Photo 激震のあの日から
 神戸大学の震災の記録1997
  (1997年1月10日〜1998年1月2日)


●1月10日
◎震災から2年 今も下宿跡を訪ねる遺族

Photo ●震災では、三十九人の神戸大生が犠牲になった。その多くが、下宿やアパートで亡くなった。今もその地を訪ね続ける人たちがいる。
 上野志乃さん(当時発達・二年)の父政志さん(49)もその一人。毎月、兵庫県南光町から灘区琵琶町のニュー六甲ビラのあった跡を訪ねる。駐車場となった敷地の隅に、木製のほこらを作った。(写真。一九九六年十二月二十八日撮影)
 ここで、志乃さんと、たまたまレポート作成のため志乃さんの部屋に泊まり込んでいた友人の川村陽子さん(当時発達・二年)、それに別の部屋で呉ショウさん(当時経営・二年)の三人が亡くなった。
 「ホームこたつを挟んで、差し向かいで亡くなってました。掘り出したのも私やったし……、目に焼き付いて離れんです。まわりが(地震のことを)忘れていくと、自分の心が際だってくる。正月にも、おめでとうございますという言葉を、よう言えないんです」「娘がおったという証しになるものを、石一個でもいいからここに置いておきたい。形が無いと忘れられると思うんです」。十七日の三回忌には、またこの地を訪れるという。
 工藤純さん(当時法・院一年)の母・延子さんは、被災して亡くなった学生の母親同士七人で文通をしている。法学部でいっしょだった人、吹奏楽部とつながりのある応援団の人、同じ愛媛県の人、遺体安置所で隣あわせだった人……。「手紙を書くときだけでも、心がなごむんです」。しかし、なかには手紙のやり取り自体も辛いという親もいるのだという。
 「(地震後)十五回も神戸に行ったんです。吹奏楽部のコンサートや、六甲祭にも行ったんですよ。まだ神戸に息子がいるような気がして」と話す。「主人は神戸に行くこと自体辛がっているんですが、私は、神戸とか神戸大学とか聞くと懐かしくなって……」。一月十七日には、神戸市の合同慰霊祭に招待されていて、その足で六甲台のキャンパスに立ち寄る予定だ。【一月十日 神戸大NEWS NET=UNN】

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●1月12日
◎被災下宿の四四%が更地のまま 本紙調査

●本紙が、震災で亡くなった三十九人の神戸大生の下宿跡二十七か所を取材したところ、まだ更地の所が全体の四四%の十二か所もあった。ついで駐車場が七か所、マンションなどに建て替えられたとこが六か所、建て替え中が二か所、仮設店舗が一か所となっている。
 三人が焼死した、灘区六甲町の西尾荘跡では、毎日、花と水が供えられている。敷地は市に売却され、一部に仮設のアパートが建っている。そのかた隅に、夏は冷たい水を、冬は熱いお茶をそっと置くのは、隣の薮田洋子さん(64・無職)。
 「三人ともまだ意識があったんですよ。下半身が瓦礫に埋まってたんです。助けに来た学生らも『ノコギリどこやー』って言いながら走りまわっていました。でも三十分程すると火がどんどんまわってきて……」「本当にいい人達で、ここに立つだけで涙が出てきます。朝晩、私が飲む前に熱いお茶をあげて『今日は寒いね』とか話かけているんですよ。皆さんも時々名前を呼んであげてくださいね。三人のこと絶対に忘れたらだめよ。まだここにいるんだから……」
 三十九人ひとりひとりの思いが残された、被災下宿の跡に、まもなく二回目の一月十七日が来る。【一月十二日 神戸大NEWS NET=UNN】

