大学内や関係者を取材した。また、一九九六年一月には、遺族の追悼手記の特集号を編集した。
主催の落合さんは「今回のセミナーは学外で行うので、学生以外の方にも来て欲しい」と多くの人の参加を呼びかけている。入場は無料。問い合わせは電話 080-389-5513(落合さん)まで。
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テーマを選んだ理由を代表の落合さんは「いろいろな問題を提案するのもマスコミ。だからそのマスコミ自身を扱ってみたかった」と、震災時における報道を検証しその役割を問うことで、マスメディアのあり方を共に考えていくのが狙いだと話す。会場には学生の他に、仕事帰りでたまたま近くを通りかかった市民も訪れ熱心に話に耳を傾けた。
今回のセミナーには、神戸新聞記者の西海恵都子さん、ニュースネット委OGの里田明美さん(中国新聞勤務)、関大の社会学研究科に在学中の小城英子さんが招かれ、対談形式で行われた。
震災時に社屋が倒壊、社員の多くも被災した中で、「私たちも被災者だったから、被災者の目線から震災の報道はスタートした」。神戸新聞は震災当時、給水所や開いているコンビニの情報など、被災者に密着した生活情報を繰り返し伝えてきた。また「亡くなった人たちが私たちの仲間だったことをどうしても残しておきたかった。反対に傷を深めてしまうのではという葛藤もあったが、出来上がって遺族の方にはとても喜ばれた」里田さんは追悼手記の編集を振り返る。「報道も手助けはできるはず」、そのためには被災者の痛みに共感することが大切だと『阪神大震災とマスコミの功罪』著者の小城さんは述べた。
しかし震災から三年が経った今、「例えば、公的支援については被災地以外の人の共感をどれだけ得られるかが重要」と、震災当時と報道が果たす役割が変わってきていることを示す。また「被災者が直面する状況は個別化が進み、同じ神戸市内でも震災に対する意識には温度差が生まれている」。どうすれば、読者に訴えられるのか、神戸新聞内でも震災の扱い方が議論の対象になる。一方、広島の地方紙、中国新聞には原爆や平和をテーマにした記事が載らない日はないが、震災の記事が全くない日があるという。里田さんは「実際に体験した場から全国にむけて発信していく事が大切なのに、状況は逆になっている」と、現在の震災報道に疑問を投げかける。「これからは復興の様子を伝えていくことと促すこと、そして防災など神戸が震災から得た教訓を全国に向けて発信していくことが大切なのでは」と述べ、小城さんはこれらが今後報道が果たすべき役割だとした。
連続セミナーも今回で三回目となる。代表の落合さんは「震災復興NET発足の当初にあった構想以上のものができあがっていると思う」とする一方で、「広報活動などノウハウが全くないので全て泥縄式。今回は内容がよかっただけに、もっと多くの人に来て欲しかった」と話す。
次回、第四回目は『震災の法と政策』をテーマに、被災者支援法についてのセミナーが六甲台キャンパスで行われる。日時は未定。問い合わせは 電話080-389-5513(落合さん)まで。
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神戸空港建設を巡る議論を扱った『神戸空港と住民投票を考える寸劇』を、区は「地元で意見が分かれる問題を持ち込んでで欲しくない」として、同実行委員会が主催する『灘チャレンジ』への後援を取り消した。
このため市立の小学校を会場として使う事ができず、急きょ大和公園に変更となった。同実行委員会の森修一さん(発達・二年)は「おかしいと思う」と話している。
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調査は、一九九五年の四月から三ヶ月間、神戸市内にある六甲山系の急傾斜地崩壊危険ヶ所、八百三十ヶ所で行われた。震災でできた亀裂、斜面の状態などを考慮して総合的に危険度を判定するというもの。須磨区など市西部を中心に三十九ヶ所を特に危険という結果が出た。
その後も雨が降ると斜面の様子を調べ、今春までに須磨区で四ヶ所、兵庫と灘区でそれぞれ一ヶ所づつ小規模な崩落が繰り替えされていることが確認されている。
