神戸大の震災の犠牲者は学生三十九人、教職員二人。黙とうと献花は九六年三月十五日の慰霊碑除幕式以来、毎年行われている。今年は一月十七日が日曜日で、休日の関係から少し早めとなった。
参加は学長、副学長を始め教職員五十人のほか、ラジオや新聞で知ったという一般の市民約三十人。正午に犠牲者への思いを込め黙とうし、教職員が一人ずつ花を供えた。
【写真】震災犠牲者への献花と黙とうは教職員や一般市民あわせて80人が参列した。(1月14日午後0時5分 六甲台キャンパス慰霊碑前で。 撮影=栃谷亜紀子)
神徳史朗さん(工・当時三年)は自由劇場に所属していた。その友人や、学部の友人などあわせて十人近くがこの日献花に訪れた。実家のある長崎県五島列島に、何人かの友人は昨年の夏も墓参りに訪れた。「息子の成長を見ているみたいで、頼もしく嬉しい」と父の逸郎さんは話す。「十七日だからといって、息子のことを思い出すといってほしくない。親は子供のことを忘れるわけがない」。碑の名前をなぞって、史朗さんが好きだったたばこを供えた。
長尾邦昭さん(五六)は、息子の信二さん(工・当時二年)を亡くした。倒壊した下河原通りの下宿跡は現在、駐車場になっている。それでも「碑があるから、神戸に来ようと思える」。碑の石版には亡くなった学生の名前、その中に長尾さんの名前も刻まれている。
西尾荘で火にまかれ亡くなった中村公治さん(営・当時三年)の妹・和美さん(二二)は、両親とともに、名古屋から慰霊碑を訪れた。「四年前、すぐにアパートに駆けつけたけど、何も残ってなくて。…当時と比べたら、アパートがあった辺りも、町並みも、すごく変わった」。ただ「兄に対する気持ちは、四年前と全くかわっていません」。
【1999年1月17日午後 六甲台キャンパスで 撮影=副野吉史/神戸大NEWS NET】
《慰霊碑 集う》
震災で犠牲になった学生の家族は、近況を報告しあう。はるか神戸港を望む丘は、おだやかなひだまりになっていた。【1999年1月17日午後 六甲台キャンパスで 撮影=須田鉱太郎/神戸大NEWS NET】
《慰霊碑 友をしのぶ》
震災でなくなった友に近況を報告する。当時の学生も、多くは社会人になった。
正午前、松田冬武さん(工院・九八年卒)が友人の高見秀樹さん(済・三年)の献花に訪れた。サッカー部だった松田さんは、練習や試合などで応援団の高見さんとは一緒になる機会が多く、親しかった。飲みに行くこともあったという。高見さんが応援団長になったときには「おめでとう」と共に喜んだ。「よく、一緒に飲みに行ったよな」、慰霊碑に缶ビールをそっと置き、堅く目を閉じて長い黙とうをした。
松田さんが当時住んでいた弓木町の下宿街では多くの家屋が全壊した。松田さんの下宿も半壊だった。「ここに生きていられるのは、運が良かったから」。松田さんは社会人になった今も、一月十七日には神戸を訪れる。
「すぐには見つからなくて。亡くなったのを知ったのは二日後でした」。磯辺純子さん(教育・当時四年)の同級生だった西村美紀さん(教育・九五年卒)は、慰霊碑に花を手向けた。「お花、明るい色にしてよかった。どうしても暗くなっっちゃうけど」―磯辺さんにそっと話し掛けた。
【1999年1月17日午前 六甲台キャンパスで 撮影=栃谷亜紀子/神戸大NEWS NET】
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◎センター試験 公民の受験者数が急増
すべての国公立大と私立大のほぼ半数が参加した大学入試センター試験は二日目の十七日、国語と理科、公民の三教科がほぼ予定通りに行われ、二日間の日程を終了した。国公立大の二次試験は二月二十五日からの前期日程を皮切りに始まる。【1月17日 UNN】
公民(現代社会、倫理、政治経済)の受験者数が昨年比約六万九千人増の二十六万八百五十六人となり、受験率も同一二・九ポイント急上昇して四五・〇%となった。昨年同様に受験生が地理歴史から比較的得点しやすい公民に流れたためとみられる。
十七日の受験者は国語が五十万二百三十一人で、総志願者に対する割合(受験率)は八六・二%。理科(一)(物理など)は三十一万八百三十六人、受験率五三・六%。昨年に比べ国語は受験率がわずかに上がったが、受験者は減少。理科(一)はいずれも昨年を下回った。
大学入試センターは今月二十日に各科目の平均点を中間発表する。得点調整の対象は地理歴史、理科、公民の三教科で、特定科目の平均点格差が問題の難易差で二十点以上開いた場合。二十二日に得点調整するかどうか決める。
国公立大の二次試験の出願期間は二十五日から二月三日まで。六十七大学二百五学部は、予定倍率を超えれば、センター試験の成績で受験者を門前払いにする二段階選抜の実施を予告している。
二次試験は前期日程に続き、一部公立大の中期日程(旧C日程)が三月八日以降、後期日程が三月十二日以降。
震災写真展「大学から1999」(主催=神戸大学ニュースネット委員会、財団法人神戸学生青年センター、後援=UNN関西学生報道連盟)には、大学新聞のカメラマンが捉えた写真を、「大学の直後と今」、「今も残る震災」、「震災を見つめる人々」という三つのテーマにわけて展示。展示崩れた学舎や焼け落ちた下宿街など震災直後の生々しい写真から、現在もボランティアに活躍する学生たちをファインダーにおさめたものなど、写真パネル五十点近くがディスプレイされた。
新聞やテレビで紹介されたこともあって、会場には、地元だけでなく、奈良県や遠く東京、静岡から、期間中あわせて百人を超える人達が訪れた。また、十七日には、神戸市の追悼式典や大学慰霊碑を訪れたあと会場に立ち寄ったという、震災で犠牲になった学生の家族もみられた。
最終日の十七日には、震災の日当日の学内外の動きを捉えた写真約十点も「1999.1.17」というテーマゾーンに速報掲示された。地震発生時刻の午前五時四十五分に、亡くなった息子の下宿跡にたたずむ母の姿や、友人の下宿跡に婚約の報告に訪れた卒業生を捉えた写真に、会場に訪れた人達は、しばらく立ち止まって見入っていた。
近くに来たので立ち寄ったという、灘区の六十代の主婦は、「震災直後の一年は無我夢中でした。もう丸四年もたったのですね」と話していた。大学や下宿街の被害を伝える写真の前では、「学生さんもたくさん亡くなったんやね」「女学院や甲南もひどかったんやねぇ」という声も聞かれた。
震災写真展「大学から1999」は、十八日から二十二日までは神女院大の講堂横ギャラリーで展示されている。午前十時から午後六時までだが、学外の一般市民も午前十時から午後三時までなら入場できる。また、二十五日から二十八日までは関学で、三月四日から十八日までは三宮フェニックスプラザで行われる。 問い合わせは090-1713-3311または、関西学生報道連盟06-6307-1315まで。
【写真】最終日には、震災で犠牲になった学生の家族も会場に訪れた。(1月17日午後3時 神戸学生青年センターで 撮影=須田鉱太郎)
《震災写真展にご協力ありがとうございました》