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●1月17日
◎きょう、震災から二年

●十七日、神戸大は四十四人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災から丸二年を迎えた。慰霊碑の建つ、灘区六甲台のキャンパスには、遺族らさまざまな人が訪れ、亡くなった人達を偲んだ。【一月十七日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  早朝から、慰霊碑を訪れる人は後を絶たなかった。正午にはすでに数束の花が、犠牲者の名前を刻んだ銅板に捧げられた。  午後三時ごろ、灘区六甲町のアパートで亡くなった競基弘さん(自然科学研究科・当時一年)の両親と妹さん、ユースサイクリング同好会の友人ら四人が訪れた。父和巳さんは悲しみの大きさに、二年たったという実感はないという。「悲しみというのはだんだん奧深くに沈殿するものなんですね。でもどうやったら息子が喜ぶかを考えることが、息子にとって一番の供養になるはずです」。友達が多かった競さんの実家には、今でも六月の誕生日に花束やバースデーカードが届くという。「命日よりも、誕生日の方が未だによく覚えていてね。彼はたった二十三年間で、一生分の友達を作った。ほんとに幸せな子でした」と家族は口をそろえた。
 中国からの留学生の孫明洲さん(34・自然科学研究生)は、同じ留学生で親しかった曹センさん(当時50・農学研究科)のため慰霊碑を訪れた。「彼女は他の留学生からも頼りにされる存在で、私もお姉さんのように感じていました。二年間たっても、あの日のことはまだ目の前にある感じです」と、学友を失ったつらさを語ってくれた。
 灘区六甲町のアパートで火災に巻き込まれた坂本竜一さん(工・当時三年)の父親の秀夫さん(51)と妹の史穂さん(19)も訪れた。秀夫さんは「被災現場や大学にはなかなか足が向かなくて……。神戸をJRで通るときも(息子が被災した)六甲道近くに来るとつらくてたまりません。今日は三回忌ということで来たのですが、改めて涙が出てくるだけです」と、目頭を押さえた。  翌日にセンター試験を控え、下見に来ていた高校生達を見て、藤原宏美さん(55)は亡くなった息子の信宏さん(当時営・四年)の大学受験当時を懐かしがる。「息子と一緒に下見に来たことを覚えています。地震の前は下見を含めて二、三回しか(神戸に)来たことがありませんでした。地震後は今日で四回目ですね。大学に受かって入学手続きの日に、もうちょっと早く三重を出ていれば、入学手続き後にした生協での下宿の斡旋で二階の部屋を取れたのに。三十分ほどの違いで一階の部屋しか残ってなくて。本当に悔やみますね」。
 応援団長だった高見秀樹さん(済・当時三年)の両親も正午過ぎに慰霊碑を訪れた。母親の高見初子さん(48)は、自家用車で鳥取県の家を夜中に発ち、五時四十六分に灘区友田町のアパート跡に立ち寄ったという。「たまたまそこで応援団の方々が十数人来ていらっしゃって、一緒に三十分から四十分ほどおりました。ただただ冥福を祈るだけでした」と話ながらも、涙をこらえきれない。
 市民や、一般の学生も、慰霊碑前で手を合わせる姿が見られた。高崎君子さん(66)は、神奈川県から初めて神戸に来た。「被災地の状態はテレビでしか見ていないけど、痛ましいですね。前途のある方が、なんといいましょうか……」と胸を詰まらせた。  本村篤史さん(工・修士二年)は、日頃は震災のことは忘れがちだが、一月十七日が近づく度に生々しく当時を思い出すという。「こういう日なんで近くを通ったから黙とうしました。すぐすまそうと思ってたのですが自然に(黙とうが)長くなってしまって。でも心にとどめておこうというより、とどまらざるをえないんですよね」という。
 慰霊碑の前では、午後は西日が傾くまで花束を持って訪れる人が絶えず、去年三月以来の再会をした遺族同士が、その後の消息を語り合う輪もできていた。

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◎学長らが慰霊碑に献花 神戸大震災追悼式

●学生、教職員ら四十四人が震災の犠牲となった神戸大では、正午に黙とうを呼びかけ、慰霊碑前では学長らが花をささげた。【一月十七日 神戸大NEWS NET=UNN】


Photo  神戸市街地をみおろす、灘区の六甲台キャンパスの慰霊碑前では、正午から大学関係者が追悼式を行った。  去年の三月十五日に建てられた神戸大の慰霊碑の前には西塚学長をはじめ、ダークスーツ姿の副学長、学生部長、庶務部長、法・経済・経営学部長、庶務課職員、法・経済・経営研究所の事務職員らが集まった。
 正午に慰霊碑に一分間の黙とうを捧げ、西塚学長らが、『鎮魂』とかたどられた慰霊碑の前に、次々に白い菊の花を献花。式は五分程度で淡々と終わった。
 黒塗りの乗用車で慰霊碑横に到着した学長らは、言葉少な。訪れていた三社ほどの新聞、テレビの報道陣の質問に答えることもほとんどなく、現場を去った。
 この日は、センター試験の前日だったが、六甲台では授業中。この時間は学生の姿もほとんどなく、大学関係者だけのセレモニーとなった。
 亡くなった学生の家族らは、早朝や午後になって、思い思いに訪れ、慰霊碑横の銅版のネームプレートの前に花束をささげた。また、午後には下校途中に立ち寄って、頭を垂れる一般の学生や、センター試験の下見で訪れた受験生がそっと手を合わせる姿も見られた。
 学生や教職員に正午に黙とうを捧げるように呼びかけていた国際文化学部などでは、教職員らがそれぞれの場で犠牲者を偲んだ。

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◎被災地の3つの大学新聞が震災特集を発行

●『神戸大ニュースネット』と『関学新月トリビューン』、『神戸女学院K.C.Press』が、震災特集号で阪神大震災で被災して亡くなった学生の下宿を訪ねるルポを共同で掲載。十六、十七の両日配布された。【一月十七日 神戸大NEWS NET=UNN】