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地域を活性化、地元との交流を深めようとの目的で、震災のあった九十五年から始まったこのイベントは今年で四回目を数える。今年は昨年からの灘区の後援がなくなり、開催場所が当初予定されていた成徳小学校から東隣にある大和公園へ変更された。予算や出店数などの減少はあったが、会場には六甲学院や滝川学院の生徒も参加して、おみこしやもちつきなどのイベント、たこ焼きやお好み焼きの出店のほか、将棋部による「縁台将棋」や、六甲診療所による健康チェックが行われており、地元の子供会や地域の住民など、多くの人で賑わった。
ビラを見てたまたま来たという、寿公園の仮設住宅に住む和唐須美子さん(七一)は、「学生が主催しているので若い人が多くて、活気がありいいですね」とひとときを楽しんだ。
ステージでは落語研究会や軽音部による発表のほか、午前十一時五十分からは同実行委員会による『神戸空港と住民投票を考える寸劇』が行われた。
灘区が後援を取りやめたのはこの企画が原因とされており、担当部局の町づくり推進課は理由について「空港問題は微妙な問題だけに、後援はできない」としている。
この問題が以前から学内紙や一般紙で取りざたされていたためか、訪れた人の注目度は高く、途中雨が降ったにも関わらず学生や一般市民らが『寸劇』を終わりまで見届けた。
問題となった『神戸空港と住民投票を考える寸劇』は神戸市役所が舞台。狸に扮した「神戸市長」や助役など、市の幹部らが登場して七十四年に受けたとされる「神戸に直下型の大地震がおこる可能性がある」との報告をもみ消そうとする様子が描かれたほか、八十五年に神戸市に発足した「地震対策本部会」で、市が想定震度を費用のかからない震度五に設定しようとする様子が演じられた。「神戸市民の安全だぁ?寝ぼけたことを!」「私達は神戸市株式会社。リーダーには何よりも経営者としての手腕が必要」「地域の活性化よりも空港建設」など、当時の市の幹部らが市民を無視した行政を行ったという筋書のセリフが劇中でかわされた。
ステージでの『寸劇』は毎年恒例となっており、これまでにボランティアや仮設住宅を扱ってきた。今回空港問題を扱うことには、実行委内でも意見が割れたという。脚本担当者は「空港問題は今年が正念場。政治的な問題を扱うことに多少の疑問もあったし、灘区の後援が取り消されたこともからんで、委員会内での見解は今でも統一しない」としながらも、「神戸空港建設は重要な問題で、やはり意見が割れるだけのことはある。それぞれが持ち帰って考えるきっかけになれば、意義があったといえるのではないか」と話している。今後も今回と同様、政治的な意味合いを含んだ題材を扱うかどうかについては「これから総括していく中で、今後どうするのか判断が下されるので今は何とも言えない」としている。
寸劇が終わってからは、「神戸空港・住民投票の会」代表世話役人で作家の田中康夫さんが壇上に上がり、住民投票を行うことの理解を得ていきたいと講演した。また、この日会場を訪れたある神戸市議会議員は「後援というものはイベント全体に対してすべきもので、その中身に関し後援する側が干渉することはあってはならないのではないか」と今回の灘区後援辞退に疑問を投げかける。
一方、灘区は「地域の元気アップにつながるイベントには出きるだけ協力したい」としながらも「地域でも意見が分かれている空港問題を扱うということなので、今回は後援という形をとれない」と話している。
同委員会実行委員長の森修一さん(発達・二年)は、「今回灘区の後援はなかったが、予想より人出は多かった」。また、空港問題を扱う決断を下した理由を「灘チャレンジは町の問題に当事者たちが本当に関わっていこうというのが目的なので、それを捨ててまで内容を変更するつもりはない」と話している。来年以降、灘区が後援するのかどうかについては「わからない」としている。
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今回翻訳されたのは、一年目の特集から「ドキュメント 激震 あの日から一年」と「あなたのことを忘れない 神戸大学四十四人への追悼手記」。
清泉女大、近大、同大、中大、成城大、立命、早大の七大学の英字新聞部などの協力を得て、翻訳を完成させた。
ただ、阪神大震災など固有名詞の表記の統一や名前の読み方など、実際の編集作業に時間がかかり、予定の十七日から一日遅れの十八日の早朝に掲載された。英訳を担当した玉木剛・関西学生報道連盟代表(同大・三年)は「英文をチェックしてくれる人が見つからず苦労した」と振り返る。