一月十日から十七日まで行われた、震災写真展「大学から1999」の神戸大・六甲会場には、多くの方々にお越しいただき、ありがとうございました。おかげさまで、無事、会期を終えることができました。
ご来場のみなさまをはじめ、地元被災地のみなさま、報道機関のみなさま、協賛各社のみなさまのご協力に感謝します。資料をご提供いただいた、震災の犠牲になられた学生・教職員のご家族の皆様、取材にご協力いただいた各大学関係者、卒業生の皆様には厚く御礼申し上げます。
これからも、大学と震災をテーマに取材にとりくみ、紙面やインターネットで伝え続けてまいります。今後ともご理解、ご支援いただきますようお願い申し上げます。
神戸大学ニュースネット委員会
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これまで、附属図書館のホームページ上では文献の目録だけを公開していたが、『電子図書館』ではこれら文献の内容までデータベース化する。震災の資料には、ビラ、地図、写真などもあり、それらはそのまま画像データとしてコンピューターに入力し、分かりやすいタイトルが付けられる。それら入力したデータは、検索システムを利用して直接、画像や内容を検索できるようになる。
「どのように検索できれば、見やすくて探しやすいかということを模索しながら作業を進めているところです」と、震災文庫の設立当初から関わっている稲葉洋子さん(附属図書館情報管理課)は話す。「震災当時の状況など、手にとって見ないと分からないこともありますが、いち早く情報が知りたいというときに、インターネットから検索することで役立てばと思っています」。
『電子図書館』は、国立大学では奈良先端科学技術大学院大学をモデルとして予算化され実用化し、京都大、筑波大などがそれぞれの特色を持ったシステムを構築している。
神戸大では、阪神淡路大震災関連資料、経済・経営関係資料の電子化を柱に、学内の研究成果等の電子化も含めたシステム化の計画を進めている。著作権が発生するため、震災文庫一万四千タイトルのうち、どれだけ電子化できるかは検討中だが、実現すると震災を扱ったデータベースとしては大規模なものとなる。
【写真】震災文庫のタイトル数は14500。号数も数えると3万件を超える(1月26日午後4時30分 神戸大附属図書館で。 撮影=堀江悟)
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「人が「死ぬ」ということは、どういうことでしょうか。あなたのクラスメイトが交通事故で突然この世を去ったら、ということを考えてみてください。」、本の冒頭での一文にこう書かれている。
住田さんは、神戸大の出身。大学までを神戸で過ごし、NHKに入社、現在は東京で朝のテレビ番組「生活ほっとモーニング」のキャスターを担当している。
十七日の朝は、「遅い正月休み」で神戸市灘区の実家に帰っていた。そのときに阪神大震災に遭った。実家は六甲山の山裾の鶴甲団地で、固い地盤だったため被害も少なかったという。 午前六時四分、激しい揺れが収まると東京のニュースセンターに電話。「神戸市灘区にいます」、「縦揺れが約四十秒続きました」、「私のまわりでは、不安定なものが棚から落ちた程度です」、「サイレンの音は聞こえません」、神戸からの第一報は住田さんの声がそのまま放送で流れたものだった。
「第一報は、アナウンサーのマニュアルでは大した被害は出ていない、ということになります。しかし、この六時四分という時間は、いま振り返ると、住宅倒壊や生き埋めなどで、すでに何千人もの命が失われた時間だったのです。サイレンの音がしなかったのは、被害が軽かったからではなく、むしろ、甚大な被害が発生していたから。被害は、私たちのマニュアルをはるかに上まわる事態になっていたのです」。
この神戸からの第一報が、被害は軽いという印象を与え、救援を遅らせたのではないか、住田さんは今も自責の念に襲われるのだという。
なお、『語り継ぎたい。命の尊さ』は、当初、一般書店には流通しない予定だったが、主要書店の店頭での販売も始まった。神戸地区では、つぎのとおり。
元町・海文堂書店、ダイエーハーバーランド店アシーネ、ジュンク堂書店の本・支店。神戸大生協書籍部でも近日中に販売予定。売り切れの場合や、このほかの主な書店でも取り寄せで注文できる。
早く手に入れたいときは、宅配サービスがある。詳しくは、一橋出版03-3392-6021まで。
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この震災写真展「大学から1999」(主催=関西学生報道連盟、神戸大学NEWS NET委員会、関学新月Tribune通信社、神戸女学院大学KCpress編集部)は、一月から神戸大、神女院大、関学などで巡回開催されたが、今回はその集大成。展示点数も最高の五十三点となり、特に「震災を見つめる人々」のコーナーが十九点と大幅に増えた。また会場には、被害のあった阪神間の二十六大学に調査した結果が、「阪神間の大学の被害」、「大学関連で犠牲になった方々」、「震災時の大学の対応」として展示されている。これまで三会場で行ったアンケートの結果も同時に掲示されている。
午前十時のオープンから徐々に人々が訪れ始め、たまたま通りがかった人も写真に見入っていた。「初めて見る写真の新鮮さが何とも言えない」、「何も言えなくて胸がつまるのみ」と様々な声が寄せられている。旅行中通りがかったという酪農学園大の男性は「震災の恐ろしさと復興への前向きな力を感じた」と話した。
写真展は午前十時から午後六時まで。三月四日から十八日まで毎日開催している。問い合わせは関西学生報道連盟06ー6307ー1315まで。
【写真】 震災の復興の様子を切り取った写真に、訪れた人々も真剣に見入っていた。(3月4日 三宮・フェニックスプラザで 撮影=藤原靖史)
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一月十日から十七日まで、阪急六甲の神戸学生青年センター行われた、震災写真展「大学から1999」の神戸大会場の入場者は、記名帳に記入した人だけで百二十三人。アンケートに記入した人は六十五人にのぼった。
灘区からの来場が三七%にあたる二十四人を占め、東灘区が四人、東京都と大阪府が各三人、兵庫区、須磨区、西宮市、京都府からが各二人だった。北海道、浜松、金沢、埼玉から訪れた人もあり、スイスから帰省中の人もいた。このうち、震災を経験したのは五十四人。
性別は、男性が三十八人、女性二十九人。職業別では、会社員が最も多く十五人。次いで、学生の十五人。うち神戸大は十一人。主婦七人、大学教官、フリーター、公務員が各二人。このほか、調理師、予備校講師、アナウンサー、福祉、医師などだった。
今回の写真展は何で知りましたか、という問いに対しては、一般紙が最も多く、全体の四分の一の十七人。大学のポスター十二人、、友人などのクチコミが八人、付近の街頭ポスター七人、「たまたま通りかかった」が六人、テレビ五人などの順だった。