 あれから二年。大学であの阪神大震災を体験しているのは三年、四年だけで、ほぼ半数は被災した街を知らない。
 関西学生報道連盟に加盟する『神戸大ニュースネット』と『関学新月トリビューン』、『神戸女学院K.C.Press』の三紙が一月号で被災した下宿街を取材。亡くなった学生のアパートのその後を特集面で掲載した。
 神戸大では十六日には大学近くの阪急六甲駅山側や国際文化学部陸橋で、十七日には神戸大六甲台キャンパスの慰霊碑前で配られた。神戸女学院は十六日、十七日の両日に校門で配布。関学では十七日に正門と合同礼拝が行われた中央講堂など学内各所で配布された。
 神戸大の国際文化学部では、普段の号と違い、立ち止まって記事を読む学生もいた。阪急六甲では、一般の市民にも配布され、配る部員に「ご苦労さま」と声をかける人も。慰霊碑前では、訪れた遺族にも手渡され、開いた紙面をじっと見つめる人の姿もみられた。
 亡くなった藤原信宏さん(当時営・四年)の父・宏美さん(55)は、記者から配られた紙面を読みながら、「この記事を見て更地なんで安心しました。震災の時は崩れた家の写真を取る人に憎しみを覚えましたが、今となっては記録が残ってないんですよね」と、下宿跡の写真に目をおとす。
 神戸大ニュースネットの副野吉史編集長(済・二年)の話「取材したご遺族のなかには、あの日のことを克明に話される方や、目に涙をためて取材に応じてくださる方もいました。二年たって震災を忘れないでおこう、という企画でしたが、震災を知らない学生に、『忘れたくても忘れられない』という人々の思いを伝えることをこれからも続けていきたいと思います」
 特集記事の詳報は、関西学生報道連盟のホームページhttp://www.threeweb.ad.jp/~unnnews/に掲載。

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●3月25日
◎2660人が巣立つ 平成8年度卒業式

●三月二十五日、神戸大の平成八年度卒業証書・学位記授与式が神戸市ポートアイランドのワールド記念ホールで行われ、二千六百六十人が卒業した。【三月二十五日 神戸大NEWS NET=UNN】

 三月二十五日十時半から、神戸大の平成八年度卒業証書・学位記授与式が神戸市ポートアイランドのワールド記念ホールで行われた。
 当日はほとんど雲のない快晴。ポートアイランドへの足となるポートライナーは、スーツや和服を来た参加者でごったがえした。
 卒業証書・学位記授与では、各学部・研究科の代表者が一人ずつ学長から卒業証書・学位記を授与された。今年度の学部卒業生は二千四百五十五人。養護教諭特別別科卒業生四十人、医療技術短期大学部卒業生百六十五人を含めると、合計二千六百六十人がこの日に卒業した。また国際文化学部、発達科学部は初めての卒業生を送り出す事となった。
 学長式辞では、西塚泰美学長が「未来への展望を開くためにも皆さんに思い切った発想の転換をしてほしいと思います。災害を乗り越えた皆さんです。自信をもって普遍的な『新しい価値の創造』を目指してほしいと思います」と卒業生に呼びかけた。
 卒業生代表答辞では、経済学部を卒業する豊田康平さんが「阪神・淡路大震災で学友を失うなど混乱した時期もあったが、自分の思う道を歩むことができた」と四年間を振り返った。
 最後に混声合唱団アポロンとエルデが学歌を斉唱し、式は幕を閉じた。
 応援団でチアリーダー長を務めた国際文化学部の山本由美子さんは、「四年間応援団の事ばかりしていましたが、いろんなことを学びました。(応援団の)後輩には、もっと神戸大を盛り上げてほしいと思います」と切々と話した。
 自然科学研究科の博士課程に進学する荻野千秋さんは「学長の話が良かったです」と明るく答えた。
 医療技術短期大学部を卒業した吉冨優子さんは「いままで馬鹿やってきたけどこれからは大人になろうと思います」とはにかみながら話した。

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●3月26日
◎二十八日に地震と死のシンポジウム

●三月二十八日に神戸大工学部教室棟LR501室にて阪神・淡路大震災を教訓にした「地震時死傷問題に関する学際シンポジウム」が行われる。【三月二十六日 神戸大NEWS NET=UNN】

 このシンポジウムは二部構成で第一部の基調講演と第二部のテーマ別報告からなる。このうちテーマ別報告は三つにわかれており、第一セッションでは「何が起きたのか(被害の実態)」、第二セッションでは「何が生死を分けたのか(被害の原因)」、第三セッションでは「どうすれば死傷を防止できるか(予防と事後対応)」を行う。
 参加費は六千円(予稿集代五千円)。午前九時から午後五時半までで、その後懇親会が行われる。懇親会の費用は二千円。問い合わせはシティコード研究所(電話06−231−0188)まで。

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●3月28日
◎医学部の瓜谷さん 国際帆船レースに

●阪神大震災では東灘区で被災、母を亡くした神戸大医学部一年の瓜谷大輔さんが、香港から大阪までを約一カ月がかりで航行する国際帆船レース「SAIL OSAKA’97」に参加する。【三月二十八日 UNN】

 神戸大学医学部一年の瓜谷大輔さんが、神戸市の須磨ヨットクラブメンバーで多くの国際レースに出場してきた小田義秀さんの呼びかけに答え、トレーニー(訓練生)として香港から大阪までの約二千七百キロを一カ月がかりで航行する国際帆船レース「SAIL OSAKA'97」に参加する。瓜谷さんは他の小田さんの呼びかけに答えた三人と共に二十八日に香港をスタートし、四時間交代で当直を担当、舵の取り方や、マストの扱い方なども教わる。