スペルミスや表現のおかしい箇所の指摘はnewsnet@std.kobe-u.ac.jpで随時受け付けている。
世界に向けて、被災地から震災の情報発信が始まる。
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英語版HPには活動紹介のほか、「震災特集」の中から、一年目の特集「激震のあの日から一年」、「震災で亡くなった四十四人への追悼手記」が盛り込まれている。英語版サイトの開設は、「震災の情報を世界に向けて発信したい」という部員の要望がきっかけで行われた。ただ日々のニュースなどその他コンテンツに関しては、今のところ日本語のみの掲載となる。
URL http://www.std.kobe-u.ac.jp/newsnet/Eng/index.html は、約三十の海外サーチエンジンに登録を済ませたほか、八月三日早朝には百六十あまりの海外の大学新聞に電子メールで告知した。日本の大学新聞が英語版サイトを持つことは、大手サーチエンジン「Yahoo」の大学新聞カテゴリーに日本の団体の登録がないことからも、めずらしい試みと言える。
ただ、ニュースネット委員会には英語に堪能な部員が少なく、表現の不慣れな部分に関して担当者は「その都度、メールなどで指摘してもらえればありがたい」としている。
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室崎教授は一九九五年の震災直後から、倒壊した建物四十万棟や二百件の火災について被害状況や場所の調査を開始、神戸大以外にも阪大や京大の学生約千人から協力を得て、二、三週間で結果をまとめた。
震災から三年半経つ現在、室崎教授が始めているのが、この『阪神・淡路大震災における犠牲者の被災実態調査』。「人がどうやって亡くなったのか、個別に説明する資料を作る」のが目的だ。
七月下旬から調査を開始、八月四日現在で五件の訪問を終えている。聞き取り調査は教授一人と学生二人が直接遺族にあたって、一件当たり二時間かけて行う。またこの調査には文学部の奥村弘助教授やボランティアグループからの協力も得ている。「調査に当たるグループを百チームくらいに広げて、今年は二百件を目標に進めたい」。最終的には震災の犠牲者約六千五百人分の記録をすべて残したいと話す。
これらの一人一人の犠牲者に関する記録には解釈を一切挟まずに、いつでも誰でも見ることのできる共有財産として、ある程度まとまった数ができれば資料館などに置きたい意向だ。
内容は、遺族からの聞き取り調査、証言(テープで音声も)、その時施された救急医療、検死のデータ、家の間取り、家の構造や壊れ方(写真も)、マスコミに取り上げられた人はその記事、など。
「死因の調査といっても窒息死が何%とか、そんなデータではなくて、個別の死を大切にしたうえで、そこから何らかの教訓を得たい」、何が問題かを残せなければ意味はないと話す。
調査は遺族に自由に話してもらうことから始まり、犠牲者が亡くなった背景にまで踏み込む。「誰と誰が一緒に寝ていて、家具がこういう風に倒れて…」といった亡くなる前後の状況も詳しく聞く。アルバムや、文集を見せてもらうこともある。「つまり六千本のルポを作成しているようなもの」だという。
「亡くなったのは私のせい」と自分を責め続ける遺族が多い中、専門家としての立場から「建物の構造と地盤の関係が…」など、真の原因をつきとめることで、遺族が背負ってるものを軽くできるかもしれないと室崎教授は話す。「人にも何も言わないで黙っていたけど、洗いざらい話してしまいたい」という人もいる。
その一方で、「なぜ、そんなにもろい家に住んでいたのか」など、相手にとって辛いことも聞かねばならない。「調査に協力できない」という返事もある。しかし、「傷口は傷口としてしっかり聞きたいし、そういう人の話をなおさら聞きたい」のは、「話せない」原因をつきとめたいからだ。
調査を進める中で、背景には生活習慣が密接に関わっていることに気付くという。例えば、仏間で亡くなった人は仏壇の下敷きになって亡くなっている。仏壇に足を向けて眠る習慣がないからだ。また屋根の下敷きになって亡くなったというケースは、窓の多い南側の壁の方が弱いのに、「北枕」が御法度とされていることから頭を南に向けて眠っていたからとされる。