今回の写真展に行こうと思った理由は、
・灘区で被災しながら全容がわからなかったから(52歳・男性・大学教官)
・「学生の見た震災」を知りたかったから(49歳・女性)
・震災の記憶を忘れたくなかったから(76歳・男性)
・報道関係とは別の視点からの写真展がみたかったから(47歳・女性)
・当時中学生だったので、大学生がどう見ていたのか知りたかったから(19歳・男性・神戸大生)
・写真部にいるので大学生の撮る報道写真が見たかったから(19歳・男性・神戸大生)
・こどもの英語教室に迎えに行ったときに開催されていたから(38歳・女性)
・たまたま入ったらやっていた(29歳・男性・会社員)
・勤務している静岡の放送局の、震災特番の取材で神戸を訪れたから(23歳・女性・FM局アナウンサー)
・せっかく神戸に留学するのに、もっと神戸のことを知りたいから(27歳・女性)
・自分が、当時のことを忘れているのに気付いたから(27歳・男性・会社員)
・四年目を自覚したいから(75歳・女性・主婦)
・当時の各大学の状況を知りたかったので(34歳・男性・会社員)
・神戸大出身で東京にいるが、どうしても一月十七日の慰霊には神戸に来たくて来た(27歳・女性・会社員/神戸大OG)
・震災のときに感じた、この普通の世界への違和感を取り戻すため(21歳・女性・神戸大生)
など、さまざま。
写真展を見て感じたことは、
・個人の写真は明る過ぎる。コメントもしんどさが伝わりにくい。モノクロのほうが心に伝わったと思う。(49歳・女性)
・現実の厳しさとの、交錯、結節の表現に欠けるように感じた。記念撮影的な面が少し気になる(男性・大学教官)
・思ったより写真が少なくてがっかりした(21歳・女性・神戸大生)
・展示をもう少し増やしてほしい(45歳・男性・会社員)
・西尾荘の写真をとったのが、地震から二か月もたってたこと(26歳・男性・会社員)
などの不満もきかれたが、おおむね評価は高く、
・理解の一部の穴が埋った感じ(52歳・男性・大学教官)
・どれだけ大学生ががんばれるか見せてもらった(31歳・女性・社会人)
・大学(生)からの発信として重要な努力だと思う(男性・大学教官)
・大学生もやるなぁ!と感じた(43歳・男性・NPO/関学OB)
という声がきかれた。
写真という媒体についても
・写真でしか語れない写真にいくつか触れられた(62歳・男性・会社員/神戸大卒業生)
・ホットな写真(当日の速報写真)があってほっとした(62歳・男性・福祉施設勤務)
・もう四年前のこと、とは思いません。きれいにそのまま写っています(61歳・男性・調理師)
という評価があった。
あらためて、震災をみつめることができたというい感想も多く、
・辛かったこと、苦しかったことを時には思い出す必要性を感じた(46歳・女性・公務員)
・四年前のことを思い出して、大切にしなあかんと思いました(23歳・男性・神戸大生)
・震災による心の来ずをもつ人、大切な人ゃ仕事をなくしてしまった人達のことを
心にとめておくいいチャンスだったと思う(23歳・男性・関大生)
・学業なかばで亡くなった学生のことを思うとなんともいえない(男性・神戸大生/京都市)
・神戸大工学部の室崎先生のコメントが心にひびいた。(49歳・女性)
などがあった。
新しい発見があったという声もあり、
・地球惑星学科のサーバーの「shidahara」の由来を知って驚きました(23歳・男性・神戸大生)
・神戸大生も多く亡くなったのは、初めて知りました。未来ある若人なのに残念です(池田市・50歳・女性)
・学校の被害の写真を見て、身近に迫ったできごとなのだと思った(22歳・女性・大市大生)
・今、なにも感じないけど、近くでいろんなことがあったんだなとと思った(20歳・男性・神戸大生)
などが寄せられた。
このほか、主催のニュースネット委員会や、後援の関西学生報道連盟に対しては、
・これからも過去のことではなく、事実をこれからの課題として伝えて行って下さい(29歳・女性・院生)
・また胸がつまる思いですが、伝え続けることが本当に大切です(55歳・女性・主婦)
・優れた企画です。私はライバル紙(神戸大学新聞)のOBですが、「よくぞやってくれました」と申し上げておきましょう。これからも、神戸大学新聞の後輩たちの、よきライバルでありつづけてください。(29歳・男性・予備校講師)
・テレビや新聞で報道されていのはごく一部だと感じた(22歳・男性・神戸大生)
・知らせ続けること。何年たってもずっと(55歳・女性・主婦)
・東京でも写真展をやってほしい。東京ではすっかり忘れ去られてしまっています(27歳・女性・会社員/神戸大OG)
という期待も寄せられた。
このほか、震災に関して埋もれさせたくない事実は何ですか、という問いに対しては、
・スイス政府が救援隊を提案したのに、日本側がすぐ受け入れなかったこと(29歳・女性・院生)
・いろいろあって語り尽くせない(49歳・女性)
・災害は必ずおこる。災害に負けることなく立ち上がる勇気をもち続けたことを忘れたくない。(76歳・男性)
・日本人はすぐに忘れること。これが問題。悲惨な事実はすべて記録を残しておいてほしい(37歳・女性・主婦)
・長田区の在日朝鮮人が、多数火災で亡くなったこと(23歳・男性・神戸大生)
・当時、灘区大石北町で整形外科医院を開業していました。通院していた二十五〜六人の方が亡くなられた。震災の年の四月に廃業しました。その後、海外でボランティアなどをしていたので、初めてこの日(一月十七日)を日本で迎えます。平常心でいられません。(66歳・男性・医師/阪大卒)
・亡くなった友達の名前(26歳・男性・会社員)
・在日の外国人も多数被害を受けた。そのケアが日本人と同じとは感じられませんでした(43歳・男性・NPO/関学OB)
といった回答があった。
今回の写真展に訪れた人は、大学生や若い会社員を中心とした二十歳代が二十七人と全体の四割を占めたが、三十歳代から六十歳代までが七人から十人おり、七十、八十歳代の人もいて幅広い層の人達が訪れた。
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特設会場となっている国文の食堂では、一部をワンルームマンションのようにして、家電や家具をディスプレイしたり、ミニバイクやパソコン、調理セットに至るまで、これから始まる一人暮らしのためのアイテムが販売されている。
最もあわただしいのは、下宿あっせんのコーナー。臨時のアルバイトを三十人雇って対応している。「最も忙しいのは、入学手続きのある十五日」だが、合格発表の翌日にあたる十日も、二十ほどあるの窓口のうち八割は常にふさがっていた。
京都府宇治市出身で、経済学部に入学する石井秀典さんは「今日は下宿先を決めた。朝きちんと起きられるかどうか不安」と話した。
【写真】春休みで学生は少ないが、新入生や保護者で生協の食堂はあわただしい。(3月10日 国際文化学部の生協食堂で。撮影=栃谷亜紀子)
今年の下宿選びの傾向