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●4月8日
◎葉桜の下、2720人が神大生に 入学式

●平成九年度神戸大学入学式が神戸ポートアイランドホール(ワールド記念ホール)で行われ、二千七百二十人の新入生を迎えた。【四月八日 神戸大NEWS NET=UNN】

 平成九年度神戸大学入学式が神戸ポートアイランドホール(ワールド記念ホール)で行われた。
 入学者数は、十学部で合計二千七百二十人。学部別では、文百十七人、国文百四十二人、発達二百八十人、法二百四十三人、経二百九十人、営二百八十二人、理百五十五人、医二百六十人(うち医学科百人、保健学科百六十人)、工六百二十二人、農百八十五人、法夜四十一人、経夜四十八人、営夜五十五人。辞退者が多かったのは、営二十二人、医(保健)十四人、経十二人の順。
 西塚泰美学長は「最近の日本は、時代の流れか、あまりにも大学での成果を急かせすぎているように私には思えてなりません。しかし、成果が生まれるためにはそれだけの時代の背景というものがあるのです。これからは私たちはもっと深く自国や他国の歴史と文明を学ぶ必要があります」「皆さんには若いが故の特権として、率直で正しいことを求める共通の心があります。どうかそれを大切にし、自信をもって皆さん自身の新しい価値観を築き上げ、失敗を恐れないで生涯の仕事のスタートをきってほしいと願っています」と述べた。
 前日までぐずつき気味だった天気も入学式当日は回復し、葉桜も見える中スーツ姿の新入生には緊張した様子が漂っていた。
 経済学部に入学したアメリカ・ニューヨークの高校出身という梅田哲平さんは「大学四年間でできるだけ多くの友達を作りたい。今日もこれからコンパに行くつもりです」と早くも大学生活に意気込んでいた。
 なお、今年の四月より新たに大学院に「総合人間科学研究科」ができる。今月末には新たに研究科生百三十人が入学する予定。

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●4月27日
◎震災復興支援の大阪城ジャズフェス

●大阪城野外音楽堂で、阪神淡路大震災復興支援を目的とした『大阪城ジャズフェスティバル』(主催=くもん子供研究所)が二十六日、二十七日に行われた。七回目の今大会は、阪大、立命、天理大、神戸大、関学、甲南大、同大、京大が参加。各大学すべて約二十人のビッグバンドで、小編成のカルテットとは一味違う、迫力ある演奏で三千人の観客を魅了した。ジャズを楽しむ学生達の姿が何よりも印象的な今大会の模様は、エフエム大阪で五月四日午後七時から放送される。【四月二十七日 UNN】

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●5月19日
◎慰霊碑の誤字を訂正

●神戸大六甲台キャンパスにある兵庫県南部地震犠牲者への慰霊碑に誤字があることが遺族から指摘されていたが、神戸大は四月二十四日に工事を行い修正していたことがわかった。間違っていたのは、犠牲者の氏名を刻んだブロンズ製のパネルの前文で、「前途有為」とすべきところが「前途有意」になっていた。   【五月十九日 神戸大NEWS NET=UNN】

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●5月30日
◎震災による心の傷か? 多かった95年度の自殺者

●神戸大で平成七(一九九五)年度の自殺者は五人。全国五十五大学の平均の三倍にも上った。保健管理センター助教授の奥村武久さんに話を聞いた。【五月三十日 神戸大NEWS NET】

 神戸大では、平成二年度から平成六年度にかけて毎年度一人の自殺者が出ていて、その値は神戸大学生数を十万人とすると、九・八人から九・一という人数になる。その計算で全国五十五大学の学生数を十万人とすると十三・三から十・〇になるので、本学では全国平均を下回っていた。
 だが、平成七(一九九五)年度の自殺者は五人。これは十万人に対して四十三・八というかなり多い人数だ。奥村助教授は七年度に自殺が多かった理由に阪神大震災による心の傷を指摘している。自殺の時期も例年、どちらかというと後半に多く、社会に出ていく自信がないから、論文ができないから、留年が決まったなどが理由にあげられるという。
 自殺などの精神面の問題の早期発見のためにも神戸大保健管理センターでは、毎年入学後すぐにUPI(University Personality Inventory)という六十のチェック項目がある健康調査を行っている。特に項目の「死にたくなる」をチェックしている学生や三十項目以上チェックしている学生は、後日保健管理センターに呼び出して話を聞いている。
 平成七年度入学者で調査をうけた二千四百十九人の内、「死にたくなる」をチェックしていた学生数は三十九人、三十項目以上をチェックしていた学生数は六人。しかし、奥村さんはUPIと自殺は直接関係がなく、大部分の大学で行われているものだが方法は大学に任せられているという。
 奥村さんは「もっともっと相談室を利用してください。自殺以外にも、たくさんの心の問題が早めに相談することによって解決できることをしって欲しい」と訴えている。保健管理センターの電話は078−803−0128。

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●6月1日
◎5000人でにぎわう 灘チャレンジ'97

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●快晴の下、午前十時から神戸市灘区の都賀川公園で「灘チャレンジ'97」(主催:神戸大学生震災救援隊)が行われ、市民や学生ら約五千人で賑わった。【六月一日 神戸大NEWS NET=UNN】