この調査をつきつめれば、生き延びるための「住まいの作法」が知恵として出てくるのかもしれない。家族の問題やコミュニティーの問題が見えてくるのかもしれない。「二十世紀の街づくりの問題が浮き彫りになるのだろう」と話す。
室崎教授は阪神大震災を「六千人が一度に亡くなった事象」ではなく、「一人一人が亡くなった事象が六千回一度に起こった」と考える。個々の死の個別性を捉えたいというのがこの調査の根幹だ。「震災の記録を残すことは被災地の研究者の責務」として、震災犠牲者一人一人の記録は少しずつ、確実に、室崎教授らの手によって残されつつある。
【写真】都市安全センターの室崎教授。震災犠牲者の死因を一件一件個別に調査している。(8月4日午後4時00分 室崎研究室で。 撮影=矢吹大祐)
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水害救援ネットは一日に有志らが集まり準備会が発足、立ち上げ式で正式に設立となった。「震災時に学んだ、ボランティアの方法を伝えたい」として、立ち上げ式が行われた四日午後十一時、現地の福島県に向けて五人が神戸を出発した。
代表の岩永昌寛さん(農・三年)は、「震災時には福島県からも支援が来たので恩返しをしたい」。試験をはさむ中、できる範囲でボランティアを派遣したいと話す。水害救援ネットにつけられた『じゅうたん』の意味は、「学生のあたたかな気持ちが、神戸から福島へ飛んでいくように」という意味が込められている。
今回、水害救援ネットから現地へ派遣されるのは、相沢亮太郎さん(発達・二年)、寺下知秀さん(保健・二年)、山本晋司さん(発達・一年)、笹倉宙希さん(上智大・一年)と、社会人の矢野岳さん(三〇)。
派遣メンバーで、震災救援隊の副代表でもある相沢さんは、「震災の時にできたボランティア団体間のネットワークのおかげで、緊急時にすばやく動くことができる」と言う。現在も全国のボランティア団体の間で、さかんに刊行物の交換などが行われ交流を深めている。また情報交換の方法としてメーリングリストも使われており、今回の水害に対するボランティア要請もここで行われた。昨年一月に起こった重油流出事故へのボランティア派遣にもこれらのネットワークが生かされたという。今後は「震災を契機に立ち上がったボランティアのネットワークを維持していくこと」が課題だ。
水害救援ネットは現地への派遣と併せて、現地ボランティア支援と水害救援ネットのカンパを募っている。募金は支援金、カンパ、いずれか明記のうえ、郵便振替 14370‐29092101、または、銀行振込 さくら銀行 六甲支店 309‐3958685(神戸大学水害救援ネット 藤岡真知子)まで。
また、募金活動などのスタッフも募集している。場所・日程は、九月五日から十四日まで阪急六甲駅とJR六甲道駅、九月十日、十一日の昼休みに国文食堂と陸橋。教官へカンパを呼びかけや、企業や商店へダイレクトメールを発送、事務局での電話対応などのスタッフも募集している。問い合わせは、電話 078−881−4755(震災救援隊気付)まで。
なお、総合ボランティアセンターのホームページ上に詳しい情報が掲載されている。URLは、http://www.std.kobe-u.ac.jp/kuvc/home-J.html
【写真】水害救援ネットの立ち上げ式。この日の夜、5人が現地の福島県へ向かった。(9月4日午後3時00分 学館第3集会室で。 撮影=栃谷亜紀子)
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「震災時のノウハウ伝えたい」として、水害救援ネットは九月四日に正式発足した。同日夜に現地派遣メンバーは福島県大信村に出発、七日早朝まで活動を続けた。 この「現地報告会」では派遣メンバーが写真を用いながら、被害の状況や救援活動を詳しく報告。水がひいた後の道端や庭には砂のほかに冷蔵庫や洗濯機、崩れた堤防などが散乱している状況や、床上浸水した家屋の土砂を一件一件取り除く活動を続けたことなどが報告された。また、神戸は昔から洪水に見舞われることが多いとされており、「今回の活動から学ぶ所も多かったので、今後はこの経験を生かせるようにしたい」と神戸における『水害対策』を再確認した。
