●国際文化の生協食堂では、炊飯器で炊き出し。夕方、食堂厨房にまで人が入るようになり、『収拾がつかなくなる恐れがあるので、体育館に移ってもらい、被災者の対応は大学に一本化してもらいました』(田中店長)
【本紙第二報】
●18日夕方6時の情報では、農学部、工学部、国際文化学部にはおよそ千八百人が避難。下宿にいられなくなった学生、一般市民が身を寄せている。
うち八百人は夕方5時ごろに市バス石屋川車庫から移って来た人。17日はバスおよそ40台に避難していたが、市バス運転再開の準備のため、バスで神大国際文化学部の二つの体育館に移動。ある家族連れは「あかりはついていますが寒いので、毛布がほしい」。スナック菓子やおにぎりを分け合っていたが、食料が足りないのが心配だ。
【写真:神大生3人が倒壊した建物に閉じ込められ、焼死した西尾荘。(灘区六甲町2-4-5=95年3月18日 ニュースネット撮影)】
◎全国の大学から救援物資
●午後6時頃に兵庫教育大から救援物資。ポリタンクの水、ウーロン茶のペットボトル二十本、ビスケットの段ボール箱百箱。このほか、岡山大からも届き、京大、阪大からも届く予定。生協食堂も17日から炊き出しに協力している。黒田定男庶務部長の話では『まだまだ食糧が足りない。中央区の付属病院にも食糧をまわさなければいけない。全国の大学の救援をお願いしたい』『学生、教職員の被害状況も分からず不安。留学生などで連絡のとれない学生がいる』『しかし出来る限り大学の施設は開放していきたい』と語る。(本紙)
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●震災救援のための自衛隊第三六普通科連隊の隊員五百五十人、車両約八十台が六甲台グラウンドに駐屯開始。(〜2月7日)
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【写真:六甲台グラウンドに駐屯する自衛隊(95年1月27日 ニュースネット撮影)】 |
●自衛隊三七普通科連隊の隊員約五百五十人と車両九十台が、発達科学部グラウンドに駐屯。(〜4月26日)
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●神大では応援団長が死亡するなど、学生だけで約二十人の死者が出ているものとみられている。
【写真:応援団長・高見秀樹さん(済・3年)の下宿の盛華園アパート。高見さんは2階の自室で被災した。(灘区友田町1-1-10=95年3月21日撮影)】
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◎入試など予定たたず
【写真:国際文化学部(旧教養部)体育館の避難所にはNTTの臨時電話がひかれた(95年1月27日 ニュースネット撮影)】
◎学生救援隊が発足
●二十二日に、生協ランス店から国文 課程サー連ボックスに移した、神戸大学学生震災救援隊が正式発足。避難所には救援物資が届くのに、テント村には来ない。そんな矛盾を解消しようと、すでに活動を始めていた。(救援隊通信ほか)
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◎附属病院から被災者移動 約三百人の被災者が、近くの文化ホールなどへ移動。 ●26日から全診療科で外来患者を受け入れる。
●医学部精神神経科の医師チームの避難所派遣開始。27日からは整形外科のリハビリチームの巡回、28日からは歯科診療班の派遣も。
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【写真:本紙特報が貼り出される。(95年1月27日=六甲台第一学舎 ニュースネット撮影)】 |
【写真:倒壊した今英人さん(自然科学研究科)の下宿。住んでいた1階はすべて押しつぶされていた。(東灘区西平野字平野8=95年6月撮影 今英男さん提供)】
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【写真:経済学部には、登校日の1月31日までの休講措置を告知する掲示が貼り出された。(95年1月27日 ニュースネット撮影)】