 今年で三回目となる灘チャレンジ'97。午前十時からのオープニングに始まり、神戸大合気道部による演武、神戸大軽音学部JAZZによる演奏、神戸大落語研究会の公演、韓国舞踊、寸劇と行われた。カラオケ、ビンゴやオークションなど市民を交えて盛り上がった。
 実行委員会委員長の岩永昌寛(農・二年)さんは「一回目の灘チャレンジは、震災のときの信頼関係を残していこうという気持ちで始めたのですが、二回目からは地域との交流を図ろうという目的に変わってきました。地域と共にこの祭りを作り、地元の祭りにしていきたいと思っています」と話す。今回の収益金はJR灘駅西の「東神戸朝鮮初中級学校」の倒壊校舎の再建費に寄付される

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●6月2日
◎震災で倒壊の老舗喫茶エクランが再開へ OBたちも祝福

●五月二十八日、六甲登山口の新築ビルの一階の喫茶店で、ささやかな開店祝いのパーティーが開かれた。震災を乗り越えて喫茶店「エクラン」の再開にこぎ着けたのは、九十二歳のママ広瀬茂子さん。祝福に駆けつけたのは、米寿を過ぎた四人の元神戸大ラグビー部員たちだ。「年も年なのでそろそろ店をやめたらどうだと言われたが、倒れるまでやるつもりです」と広瀬さんはうれしそうに語ってくれた。【六月二日 神戸大NEWS NET=UNN】

 「エクラン」、六十年以上前に元神戸大ラグビー部の池谷俊一さんが命名した。店の名前で当時は二階建ての日本家屋だったという。エクランとはフランス語で、意味は銀幕。この店の名前を聞いても今の学生はほとんど知らないだろう。そして、五月二十八日、「エクラン」に四人の元神戸大ラグビー部が集まったことも。
 神戸商業大学(現神戸大)が上筒井から六甲台に移転した昭和九年、広瀬茂子さん(当時二十二歳)も神戸でエクランという名の店を始めた。場所は六甲登山口の角、というと当時、そして今でも神戸大の学生は、ほぼ毎日目にする所である。軽い気持ちで始めたつもりが、当時にはお店が少なく、六甲台から学生が降りて来ると目に留まるのがいつもエクラン。自然と学生のたまり場になるにはそう時間はかからなかったという。特に体育会系の学生はまずエクランに集合、それから試合に行くというのがきまりになっていたという。その他にもゼミのコンパはほとんどエクラン。ゼミコンでは教授も一緒になって酒を飲み肩を組んで暴れたという。その当時の様子は「エクラン」(昭和五十二年七月二十日発行、発行者広瀬茂子、編集者岡村英昭)という本が語っている。そこには様々な人のエクランへの想いが記されている。
 〜エクラン 日本一 古林名誉教授〜
 〜エクランへちょっと足を止めるという事は、何か気分転換にもなったしね。何か心の安らぎみたいなものを感じさせる店だったと思うんですよ。だから、みんなやっぱり学生が好んであそこへ行って一時間でも二時間でも、しゃべって、飲んで帰るという事じゃなかったかと思うんだけどね〜(会津幸雄、昭和十一年卒業)

 しかし、一九九五年の阪神大震災でエクランは全壊。広瀬さんもしばらく東京で過ごしていたが、今年になって神戸に戻って来た。そして、やっぱりエクランを続けていこうと思い、鉄筋コンクリートの建物を再建した。まだ、本格的に店びらきはしていないが、広瀬さんが杉山さんへ手紙を送り今回のOB会に結び付いたという。
 五月二十八日、エクランに集まったのは、田中初雄さん(八十四歳、昭和十二年卒業)、杉山信三さん(八十四歳、昭和十一年卒業)、国領武一郎さん(八十五歳、昭和十二年卒業)、木村保重さん(八十六歳、昭和十年卒業)の四人の神戸大ラグビー部のOB。戦争経験者ばかりである。午前十一時から始まったエクランでのささやかなOB会は、四人が学生時代からのエクラン店長の広瀬茂子さんを囲んで、話はおおいに盛り上がる。当時のラグビー部の写真を見せてもらった。写真には今の学生とあまり変わらない学生が写っていた。だが、多くの人はこの世を去った。なかには戦場に散った級友も。

 田中さんに、当時の学生にとってのエクランの存在を聞くと、「エクランは学生にとってのオアシスでしたよ。何かあればエクラン行こかって言ってましたよ。エクランなくしては神戸大の歴史は語ることはできません」と誇らしげだ。
 そんなエクランは開店五十周年に神戸大学から直々に感謝状が贈られている。内容は「感謝状 広瀬茂子殿 貴女は昭和九年の開店以来五十年の長きにわたり、常に神戸大学の学生を愛し、神戸大学の学生に尽くし続けて下さいました。貴女の慈愛、無私、奉仕の精神は、我々神戸大学人の等しく敬慕し、かつ感謝措くあたわざるところであります。茲に開店五十周年を慶賀し、併せて心より感謝の意を表します。 神戸大学学長新野幸次郎 神戸大学卒業生在学生一同」となっている。これを見ると当時の学生にとって、さらには神戸大学にとってもエクランという店が、どんなにか大きな存在だったかが分かる。