派遣メンバーの相澤亮太郎さん(発達・二年)は、「災害の現場で活動をしたのは初めて。生活の舞台がなくなる現場を見たことが、何よりも重要な経験になったと思う」と話している。
この日、募金の状況もあわせて報告された。キャンパス内や阪急六甲駅などで行った街頭募金や生協に設置された募金箱、また口座への振込など合わせると、総額で二十六万二千七十五円に上るという。また今後も募金活動は続けられる。
【写真】現地に到着直後(上)、活動最中(下)の様子。現地では約10人の班を作り、床上浸水した民家にたまった土砂を取り除く作業をした。(9月5日午前10時 福島県大信村にある民家の庭で。 撮影=水害救援ネット提供)
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このシステムは、一時間当たりに来る患者の人数・重症者の割合・トリア−ジ(重傷度選別)に要する時間・医師の人数を、一九九五年一月の阪神大震災のデ−タを元にモデル化。患者五十人をトリア−ジするのにかかる時間を理論的にシミュレ−ションした。
阪神大震災以降、全国各地の病院が災害時の対策マニュアルを作っているが患者の数や重傷度など具体的内容を想定したものは少ない。
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「安心と活力あるまち創り・くに創り」をテーマに開催され、今年で五十三回目を迎える土木学会平成十年度全国大会は、八つの支部があるうち、関西支部が主催で行なわれた。
今年は全国大会では初めてとなる特別シンポジウム『震災を越えて〜土木への期待と将来展望〜』が神戸ポートピアホールで開かれ、コーディネーターに京大防災研究所の亀田弘行教授、パネリストに神戸大の新野幸次郎名誉教授、日本道路公団理事の村瀬興一さんなどを迎えて行なわれ、約千二百人が参加した。
三日間で、学生交流会や研究討論会など多数の行事があり、市民の参加も多く、震災後の神戸の土木への関心の高さが表れた。行事の一つ見学会では、全国の土木技術者や研究者が、実際に明石海峡大橋など各地に向かい、震災から復興した神戸の町を見てまわった。
土木学会全国大会は来年は広島大で行なわれる。
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大月一弘教授は震災当時、宝塚の自宅で被災した。「すぐに大学に向かい、ボランティアをしているうちにいくつか気づいたことがありました」。
避難所によっては、救援物資にかなりの差があることが分かってきたという。「物資を支援する側も全く避難所の情報がなく、どこに配給すればよいのかなど情報が不足していたのです」。「でも、情報は溢れていました」。
情報があるだけでは役に立たない、これが本を書くきっかけになった。「情報の流し方がうまくいかなかった。情報を知っていてもアクションができない状態でしたね。だから、情報の流通がきっちりしているというのは動く態勢もできているということ」。
「災害は起こってから、何が目的かが分かり、それを多目的に動かすシステムが大震災ではなかった」と話す。
震災の前年にはインターネットはなく、急速に普及したのは震災後だ。「その分、インターネット上の問題も次々とでてきました。常に各人が使い方、道徳などをわきまえて使い、みんなが考えていくことが必要ですね」。
大月一弘(おおつきかずひろ)
神戸大学助教授(国際文化学部、情報工学専攻)一九五八年生まれ。大学内外の情報化、ネットワーク化に携わる。阪神淡路大震災では、あえてインターネット以外の方法でも被災地の情報流通に関わる。
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この都市・建築展には図面や模型など約四十点の都市、建築設計作品が展示される。市民の建築、まちづくりに対する関心を深め、震災復興への提案を行うのが狙い。併せてシンポジウムの開催も予定されている。
さんちかホールは神戸市三宮町一の十の一。
神戸シネックには、神戸大、神外大、神院大、甲南大、神戸山手女短大の五大学が現在加盟している。震災などで活動は一時的に休止たが昨年復活。今年が事実上、第二回目の合同上映会となる。