「今年は昨年とあまり変わらない」。生協サービスセンター副店長・浅野里志さんに今年の下宿選びの動向を聞いた。
今年は「特に戸数が増えたということはない」。震災で下宿が減少、一時は下宿が大阪に近い所まで広がった状況もほぼ解消され、戸数も昨年までにほぼ元に戻ったため、今年にかけてあまり大きな変化はないという。
ただ不況の影響か、家賃の相場は昨年よりも二、三千円下回っており、五〜六万円の物件が中心。バブルの頃は七万円を越える物件もあったという。
しかし十年前は文化住宅やアパートが半数以上を占め、マンションは一、二割ほど。現在その比率は逆転、文化住宅は二割にも満たないという。「不況で親の負担も大きいが、マンションを最初から希望する親が多い。少子化が影響しているのではないか」と分析する。
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『語り継ぎたい。命の尊さ〜阪神大震災ノート』は、神戸大のOBでNHKアナウンサーの、住田功一さんが、震災直後から現在までの取材体験をもとに書いた、高校「現代社会」の副読本。そのなかで、住田さんは「そこで人が亡くなったという事実をみつめよう」、「いざとうとき、すぐに非常時への対応へスイッチするためのシミュレーションが大切」と訴えている。
九八年夏季総会以降の活動から、報道スクープ部門、報道速報部門、報道企画部門、ビジュアル部門、広告部門、運営部門の六部門に分け、各大学が推薦した活動、同連盟幹部が推薦した活動に対し投票し、大賞、努力賞を選定した。
大賞には、報道速報部門の甲子園ボウルでの即日手配り号外とHP速報、報道企画部門での関大タイムスの村山実さんの追悼特集、神戸大ニュースネット、関学新月Tribune、神女院大K.C.Press共同の震災グラフ特集と震災写真展「大学から1999」などが選ばれた。神戸大ニュースネットは、新聞スタンドの設置とホームページ(HP)日刊化で運営部門の努力賞を受賞した。
詳細は下記の通り。
▼1998年度後期UNN賞発表
▽報道スクープ部門
努力賞・1グラ取り壊しへ(関大タイムス) スクープが学内世論を動かした
努力賞・一連のパソコン関連報道(関学新月Tribune) 学内の小さな疑問がスクープに発展
努力賞・三田工業倒産の内定取り消し報道(関大タイムス) いち早く学生関連のニュースに結びつけた発想
▽報道速報部門
大賞・甲子園ボウル(UNN制作部・UNN運動部・NEWS立命) 即日手配り号外などの速報でUNNの真価を発揮
大賞・震災の日の朝(UNN文化部・神戸大ニュースネット・関学新月Tribune・神女院大K.C.Press) 今年一月の写真展やHPで「1・17」の心を伝えた
▽報道企画部門
大賞・村山実さん追悼企画(関大タイムス) 本紙とHPできめ細かく伝え、OBにも反響
大賞・「大学から1999」震災グラフ特集と写真展(UNN文化部・UNN制作部・神女院大K.C.Press・神戸大ニュースネット・関学新月Tribune) イベントと本紙が見事に連動
▽ビジュアル部門
努力賞・後夜祭の熱いステージ(関大タイムス・藤原靖史カメラマン) 学園祭フィナーレの熱気を映像表現
努力賞・学園祭の小淵首相を至近距離でキャッチ(阪大POST報道・玉木剛記者) カンと機転でVIPをとらえた
▽広告部門
大賞・スタンプラリーを開催(UNN広告局) イベント連動でナショナルスポンサーの新規開拓に成功 初の学園祭イベントも成功
努力賞・劇場「飛天」の広告活動(UNN広告局) HP広告と共に本紙全面広告の展開で96万円の取り扱い
▽運営部門
努力賞・UNNパブリシティー記事、配信記事を資料化(UNN渉外局)地道な活動は今後の広報の基礎に
努力賞・HP日刊化の努力と新聞スタンドの設置(神戸大ニュースネット)きめ細かな本来の報道活動
努力賞・印刷所チェンジ問題への取り組み(UNN運営局・UNN報道局・UNN制作局)100社以上の候補からの選定作業
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『阪神・淡路大震災の社会学』は、一九九五年に起こった阪神・淡路大震災による被害状況や避難所の様子、復興と生活再建などについて、実証研究をもとに震災を浮き彫りにしている。全三巻で、『被災と救援の社会学』『避難生活の社会学』『復興・防災まちづくりの社会学』にそれぞれわかれている。
同書は、岩崎信彦神戸大文学部教授をはじめ、辻勝次立命産業社会学部教授、山本剛郎関学社会学部教授、野田隆奈女大大学院人間文化研究科助教授、鵜飼孝造甲南大文学部助教授、似田貝香門東大大学院人文社会系研究科教授、浦野正樹早大文学部教授の七人による共著。
問い合わせは昭和堂(電話075−761−2900)まで。
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昨日からの雨もやみ、卒業式の朝は春を思わせるぽかぽか陽気。式の始まる三十分前の午前十時には、会場の入口付近で袴やスーツ姿の多くの卒業生が集まり、記念撮影などをする姿が見られた。
【写真】卒業式の晴れ姿を記念撮影。(3月25日午前10時 ワールド記念ホール入り口付近で。 撮影=栃谷亜紀子)
卒業証書・学位記授与式では学部や研究科の受領総代が順番に壇上に上がり、西塚泰美学長から卒業証書を受け取った。今年の学部卒業生は十学部合計で二千五百八十八人、大学院の修士、博士前期課程の修了者は二年前に設置された総合人間化学研究科の修士課程修了者百九人を含む合せて八百二十人で、合計三千四百八人の学生が神戸大のキャンパスを巣立った。
この後、式辞で西塚学長は「大震災の直後である四年前に入学した学生が多く、人の命を考える貴重な経験をした世代」、「就職難も続き、今も苦労している学生がいるが、希望を失わないでほしい」と卒業生を激励した。
また、国立大の独立行政法人化の問題にも触れ「現在の大学制度に改革すべき点はある」としながらも、「大学は営利団体ではないのであり、企業における競争と同列に論じるべきではない。競争のみに走ると画一化につながる」と疑問を呈し、「日本の科学は必要としているのは、本当の独創的な学術研究の芽で、それは日陰からそっと出てくるもの。時事の風潮に流されないで、謙虚に努力を続けてほしい」と述べた。
卒業生代表の理学部地球惑星学科の松島寛美さんは「入学時は震災直後で、復興の様子を見てきた。私たちも神戸の街のように、今後も一歩一歩、成長してゆきたい」と答辞を読んだ。
【写真】卒業証書・学位記授与式では各学部、研究科の総代が順番に壇上に上がった。(3月25日午前10時50分 ワールド記念ホールで。 撮影=堀江悟)
式が終わっても、壇上に上がっての記念撮影や、後輩からの花束贈呈などで、会場から人が消えることはなかなかなかった。
文学部の尾野誠希さんは「四年間、振り返ってみると充実していた。大学生活を糧に、仕事に自信をつけたい」と抱負を語った。また法学部の山川実佐代さんは「大学時代はコツコツ努力することと要領の大切さの二つを学んだ。就職先のコンサルティング会社では、所属していた模擬国連での経験を生かしたい」と述べた。