 広瀬さんは「震災で店も全壊したし、年も年なのでそろそろ店をやめたらどうだと言われたが、エクランを通じて人を知り過ぎました。やめるにやめられないですよ。倒れるまでやるつもりです」とうれしそうに語ってくれた。
 会も終わりに近付くと田中さんが「商神」を歌おうと言いだした。田中さんが歌い始めると、広瀬さんを含め他の四人も歌いだす。五人が本当に楽しそうに歌う姿に、六十年以上も前の、若き日の広瀬さんとラガーメンたちが重なった。

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●6月25日
◎震災後初の異人館ガールズに神戸大生

●神戸市北野区の異人館で観光客の案内をする「異人館ガールズ」六人が二十五日に決まった。四十一人の応募者の中から、神戸大生の花房由紀さん(二十二)を含む六人が選ばれた。【六月二十五日 神戸大NEWS NET=UNN】

 七月から二カ月の間、「風見鶏の館」と「ラインの館」で観光案内をする。阪神大震災で被害を受けた異人館が今春、すべて復旧したことから市教委文化財課が二年ぶりに採用した。七月一日から八月三十一日まで週三回ほど、クリーム色の制服を着て勤務につく。

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●6月28日
◎旧三商大戦、震災後初めて神戸大で開催

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●第三十七回三大学体育大会(旧三商大戦)の開会式が六甲台講堂で行われ、三大学の応援団、体育会幹事長らが集まって健闘を誓い合った。去年は一橋大、一昨年は大市大で開かれた旧三商大戦は、震災後初めての神戸大での開催となる。【六月二十八日 神戸大NEWS NET=UNN】

 旧制の三商大(神戸大、大市大、一橋大)がスポーツを通じ交流を深める三大学体育大会(旧三商大戦)。三十七回目を迎える今年の主幹は神戸大で、神戸を舞台に二十八競技の熱戦が繰り広げられる。
 開会式は六月二十六日、神戸大の六甲台講堂で行われた。西塚泰美学長が三大学の交流の歴史に触れ、今大会実行委員長の滝本晋作さん(発・三)、三大学の体育会幹事長がそれぞれの三商戦への思いを語った。神戸大体育会幹事長の梅村智文さん(国・三)は自分の三商戦での失敗談をもとに、「やるからには勝利が全て」と強調した。続いて三大学の応援団がそれぞれの校歌を斉唱し、エール交換を行った。
 また同日には応援団による三大学交歓演舞会、国際文化学部食堂でのレセプションパーティーも行われた。
 三商戦では神戸大が圧倒的な力を誇っている。総合優勝回数は二十八回で、目下十五連覇中。去年も二位の大市大に四十二点差をつけ優勝している。

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●7月17日
◎外国人の3人に1人は「震災ほぼ復興」 大市大アンケート

●阪神大震災で被災した外国人の三人に一人が被災状況は現状でほぼ復興したと考えていることが、大市大と産経新聞の合同アンケートで分かった。【七月十七日 UNN】

 調査は震災を経験した外国人百四人(うち八十八人は当時学生)と神戸・阪神間、淡路の仮設住宅に住む日本人百一人を対象に実施した。
 「被災地はどれだけ復興したと思うか」の問いに対し、「ほぼ復興した」とした外国人は三一・三%。「完全に復興した」と答えた五・二%を加える三人に一人が復興完了に傾いている。
 これに対し日本人は「半ばまで進んだ」(三九%)、「三割がた」(二六%)、「端緒についたばかり」(一四%)で、外国人と意識に大きなずれがある。
 自分の生活についても、外国人の二人に一人は「ほぼ復興した」、「完全に復興した」ととらえていた。
 震災当時、だれからの援助を期待し、実際に誰の援助を受けたかについて、外国人の七割が大学生や大学院生だったことから、四人に一人が「大学」の援助を期待。しかし実際には「日本人の知人」「留学生仲間」が七割を越え、「大学」の支援は四・二%に留まった。

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●8月6日
◎応援団総部が35周年誌発行

 この五月に応援団総部、翔鷹会、吹奏楽部OB会から、記念誌「神戸大学応援団総部の35年」が刊行された。神戸大の資料、震災の記録としても、貴重な資料となっている。【八月六日 神戸大NEWS NET=UNN】

 「神戸大学応援団総部の35年〜60年安保から阪神大震災まで」は今年の五月三十一日に発行され、応援団総部のOBや現役部員、各関係者、図書館などを中心に配られた。
 内容はOBらによる寄稿が中心となっており、ほかにも応援団総部三十五周年記念式典の模様、過去の新聞や関係誌からの抜粋などが掲載されている。さらに震災関係では、亡くなった第三十五代応援団長の高見秀樹さんの父親、第三十三代吹奏楽部の工藤純さんの両親による震災対策本部への手紙が掲載され、当時の痛みを蘇らせる貴重な資料となっている。
 翔鷹会事務局によると、同紙は応援団総部の関係者向けに五年ごとに発行されてきたが、震災をきっかけとして、五十周年を迎える前に年表を今のうちに固めておきたいという意向から、発行を予定から一年ほど遅らせながらも、多くの人が読める今回の形での発行になったという。
 購読希望などの問い合わせは、〒541大阪市中央区高麗橋2−4−13 日本フェース株式会社内 翔鷹会事務局 電話06−203−7521まで。頒価千円。

