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激震のあの日から一年
  ドキュメント神戸大学'95(95年1月18日〜)


学内避難者、千八百人を超える
    神大生の震災犠牲者39人に

●1月18日
◎早朝LPGガス漏れで、東灘区南部に避難勧告。

Photo ●国際文化の生協食堂では、炊飯器で炊き出し。夕方、食堂厨房にまで人が入るようになり、『収拾がつかなくなる恐れがあるので、体育館に移ってもらい、被災者の対応は大学に一本化してもらいました』(田中店長)

 【本紙第二報】
●18日夕方6時の情報では、農学部、工学部、国際文化学部にはおよそ千八百人が避難。下宿にいられなくなった学生、一般市民が身を寄せている。
 うち八百人は夕方5時ごろに市バス石屋川車庫から移って来た人。17日はバスおよそ40台に避難していたが、市バス運転再開の準備のため、バスで神大国際文化学部の二つの体育館に移動。ある家族連れは「あかりはついていますが寒いので、毛布がほしい」。スナック菓子やおにぎりを分け合っていたが、食料が足りないのが心配だ。
【写真:神大生3人が倒壊した建物に閉じ込められ、焼死した西尾荘。(灘区六甲町2-4-5=95年3月18日 ニュースネット撮影)】

◎全国の大学から救援物資
●午後6時頃に兵庫教育大から救援物資。ポリタンクの水、ウーロン茶のペットボトル二十本、ビスケットの段ボール箱百箱。このほか、岡山大からも届き、京大、阪大からも届く予定。生協食堂も17日から炊き出しに協力している。黒田定男庶務部長の話では『まだまだ食糧が足りない。中央区の付属病院にも食糧をまわさなければいけない。全国の大学の救援をお願いしたい』『学生、教職員の被害状況も分からず不安。留学生などで連絡のとれない学生がいる』『しかし出来る限り大学の施設は開放していきたい』と語る。(本紙)

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●1月19日

Photo ●震災救援のための自衛隊第三六普通科連隊の隊員五百五十人、車両約八十台が六甲台グラウンドに駐屯開始。(〜2月7日)

●1月20日

●激震地の一部を気象庁は史上初の震度7と判定。
【写真:六甲台グラウンドに駐屯する自衛隊(95年1月27日 ニュースネット撮影)】

●自衛隊三七普通科連隊の隊員約五百五十人と車両九十台が、発達科学部グラウンドに駐屯。(〜4月26日)

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●1月21日
◎神大生の死者20人超える

Photo ●神大では応援団長が死亡するなど、学生だけで約二十人の死者が出ているものとみられている。
 応援団長の高見秀樹団長(済・三年)は12月の結団式で新団長に就任したばかり。灘区友田町の下宿が倒壊して亡くなった。下宿は一階部分が押しつぶされるような形で壊れていた。
 神大の下宿街は灘区から東灘区の被害が集中している激震地。
 学生課の新見博三課長の話によると、『これまでに学生だけで二十人ほどの死者が出ている模様だ。各学部で実家に電話を掛けたりして安否を懸命に調べている。電話がつながりにくい上、新聞の死亡者名と年齢が学籍簿の名前と一致しても、本人だという最終的な確認がとれず、作業がはかどっていない』と話している。(本紙特報)

【写真:応援団長・高見秀樹さん(済・3年)の下宿の盛華園アパート。高見さんは2階の自室で被災した。(灘区友田町1-1-10=95年3月21日撮影)】


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●1月22日
Photo ◎入試など予定たたず

●学生課によると、正午現在、入試、学年末試験、卒業などをふくめた今後の予定は検討中で決定の見通しは立っていない。(本紙)

【写真:国際文化学部(旧教養部)体育館の避難所にはNTTの臨時電話がひかれた(95年1月27日 ニュースネット撮影)】

●1月23日

●阪急、阪神、JRの不通区間に代替バス運行開始。

◎神大生有志が募金活動 ●各地で様々なボランティア活動が始まる中、JR大阪駅前で、「神戸大学生有志の会」による募金活動が、強風が吹き、リュックを背負った人が行き交う中始まった。(KUBC=UNN)

◎学生救援隊が発足 ●二十二日に、生協ランス店から国文 課程サー連ボックスに移した、神戸大学学生震災救援隊が正式発足。避難所には救援物資が届くのに、テント村には来ない。そんな矛盾を解消しようと、すでに活動を始めていた。(救援隊通信ほか)

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●1月25日

●六甲台キャンパスの一部で、水道が出始める。

◎附属病院から被災者移動 約三百人の被災者が、近くの文化ホールなどへ移動。 ●26日から全診療科で外来患者を受け入れる。

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●1月26日

●阪神が青木まで運転再開。

●医学部精神神経科の医師チームの避難所派遣開始。27日からは整形外科のリハビリチームの巡回、28日からは歯科診療班の派遣も。

【写真:本紙特報が貼り出される。(95年1月27日=六甲台第一学舎 ニュースネット撮影)】
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●1月28日
◎神大生の犠牲39人に

●これまでに、神大では学生三十九人のほか、名誉教授一人、教職員二人が亡くなったことが確認された。
 文部省の発表では、亡くなった学生は28日現在で百十一人にのぼり、大学別では神大三十九人、甲南大十六人、関学十五人、関大四人、阪大、京大などで各一人となっている。(本紙)

【写真:倒壊した今英人さん(自然科学研究科)の下宿。住んでいた1階はすべて押しつぶされていた。(東灘区西平野字平野8=95年6月撮影 今英男さん提供)】

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●1月29日
◎学生の下宿復旧が課題

●震災で住む場所を失った学生に対し、神大生協では、全国の生協からの義援金で学内グラウンドなどに仮設住宅を建てる案が出ている。
しかし、大学側の意向もあり、2月6日の補導協議会の結果を待つ。今後、新しい下宿の斡旋も物件確保が難しいみこみ。
 一方、学生部は住吉寮の空いた土地に仮設住宅を検討。また、住吉寮に家を失っ た学生、男子百五十人、女子五十人を受け入れることを決めた。(本紙)

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●1月30日
◎地震以来初めての登校日

●神大は、1月30日、31日、2月2日に地震以来初めて各学部ごとの登校日をもうけた。安否の確認や被害状況の調査が行われ、今後の授業や試験等について説明があった。各学部とも試験は行わず、レポートにするところがほとんど。お互いの無事を喜びあう一方、友人の死を悲しむ姿も。(本紙)

【写真:経済学部には、登校日の1月31日までの休講措置を告知する掲示が貼り出された。(95年1月27日 ニュースネット撮影)】

●1月30日

●閲覧室を中心に、図書館の一部使用開始。(『阪神大震災と出版』より)


【神戸大学の震災の記録1995-2】
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■神戸大学の震災の記録1995 ('95/1/17)
       同       ('95/1/18〜)
       同       ('95/2/6〜)
       同       ('95/4/1〜)
       同       ('95/9/2〜)
■神戸大学の震災の記録1996 ('96/1/17〜)
■神戸大学の震災の記録1997 ('97/1/10〜)
■神戸大学の震災の記録1998 ('98/1/9〜)
■神戸大学の震災の記録1999 ('99/1/14〜)
■神戸大学の震災の記録2000 ('00/1/17〜)