午後からは、各学部、学科別に分かれてホテルや教室などで謝恩会が行われた。
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掲載されるのは、五月一日付発行の、日経ネットナビの別冊ムック「ホームページ生活便利帳」。季節や生活の場面ごとに、二千件近いサイトをピックアップ。「インターネット歳時記」の冬のカテゴリーのなかの「阪神大震災に学ぶ」のページに、神戸新聞のサイトなどとともに紹介されている。
UNN関西学生報道連盟の今年の震災特集企画『震災写真展〜大学から1999』と、神戸大学ニュースネット委員会の震災特集ページ『忘れたらあかん!! 阪神大震災』が、サイトのカラー写真とともに掲載されている。
UNNの『震災写真展〜大学から1999』のページについては、「崩壊した校舎、亀裂の入ったグラウンドなど、一般の報道では見られなかった写真が多い。震災に直面、被災した立場で見た現場の姿からは、報道カメラマンとは違った生の叫びが感じられる」と紹介されている。
また、神戸大ニュースネット委の『忘れたらあかん!! 阪神大震災』には、「神戸大学は学生・教職員計四十四人が帰らぬ人となった。犠牲者の家族、同僚による手記は涙なくして読めない」というコメントが添えられている。
日経ネットナビの別冊ムック「ホームページ生活便利帳」は、B5判二百四十七ページ、掲載ホームページへのワンクリック・リンク集などのCD-ROM付きで千六百円(税別)。一般書店で発売。詳しくは、発売元の日経BP出版センター03-3238-7200まで。
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六甲道勤労市民センターで行われた今回の講演会「マスコミで働くということ〜阪神大震災取材ノートから」には、新入生から四年生までの学生や、大学職員、市民があわせて十人ほどが集まった。講師は、NHKアナで朝の生活情報番組「生活ほっとモーニング」を担当する住田功一さん(一九八三年・経営卒)。この春、高校生の現代社会の副読本として出版された住田さんの著書『語り継ぎたい。命の尊さ』をテキストに、住田さんが体験を語った。
住田さんは、震災直後の灘区役所で、救援物資が届くというマスコミの情報が流れたものの、物資が実際に届くまでに時間がかかり混乱したことを目のあたりにしたと語り、「情報と物流が一致しないと、被災者には大変なストレスになる」と指摘。
神戸大の学内を取材したときには、各学部の教職員が、電話回線がふくそうするなかで、新聞の死亡者欄に学生の名前がないか必死で確認作業をしていた。「学生だけで三十九人が亡くなったことに大変ショックを受けた」といい、若い後輩たちに多くの犠牲がでたことに胸を痛め、それがその後の取材活動の原動力になったという。
灘区六甲町の西尾荘で亡くなった、三人の学生の家族からの追悼手記を朗読しながら、住田さんが涙で声をつまらせる場面もあった。
このあと、近くのファミリーレストランで懇親会が行われ、学生からは「災害時にはマスメディアは全国に情報を伝えるべきなのか、ローカル情報に専念すべきか」、「NHKと民放の役割はどう違うのか」といった質問があり、熱をおびたトークセッションとなった。
参加者からは、「番組で見るのと違って、熱っぽく語る住田さんにひかれました」という声が聞かれた。住田さんは、「震災への関心は、学生の間では決して高くはないのだろう。でも集まった学生は、ジャーナリズムの根幹の部分を、視聴者の立場からクールにみていて、意識が大変高い」と満足そう。「被災地の大学の学生として、何を発信できるのかを見つめてほしい」と訴えていた。
講演会「マスコミで働くということ〜阪神大震災取材ノートから」は、二十三日夕方には神女院大でも開かれる。詳しくは、関西学生報道連盟内の神女院大K.C.Press編集部、電話06-6307-1315まで。
なお、『語り継ぎたい。命の尊さ』(一橋出版、六百円・税別)は、神戸大生協書籍部のほか、淳久堂各店、駸々堂三宮店ほかにおいてある。その他の書店でも注文すれば取り寄せることができる。一橋出版03-3392-6021。
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工学部
新制神戸大工学部設立五十周年式典・講演会は、午後二時から工学部講義棟五〇一教室で行われ、約二百人が参加した。「この五十周年をきっかけにさらに工学部を発展させたい」という北村新三学部長の式辞で記念式典は始まった。
神戸大工学部の前身は神戸高等工業学校。神戸工業専門学校を経て、昭和二十四年に建築学科、電気工学科、機械工学科、土木工学科、工業化学科の四学科からなる神戸大工学部として新たに発足。
現在は建設学科、電気電子工学科、機械工学科、応用化学科、情報知能工学科という五つの大学科で編成されている。当初は一学年百四十名、教官数二十四名だったが、五十年たった今は一学年六百名、教官数百七十四名という神戸大の中でも一番大規模な学部となっている。
文部大臣、神戸市長などからは「震災の完全な復興を目指して、今後とも神戸大工学部の技術研究に期待したい」というメッセージが述べられた。
式典終了後は『地下空間におけるアート創造の可能性』と題して櫻井名誉教授(昭和三十三年土木工学科卒)のの特別講演会が行われた。「研究室の中でいくら考えても何も見えてこない。人間は新しい空間に出たとき新たな発想が生まれるのだ」と述べた。
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これまでに多くの卒業生を出した軟式野球部。今日は約八十人が試合に参加した。「ふるさととして愛する大学で、友と一緒に楽しんでほしい」という瀧省一OB会長(昭和二七年経済卒)の挨拶で試合は始まった。現在の居住地で東軍・西軍に分かれての対決。皆学生時代の気持ちに帰り、終始和やかなムードで試合は進んだ。
一回、東軍が一点先取すると西軍も負けじと二点をもぎ取る。二回三回と両者無得点が続くが、四回表東軍の打線が爆発。七安打で八点を追加した。ところが西軍も五回に四安打五得点。いい勝負だったが、結果十−九で東軍の勝利に終わった。もう何年も野球をしていないという人が多かったが、盗塁や併殺などの好プレーも見られた。
「東京からでてきた甲斐があった」(秦敏章さん・昭和五四年経済卒)、「久しぶりに楽しい時
を過ごした。だが体力の衰えを感じた」(久保田信幸さん・昭和四九年法卒)、「二十数年ぶりに大学に来た。六甲駅から学舎まで、すべてが懐かしい」(松田昇さん・昭和五十年理卒)など、試合後は皆爽やかな笑顔をみせた。
この後、記念式典が瀧川記念学術交流会館で行われた。瀧OB会長は「五十年間絶えることなく定期戦を続行できたことはすごいこと。これからも七五周年、百周年にむけて頑張りたい」と述べた。来賓には関西六大学軟式野球連盟の各大学のOB、神戸大応援団団長、神戸大体育会幹事長などが招かれた。