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●9月27日
◎震災から千日 亡くなった神戸大生の家族が慰霊碑訪問を計画

 十月十二日。震災一千日にあたるこの日に、神戸大の六甲台学舎の慰霊碑に、震災で亡くなった神戸大生の遺族が集まる。【九月二十七日 神戸大NEWS NET=UNN】

 この計画を呼びかけたのは、愛媛県在住の工藤延子さん。一昨年の震災で、当時神戸大法学部院生一年だった長男の純さんを亡くした。東灘区の木造二階建ての下宿は倒壊して、ほぼ即死状態だったという。神戸大では、三十九人の学生が亡くなり、その多くが四国や九州、愛知などから神戸にやってきて下宿していた学生だった。
 工藤さんは、亡くなった学生の家族との交流をミニコミ紙を通して続けてきた。遺体安置所で隣同士だったり、愛媛県出身、純さんと同じクラブ活動だったりという縁でつながった人達に呼びかけて文通の輪が広がり、その家族が、今年の一月十七日、神戸大の慰霊碑に集まったときに、みんなが交流できるものをと、そのミニコミ紙づくりが始まった。題は「THE 17TH」(ザ・セブンティーンス)。新聞には、それぞれの家族の近況や、神戸に行った折の報告、亡くなった子供への気持ちをつづったものなど、工藤さんに寄せられた手紙を転載するかたちで、純さんが使っていたワープロで編集している。今年の二月十七日に第一号が発行され、九月十七日で第八号を迎えた。
 そして、その第四号(五月十七日発行)で工藤さんが新聞を送っている遺族に一千日目となる十月十二日に神戸に集まりませんかという提案をし、いまのところ三家族ほどが呼びかけに応じて集まる予定だという。
 「500日目のときは、いろんなメディアが取り上げていました。でも、1000日目はどうでしょう。誰か数えていて下さるのでしょうか。少し前、篠塚さんからいただいたお手紙に、今日はあれから〇日目と書かれてあり、私と同じだと思ったものでした。……震災を風化させないために、やはり形にして何か残しておきたいといつも思っています。この『THE 17TH』がそのための踏み台になってくれればと思っています。」(八月十七日発行・第七号より)。
 呼びかけに応じて、昨年に一度訪れて以来に神戸を訪れるという戸梶栄子さんは、「とても共感することもあって、思い出すとつらいものもあるんですが、毎月新聞を楽しみにしています。十二日には実家が神戸の桜口なので、桜口を一人で歩いてみようと思っているんです」と話す。
 「THE 17TH」を現在、工藤さんは十四の遺族に送っている。なかには、「もう神戸のことに触れたくない」という夫がいたり、遺族同士の交流に否定的な家族もいるなかで、文通を続けている人もいるという。家族を亡くした心の傷のいやしかたは、夫婦や家族であってもさまざまだ。それでも工藤さんは、「純はワープロを百日しか使っていないんですよ。それで、どうしても純に関わることを打つときはワープロを使おうという気持ちで、とりあえず一年間は続けようと思っています。無理しないでとか大丈夫とか言われて、物理的にはしんどいかも知れませんが、精神的には純と向き合える時間なのでとても充足しているんです」という。十月十二日の午前十時、神戸の港を見下ろす六甲台キャンパスの慰霊碑前には、四国や大阪から家族が訪れる。

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●10月12日
◎きょう、震災から千日 神戸大遺族が慰霊碑に献花

 震災千日目の十月十二日、神戸大六甲台学舎にある慰霊碑に、震災で亡くなった神戸大の学生の家族が集まり、献花した。【十月十二日 神戸大NEWS NET=UNN】

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 集まったのは、神戸大の学生の遺族のうち、八家族十人。震災千日目となる十月十二日、秋晴れのもと午前十時ごろから、六甲台学舎にある慰霊碑の前に、ぽつぽつと遺族が集まりだした。
 震災で長男の純さん(当時 法・院一年)を亡くした、愛媛県在住の工藤延子さん(50)の呼びかけで来た人や、この日のことを事前に報じた新聞を読んで訪れた人達で、四国や、三重、大阪、地元神戸からやってきた人もいた。夫婦が二組、母親が四人、故人の姉ら、女性の姿がめだった。
 きっかけは、工藤さんが毎月十七日に発行しているミニコミ紙。交流している家族の便りをつづった『THE 17TH』の紙面で、「震災千日目という区切りに集まりませんか」と呼びかけた。