「映画を撮りたいという希望に応えよう」として行われるワークショップは、昨年の反響が大きかったことや、内容のより一層の充実をはかるため、今年から上映会とは別に時間を設けて約一週間間の編集期間を置くことにした。現在、撮影や出演など実際に制作に参加する希望者を一般から募集している。作品は、事前に用意された十分前後の脚本をもとに制作され、シネックのスタッフが編集してから十二月五、六日午後〇時三十分から神戸アートビレッジセンターで行われる『神戸シネック合同上映会』で、各大学の作品とあわせて実際に上映される。
合同上映会では、八ミリやビデオ作品など、各大学の自主制作映画が約二十五本上映される。神戸大の映画研究部は、『まばたきのま』(小幡秀典監督・文・二年)、『Balance』(藤井恵昭監督・済・三年)、『CHILD PLAY』(堂田卓広監督・工・二年)のビデオ作品を三本上映する。
ワークショップへの参加など、問い合わせは、078-512-5500(神戸アートビレッジセンター・神戸シネックワークショップ係)まで。
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十一月二十八日にオープンする大阪梅田の『HEP FIVE』、『神戸国際会館』(平成十一年春竣工予定)や『エスタシオン・デ・神戸』など、模型や写真の展示が五十数点並んでいる。その中でも、『HEP FIVE』の観覧車は今にも動き出しそうな精工さで人の目を引きつける。
『木南会』の卒業生が、日頃取り組んでいる計画、設計、活動の一端を図面や模型、写真などで表現しようと行なわれた企画で、初めての試みだ。
十九日から始まり、初日は約二百五十人が訪れるほどの盛況ぶりを見せ、震災後の神戸市民の建築への興味の高さもうかがえる。
神戸大の経済学部を卒業生したという方は「いー企画だと思います。もっと多方面でもやって欲しいですね」とにこやかに話す。
このイベントは二十四日まで、神戸三宮のさんちかホールで行なわれている。
また、二十一日は、午後三時から午後五時まで兵庫県教育会館グランホールで、パネリストに神戸大の狩野忠正教授や東大の藤森照信教授などで、シンポジウムを行なう。
【写真】建造物の模型が並ぶ会場には初日だけで250人が訪れた。11月24日まで開催。(11月20日 午後2時00分 三宮さんちかホールで。 撮影=堀江悟)
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震災で一時活動が休止、昨年から始まったのが『神戸シネック合同上映会』で、神戸大、神院大、神戸外大、甲南大、神戸山手女短大の五大学が参加し、それぞれの自主映画数本を上映する。「昨年よりは確実にレベルアップしている」そう確信するのは今年の神戸シネック代表の藤井恵昭さん(神戸大・三年)で、神戸シネックを目標に映画作品を制作、大学ごとの特色の違いなどで刺激になると話す。
十二月五日、六日、合同上映会が行われる新開地の神戸アートビレッジセンターには、開演までにすでに多くの学生、観客で賑わっていた。
「自分の思ったことを映像表現として、視聴者に伝えるのは難しい」と話すのは六日最初の上映作品『まばたきのま』の監督小幡秀典さん(神戸大・二年)だ。制作期間は約一ケ月ほどだという。『Blood Blood Blood』の監督大谷美咲代さん(神戸外大)も「自分の考えていることをそのまま表現するのが難しかった」と話す。
上映会では次々と作品が上映され、五分で終わるものもあれば四十五分ほどの作品などさまざまだ。各作品上映後には、監督が表現方法や伝えたかったことをコメントした。「各大学の個性のぶつかりあい」(代表藤井恵昭さん)の作品を見に来ていた神戸大の学生(文・三年)は「自分の作りたいものを作れてないんだろーなという印象をうけました」と率直な感想を話す。
代表の藤井さんは、「今後は、雑誌を見て来たり、チラシを見て来ましたというようなもっともっと一般の人が来るような大衆のイベントにしていきたい」と笑顔で話した。
【写真】神戸シネック合同上映会'98。会場は多くの学生でにぎわった。(12月6日午後0時30分 神戸アートビレッジセンターで。撮影=堀江悟)
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この本は、神戸大OB(営・一九八三年卒)のNHKアナウンサー・住田功一さんの執筆する『語り継ぎたい。命の尊さ』。教科書などを手がける東京の一橋出版から、高校生の「現代社会」の副教材として出版される。