創部当時は戦後の混乱期。道具も食べ物も不足していた。練習場にも困り、菊正宗酒造のグラウンドを借りたこともあった。学生紛争で試合ができない時期もあった。そして平成七年には阪神大震災。大阪までバスを乗り継ぎ、4時間もかけて桜宮練習場まで通った。
それぞれの時代でさまざまな苦労を乗り越え、五十周年を迎えた神戸大軟式野球部。現主将の馬渡健太郎さん(発達・四年)は「自分も二十年、三十年後に皆でプレーがしたい」と力を込めた。
【写真】準硬式野球部の創部50周年に行われたOB試合。盗塁や併殺などの好プレーも見られた。(5月21日午後3時 発達科学部グラウンドで 撮影=栃谷亜紀子)
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震災復興イベントとして始まった灘チャレンジは今年で五年目を迎える。合気道部のデモンストレーション、軽音部ジャズよるセッション、落語研究会による寄席、韓国文化研究会による韓国舞踊など、様々なイベントが行われる。
また寸劇も行われる。昨年は神戸空港建設反対の寸劇の上演を予定したため、神戸市からの後援がなくなり、当初予定していた市立成徳小学校から、大和公園へと会場が変更になっていた。今年も市からの後援はない。
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当日は天気にも恵まれ、多くの人が訪れた。夏日となったこの日、会場付近の都賀川では、子供が水遊びする光景もみられた。フリーマーケットや焼き鳥、金魚釣りなどの模擬店の出店数は、過去最高の約七十あまりにのぼった。
灘区からは六甲学院、葺合高校の学生が、また近畿大学からの参加もみられた。会場に設置されたステージでは、合気道部の演舞、軽音楽部ジャズのセッション、中国の獅子舞、落語研究会の寄席などが繰り広げられ、子供からお年寄りまで幅広い観客でにぎわった。
震災を契機に始まった「灘チャレンジ」も今年で五年目を迎える。来場者からは「地域と大学の関係が希薄だと言われる中で意味のあるイベント」、「震災を体験した学生がいなくなっても、代々受け継がれていくことが大切」という声が聞かれた。
実行委員長の石田篤史さん(理・二年)は「学生が地域に関わることのできる良い機会」として、「今後は対象を灘区以外にも広げて、神戸市に認められるようなお祭りにしていきたい」と期待を込めた。
【写真】灘チャレンジ。5年目を迎える今年は都賀川公園が会場。子供が水遊びする光景も見られた。(6月6日午前11時30分 都賀川公園で 撮影=栃谷亜紀子)
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安部さんは島根県出身。神戸大学理学部在学中は、天文研究会に所属していた。八一年に卒業した後、松山市の病院に勤務。九五年の震災の際には、病院の救護班の一員として、神戸市灘区で救助活動に当たった。
九七年十一月には、火星と木星の間に軌道を持つ小惑星を発見。今年二月に『Kobe』として国際天文学連合に登録した。大学時代の素晴らしい思い出を作ってくれた神戸への恩返しの気持ちが込められているという。七日には笹山幸俊神戸市長を訪問し、写真などを手渡した。
『Kobe』は直径約四キロ、十九等星の星で、肉眼では観測できないが、今の季節なら望遠鏡を使えば、夕方、西の空のしし座の中に観測できる。
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同会は、震災の犠牲者が「なぜ亡くなったのか」を、遺族への聞き取り調査をもとに調査している。昨年の春から始まったこの調査は、これまでに約百三十人件の調査を進めたが、全犠牲者の約六千五百人の記録を残したいとして、新たに調査員を募集している。
参加資格は特になく、個人でもゼミ単位でもサークル単位でも可能。問い合わせは、078−803−6009(室崎研究室)か、078−803−6039(塩崎賢明研究室)、kikigatari@mvb.biglobe.ne.jp、http://www2u.biglobe.ne.jp/~shinsai/kikigatari/index.html。
なお、室崎教授へのインタビューは、一九九八年八月十五日付の記事で、ニュースネット委員会のホームページに掲載。
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この本は、神戸大のOBでNHKアナウンサーの住田功一さん(三九)が、震災直後から現在までの取材体験をもとに書いた、高校「現代社会」の副読本。B5判約八十ページのブックレット形式。
これまでに、著者あてに全国の小学生、大学生、教師、主婦、報道関係者ら約四十人から感想や意見が手紙やEメールで寄せられた。ネット上への転載の許諾を得た約二十人分を掲載して、このほどHPがオープン。このあと、約二十人分の大学関係遺族の手紙を掲載する準備が進んでいる。
本の編集に協力した神戸大ニュースネット委や、写真を提供した関西学生報道連盟の学生がホームページの開設をバックアップ。一橋出版の編集スタッフが、手紙をパソコンに打ち込むなどの作業を分担した。
「高校生だけでなく、小学生や大学教官、主婦と多くの人に読んでもらっているようです」と著者の住田さん。「被災した人の思いもさまざま。あらためて震災を知った人々も多い。いろいろな人の『想い』が交わる場になればと思います」と話している。
感想文は、sumidak@excite.co.jpで受け付けていて、これからも随時HPにアップしていく予定。
本は、神戸大生協のほか、神戸、大阪、東京などの大型書店には店頭に配本されているが、ない場合は、書店取り寄せで注文できる。詳しくは、一橋出版03-3392-6021まで。
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夏休み最後の週末となったこの日は、残暑が厳しく、立っているだけでも汗が吹き出して来るような気候。しかしそれにも負けず、遺児たちは声を張り上げて募金を呼びかけていた。
神戸では、三宮のフェニックスプラザ前と元町駅前で実施。中、高、大学生の遺児約三十人、ボランティア約四十人が街頭に立った。フェニックスプラザ前では、今回の募金の関西実行委員長である川口和徳さん(大阪電気通信大学高・二年)が指揮をとり、「四年半前、自分たちが世界中の人から受けた恩を返そう」と呼びかけた。報道陣も多数詰め掛け、通行人の目を引いた。
川口さんは阪神大震災で、当時県庁に勤めていた父親を亡くした。過労死だった。トルコ地震のニュースを聞いたとき、その時の寂しさを思い出し、父母を亡くした子供たちはどうなるんだろうと思った、と言う。川口さんは終始言葉を選びながら、「一日でも早く、遺児たちの心を回復させてあげたい」と語った。