 公認会計士の試験に合格しながらも亡くなった藤原信宏さん(当時経営・四年)の父の藤原宏美さんは「自分は年をとるんですけど、仏壇の写真は年をとらないんですよ。神戸大学に入学させたこと自体が親の責任だったのではないかと思います」と語る。
 愛猫と寄り添うように亡くなった廣瀬由香さん(当時 法・四年)の母の廣瀬政子さん(48)も「時が経つにつれて人にとっては、他人ごとになるんですよ。それはしょうがないことだとは分かってるんですが、やっぱり人に対してやさしい気持ちになれないときがあります」と辛さを語った。弟の櫻井英二さん(当時法・四年)を亡くした都築和子さん(33)は「弟に似た人がいると振り返って、相手にけげんな顔をされることがありますね。どこかでひきずっているのかも知れないんです。時が経つにつれ、気持ちが深くなっています」と語る。
 慰霊碑の前では、それぞれの思いを語り合ったり、近況を報告したりする人達や、プレートに刻まれたわが子の名前を何度もなでる家族の姿が見られた。

 この日は、計画を事前に新聞報道で知ったという副学長の神木哲男教授が家族たちを出迎えた。「震災直後、家族のみなさんに安否を確かめる作業に追われたことを思い出します。学生達は次々に卒業していきますが、大学としても風化させてはいけないと思います」と話す。
 呼びかけた工藤さんは「お手紙などをいただけない方ともお話しができてよかったです。直接会って話すと心に伝わってきます」と語った。
 家族らは、このあと、それぞれ下宿跡を訪ねたりして、神戸の地をあとにした。

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●11月26日
◎『震災特集』原稿を募集 ニュースネット委

 神戸大学ニュースネット委員会では、一月十七日発行予定の十二・一月合併号で、阪神大震災特集を組みます。テーマは「後輩へ伝えたいこと」。震災から三年目。震災当時一年生だった学生も卒業の年になります。そこで、今年の震災特集は、震災を体験した四年生が、震災を知らない後輩達に伝えたい体験談やメッセージを募ります。【十一月二十六日 神戸大NEWS NET=UNN】

●テーマ 震災を体験してこれだけは後輩へ伝えたいこと。
 1.地震直後の救援活動 2.友人を亡くして 3.ボランティアを通じて感じたこと など
●応募先 〒532 大阪市淀川区西中島3−21−9駅前ビル502 関西学生報道連盟共同編集室内 神戸大学ニュースネット編集室(担当堀江)電話06−307−1315/FAX06−307−1316
●応募規定 六百字以内。ワープロ、手書き可。写真やイラストも添えて下さい。住所、氏名、年齢(学部・学年)、電話番号、下宿生は実家の電話番号も明記して下さい。原稿はコピーをとってお送り下さい。
●応募資格 神大生、卒業生、教職員、その家族、関係者、震災ボランティア経験者
●締め切り 一九九七年十二月十七日(必着)
●問い合わせ先 078−882−7855(堀江・神戸大・経済二年)

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●1月2日
◎神戸大、関学、神女院大の三紙が共同で震災特集

 阪神大震災で大きな被害がでた神戸、阪神間の三つの大学新聞が、今年も震災特集を合同で企画。一月十七日の発行をめざして、正月も二日から編集作業を進めている。【一月二日 UNN】
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 震災特集を合同で企画したのは、関西学生報道連盟加盟の『神戸大ニュースネット』『関学新月トリビューン』『神女院大K.C.Press』の三紙。三紙共同の企画は今年で二年目。
 被災当時の学生が卒業間近なこともあり、今年のテーマは『先輩から後輩へ伝えたいこと』。震災で友人を亡くした四年生やOB、安否確認に追われた教職員らへの聞き書き取材を進めている。
 二日は、神戸大や神女院大の一部の編集部員たちが大阪市淀川区の同連盟の共同編集室に集まり、これまでの聞き書きの原稿のチェックや、レイアウトの行数にあわせる作業に加えて、コンピューターのレイアウト画面に原稿を流し込む作業が始まった。
 特集担当の堀江悟デスク(神戸大・経済・二年)は、「先輩から続いている『震災特集』も神戸大は今年で三回目。三紙合同企画としては二回目です。震災では、神戸大で三十九人、関学でも十五人も亡くなっているんです。そのことを忘れないためにこの企画は続けたい」と意気込む。今年は、震災の日とセンター試験とが重なるために、発行は一日早くなる。「年末年始も編集作業をするのは、僕たちにとっては恒例なんです」と話す。
 今回は、三大学の約三百五十人にアンケートも実施。紙面は一月十六日に、各大学で配布の予定だ。
【写真】今年はコンピューターを使っての編集作業になる。(1月2日午後3時20分 大阪市淀川区西中島の関西学生報道連盟共同編集室で)




【神戸大学の震災の記録1997】
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■神戸大学の震災の記録1995 ('95/1/17)
       同       ('95/1/18〜)
       同       ('95/2/6〜)
       同       ('95/4/1〜)
       同       ('95/9/2〜)
■神戸大学の震災の記録1996 ('96/1/17〜)
■神戸大学の震災の記録1997 ('97/1/10〜)
■神戸大学の震災の記録1998 ('98/1/9〜)
■神戸大学の震災の記録1999 ('99/1/14〜)
■神戸大学の震災の記録2000 ('00/1/17〜)