神戸で生まれ育った著者が、たまたま帰省中に震災に遭遇。現場を取材してまわった体験がモチーフになっている。
著者が体験した震災の瞬間から、なかな日常から非日常への切り替えがうまくいかなかった体験が綴られていて、「大切なのは、人がなぜここで死んだのか、という冷厳な事実を知ることです。そして、それを心にとどめ、私たちが新たな困難に直面したとき、人の命を守るために、その経験を生かすということなのです」という。第三章の「亡くなった人の記憶をとどめる」などのなかに、灘区六甲町のアパートなどで犠牲になった、五人の神戸大生の追悼手記が掲載されている。
この手記は、一九九六年一月発行の『神戸大学NEWS NET』の震災特集「あなたのことを忘れない 神戸大四十四人への追悼手記」から、家族の許可をとって転載されたもの。このほかにも、写真やアンケートなどニュースネット委の資料が引用されている。
一月二十二日に発行予定。B5判、八十ページで、定価は六百円(消費税別)。一般書店には流通しないため、問い合わせは一橋出版 電話03-3392-6021まで。
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被災地の大学新聞の関学「新月Tribune」、神戸大「NEWS NET」、神女院大「K.C.Press」と関西学生報道連盟は、毎年震災の日に震災特集の紙面を発行している。
震災からまる四年を迎える今年は、三紙共同特集の写真グラフ「大学から1999」を企画。さらに、震災写真展「大学から1999」も行う。
関西学生報道連盟写真部の部員や、各紙のカメラマンたちは、被災地の大学の、震災発生から現在までの記録や、亡くなった学生の遺族の現在などを、昨年十一月からカメラで追ってきた。 年末の三十一日、元日も、共通紙面の編集や、写真展用の写真チェックが行われている。
震災特集の矢木隆晴(関学・三年)キャップは「各大学と協力して、いいものを作りたいと思います。是非、多くの人に見てもらいたい」と語る。
震災特集グラフ紙面の締め切りは一月五日、巡回写真展が神戸大でスタートするのは、一月十日。部員たちは正月返上で、最後の追い込みにかかっている。
震災写真展「大学から1999」は四カ所で巡回開催される。亡くなった遺族の表情や、今と昔の大学の姿を捉えた写真約四十点を展示する。いずれも入場無料。
●震災写真展「大学から1999」
▽1月10〜17日:神戸学生青年センター(灘区)、午前10時〜午後6時 (主催 神戸大NEWS NET委員会、財団法人神戸学生青年センター) ▽1月18日〜22日:神女院大講堂横廊下ギャラリー、午前10時〜午後6時 (主催 神女院大K.C.press) ▽1月25日〜28日:関学宗教センターラウンジ、午前10時〜午後4時(最終日は午後0時まで) (主催 関学新月Tribuneなど) ▽3月4日〜18日:フェニックスプラザ阪神・淡路大震災復興支援館一階(中央区三宮)、午前10時〜午後7時 (主催 関西学生報道連盟、神戸大NEWS NET委員会、神女院大K.C.press、関学新月Tribune)【写真】写真展も間近に迫り、震災特集の編集作業が進む。(1月2日 大阪市淀川区関西学生報道連盟編集室で 撮影=須田鉱太郎)
同写真展では、震災当時の被害状況や現在も復興活動を続ける人の写真など三十七点を展示している。「大学の直後と今」、「今も残る震災」、「震災を見つめる人々」という三つのテーマが柱。
たまたま通ったのでのぞいたという崔精一さん(神戸大・四年)は「震災を大学という視点で見たことがなかった。他の大学も大きな被害を受けたと知った」と話した。主催の神戸大学ニュースネット委員会の堀江悟編集長(済・三年)は「初めてにしてはよくできた。いい素材が集められたと思う」と振り返った。
神戸学生青年センターでは十七日まで展示が続く。十八日から二十二日までは神女院大で、二十五日から二十八日までは関学で、三月四日から十八日までは三宮フェニックスプラザで行われる。
【写真】震災写真展「大学から1999」の初日、大学の震災直後の写真などに見入る来場者たち。(1月10日 神戸学生青年センターで 撮影=矢吹大祐)
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