集まったお金は、冬休みに川口さんらが自らトルコへ赴き、直接届ける予定。あしなが育英会では郵便振替でも寄付を募っている。口座番号は「トルコ震災遺児を励まそう 00150-8-99672」。問い合わせは、078−453−2418(あしなが育英会・トルコ震災遺児激励募金実行委員会)まで。
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チームは、団長の中山伸一講師(44)=災害・医療講座=ら医師三人と看護婦二人、薬剤師一人。救急医、整形外科医に加え、長時間生き埋めになった人に起こりやすい「クラッシュシンドローム」にも対応できるよう、じん臓専門医が選ばれた。
台北市や台中市などの被災地で、災害時の救急医学の実態調査を行うほか、消毒液や抗生物質などの薬剤を持ち込み、一週間で約百人の治療に対処する。。
神戸大医学部では、阪神大震災の際の国際支援を踏まえて派遣を決めたとしている。午前九時から、同医学部で行われた結団式では、守殿貞夫院長が「医療面だけでなく、震災で得た様々な経験を被災者の生活に役立てて欲しい」と激励した。
一団は二十二日午後十一時四十分に関西国際空港をたち、二十二日中に台湾入りし、二十八日まで活動する。(栃谷亜紀子 記者)
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連合などによると、日本で学ぶ台湾人留学生は約五千六百人。震災復興を手伝うため帰国したいのに経済的理由で帰れない人が多いという。
航空会社に協力を求めたところ、台湾のエバー航空(本社台北市)が関西、福岡両空港から台湾に向かう毎日各一便の空席を、無料で利用できることになった。二十八日には、第一陣として約十人の留学生が帰国する予定。
無料航空便の利用申し込みと問い合わせは、電話078−811−0359の神戸元気村。
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『語り継ぎたい。命の尊さ〜阪神大震災ノート』(一橋出版)は、今年の二月に出版されたA5判、七十八ページのブックレット。当初、高校社会科用の副読本だったが、反響を呼び、一般書店にも配本されている。著者は、神戸の実家に帰省中に震災に遭遇した、神戸大OB(一九八三年・経営卒)の住田功一・NHKアナウンサー。
震災で犠牲になった神戸大生への追悼手記や写真など、神戸大ニュースネットも資料を提供して編集に協力した。
著者の元には、Eメールや手紙で反響が寄せられ、この七月十七日に「読者のホームページ」が開設された。十一月上旬までに、小学校一年生から七十歳代まで、会社員、教諭・教官、主婦やカウンセラー、新聞記者など、幅広い読者の感想文約五十五篇が掲載されている。現在も、随時新しい感想がアップされて続けている。
奈良市の中学教諭からは、生徒と神戸に校外学習に行くときの参考資料にしたいというEメールも寄せられたという。
こうした動きを、さまざまなメディアが紹介している。
「被災地の人々と交流を 『阪神大震災ノート』読者のHP開設」と九月十日付の毎日新聞東京本社版夕刊キャンパス欄が報じたのをはじめ、三十日付東京新聞夕刊パソコン欄、十月四日付の朝日新聞大阪本社版教育欄と中日新聞夕刊、二十五日付の日本海新聞(鳥取)、二十九日付の朝日新聞東京本社版夕刊が、このホームページを紹介。このほか、教育専門紙やパソコン雑誌でも報じられている。
学内でも、学内誌『KUBC PRESS』が、十一月十三日発行の「六甲祭特集号」のなかで取り上げた。
「旅の私記〜震災を橋渡しに」という見出しで、記者が震災を知り、被災地「神戸」を意識して語り継いでいく過程を記事にしたもの。その動機のひとつとして、ブックレット『語り継ぎたい。命の尊さ』と出会ったことをあげている。ホームページアドレスもまじえ、学園祭特集のなかで、二ページをさいて紹介している。
『KUBC PRESS』は、一九八一年春に創刊。神戸大学放送委員会が発行する情報誌。
ブックレット『語り継ぎたい。命の尊さ〜阪神大震災ノート』(一橋出版、税別六百円)は、生協書籍部やジュンク堂書店など主要店頭にあるほか、書店からの取り寄せもできる。
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改訂されたのは、これまで、四年にわたって毎年一月に本紙『NEWS NET』に掲載した震災特集と、英語版、高校生向け副読本『語り継ぎたい。命の尊さ〜阪神大震災ノート』の読者のホームページなどへのリンクページとなっているページ。
メインタイトルも『震災特集のページ』から、サブタイトルとして使われていた『忘れたらあかん! 阪神大震災』と改められ、ホームページに使用されるドットの大きな和文書体から、力強いダークブルーの明朝体の画像になった。
編集部では、このリンクページを震災報道のフロントページとして位置づけ、さまざまなサーチエンジンにも登録していく方針。(編集部)
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出身高校や当時の新聞情報などを頼りに遺族の連絡先を調べて郵送で依頼状を送り、現在までに約三十の返送があったが、震災から五年が経過した今では、当時の資料にある連絡先に送っても、「転居先不明」で返送されてくることもしばしばだ。現在、メンバーは一件づつ、電話で遺族の方に取材している。
「息子は今でもどこかで生きていると思っている、追悼手記に名を連ねるのは亡くなったことを認めるようでいやだ」「この苦しみは言葉にはならない」「時間が経つにつれ、子供がここにいないという現実が辛くなる」など、五年目の思いは様々だ。
担当者は「震災から五年経った現在の思いや状況を残すのは今しかできないこと。精一杯、できる限り多くの断片を集めた特集にしたい」と気を引き締める。
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九五年の三月十七日、竜一さんが火が迫ってくる中で助けに来た友人たちに「頼むから逃げてくれ」と最期に言い残したことを夕刊で知った。「火がなかったら絶対助かっとったんや」。しかし、はたして本当にそう言ったのかどうか。信じたい気持ちと「まさか、そんな」という気持ちが入り交じり、半信半疑だったという。
迫る炎に「逃げてくれ」と言った息子をほめてやりたい
当時、同じ西尾荘に住んでいて、農学部の四年生だった堂越浩さんは、震災直後に北側の窓から逃げ出した。
外はまだ暗闇の中、一階が潰れガレキに埋もれた西尾荘を十人ほどがとり囲んでいた。堂越さんは、東側のガレキの下からしっかりとした声がするのを聞いた。一階東側に住んでいた坂本さんだった。その時、西尾荘には中村公治さん(当時=経営・三年)、鈴木伸弘さん(当時=工・三年)も取り残されていて、周囲にいた人は手分けをして救助に当たり、堂越さんも坂本さんを助け出そうとした。
まず、上に覆いかぶさったガレキを取り除いて、それで引きだそうとした。しかし、どうしても足が動かない。屋根のはりの部分が足に乗っていて、人の手ではどうしても動かないのだ。まだ辺りは暗闇だった。「もう少し明るくなってから、重機で動かせばいいだろう」と、とりあえず今は坂本さんの負担を軽くしようと冷蔵庫や家具など手で動かせるものは出来る限り取り除いたり、「のどが渇いた」と言う坂本さんに飲み物を持って行ったりした。揺れがあってから三、四十分が経っていた。
その時、周りからパチパチという音が聞こえてきた。火事だ。火は東の方へ広がり、西尾荘にも近付いてくる。「早く出てこい」という叫び声があちこちから聞こえてきた。
しかし、どうすることもできない。火はついに西尾荘の東側の壁に及んだ。そのとき坂本さんは「火が来たから逃げてくれ」と言った。火はもうそこまで来ている。堂越さんらは「ごめんな」と言いながら、外につながっている二階の窓の部分から壁つたいに出た。
そして、五分もしないうちに西尾荘は火に包まれた。
火が来るまでの三、四十分の間、堂越さんは坂本さんといろいろ話を交わした記憶はあるが、覚えているのはパチパチという火の音と「逃げてくれ」という坂本さんの最後の声だという。
竜一さんは本当にそう言ったのだ。父の秀夫さんは「あいつを、ほめてやりたい」と静かに語った。
整地される街 「変わるのなら一瞬に変わってほしい」
それから西尾荘の跡を訪れた。西尾荘のあった六甲町の一帯は、今年の秋から急速に整地が進んでいる。「一瞬に消えたんだから、変わるのなら一瞬に変わってほしい」。今も残る焼けたブロック塀の上に坂本さんは花を手向けた。
震災から五年目を迎えようとする今、震災以前の面影は失われ、街は確実に変わりつつあるが、犠牲者の記録は、着実に残されつつある。(栃谷亜紀子 記者)
【写真下】都市計画の区画整理も終え、西尾荘跡地には十一月ごろから新しい家が建ち始めた。(1999年12月19日 神戸市灘区六甲町2丁目の西尾荘跡で 撮影=須田鉱太郎)
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特集面では、台湾大地震について、文学部の文化財被害調査、医学部災害救援医療チームの活動、都市安全研究センターによる台湾集集地震調査・支援団の派遣のリポートが掲載されている。
「文化財被害調査−阪神・淡路大震災の経験を生かして−」では、十月十四日から四日間の日程で、百橋明穂(どのはし あきお)・文学部教授(美術史学)らが、台北や台中の博物館や史跡の被災状況の報告を掲載。
十六日に台湾大学で行われた講演会と討論会では、美術史や歴史の研究者、文化財関係者の熱心な質疑応答があったこと、神戸での経験が台湾で求められていることが、写真とともに報告されている。
このほか医学部災害救援医療チームの中山伸一・医学部講師(災害・救急医学)の活動報告には、「特に今回の台湾の初動は,海外勢が介入する必要があるのかと思われるぐらい,阪神・淡路大震災のときより少なくとも2,3日は早く物事は進んでいた」と、状況が述べられ、「ヘリコプター搬送や国内各地からの医療チーム派遣のみならず外国からの救助,医療チームの受入れをふくめ,我々の方が参考にすべきことが数多くあった」と結んでいる。
このほか、十月二十七日にラオス国立大学ボーセンカム・ヴォングダラ学長が西塚学長を表敬訪問したニュースや、兵庫県科学賞に山本節・医学部名誉教授と中前勝彦・工学部教授、大川秀郎・農学部教授の三人が受賞したニュース、十月の大学周辺の環境美化活動のトピックスでは、タオルを首に巻いて率先して草刈りをする西塚学長の写真も掲載されている。
広報誌『六甲ひろば』は、毎月十五日発行。随時ホームページに転載されている。(栃谷亜紀子 記者)
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この番組は、日曜日の朝のドキュメンタリー番組『新日本探訪』。
三十九人の学生が亡くなった阪神大震災。震災直後には避難所となり、多くの学生達がボランティアに奔走した神戸大のキャンパスでも、震災の記憶は薄れつつある。
番組では、亡くなった神戸大生の遺族と、それを受け止め、語り継いでいこうとする学生の交流を描く予定だ。
NHKのディレクターとカメラマンら四人のチームは、都市安全研究センターのグループが進めている『震災犠牲者聞き取り調査』や、ニュースネット委員会の震災特集『被災学生 五年目の追悼手記』(一月号本紙)の編集作業などを軸に、十一月から取材を進めている。
十二月二十日には、亡くなった当時工学部の三年生だった坂本竜一さんの父・坂本秀夫さんが、神戸大を訪れたところをNHKクルーが撮影した。
放送は、一月十六日の午前八時三十分から八時五十五分まで。NHK総合テレビで全国放送される。制作は、NHK大阪放送局報道番組部。(堀江悟 記者)
【写真】学内で撮影準備をするNHKクルー。(12月20日午前 六甲台学舎の前庭にある慰霊碑前で)
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本部では各部局に対して、一月十七日(月)に黙とうを行うよう通知。各講議や研究室では、正午に教職員や学生が黙とうをするように呼びかけている。
また、同じ時刻に、六甲台第一学舎前の慰霊碑で、学長と副学長による黙とうと献花が行われる。庶務部企画広報掛では、「各部局長にも可能な限り出席するよう案内している」と話している。
一九九五年一月十七日早朝の兵庫県南部地震では、六甲台キャンパスの建物には大きな被害はなかったものの、研究室では実験機材や書架が倒れるなどの被害があり、中央区・楠キャンパスの付属病院では建物にクラックがはいるなどの被害があった。
一方、人的被害は甚大で、神戸大では学生三十九人と、教職員三人、生協職員二人が亡くなっている。文部省の調べでは、大学・短大の学生だけであわせて百十一人が犠牲になっており、神戸大が最も多く、次いで甲南大の十六人、関学の十五人、神戸商船大の五人、関西大の四人などとなっている。(栃谷亜紀子 記者)
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『ワールド・ビジネスサテライト』は、テレビ東京をキーステーションに、テレビ大阪、奈良テレビ、びわ湖放送など全国十一局で放送している夜十一時台のニュース番組。「今夜もクリック」は、タイムリーなホームページを紹介する、エンディングの人気コーナーだ。
震災サイト「忘れたらあかん!! 阪神大震災」は、一月十日夜の放送で紹介された。大浜平太郎アナが「震災直後の生々しい被害の様子を学生たちの取材でドキュメントにしてまとめているほか、復興していく大学や町の様子も、写真などをまじえながら紹介しています」とコメントした。
同番組のホームページ(http://www.tv-tokyo.co.jp/bangumi/wbs/index.htm)にも紹介される予定。(須田鉱太郎 記者)
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